等しくない宿命
三年生になって単独任務も増えていた中、久しぶりに傑と同じ任務にアサインされた。特級術師に昇格した傑と二人なんて本当に珍しい。少しだけ嬉しさもあるが、実はここ最近の傑の様子がおかしくて気になっていて、先生に頼んで二人で組ませてもらったのだ。考え込む姿や上の空の時も多い。夏バテだと彼はいうけれど、それで済ませられないくらい痩せた。やつれた、というべきか。
先月後輩の灰原が殉職してから高専内の空気は重い。この夏は特にウジのように呪霊が沸いたから任務も多かったし、全員が全員疲弊していた。だから何かが壊れるならこのタイミングかもしれないという嫌な直感が頭の中でずっとアラームを鳴らしていたのだ。
「傑、現着するまで寝てていいよ?」
補助監督も足りておらず、いつもなら送迎がつくが今回は呪術師だけ、自分たちだけでの移動となった。一両しかないローカル線に乗って目的地まで向かう。車内に人はほとんどいない。こんな山奥にまで線路が敷かれているんだな、と思いながら窓の外を眺める。森の中をぐんぐん突き進んでいくその様に、二年前まで自分が暮らしていたあの集落を思い出した。思い出していいことなんてひとつもないのに、思わず過去のことが脳裏をよぎった瞬間背筋がぞくりと冷えた。そんな様子を素早く察知したのか、目の下に濃い隈を作った傑は小さく笑って優しく肩を抱いてくる。
「疲れていないわけじゃないけど、不思議と眠くはないんだよ。あぐりこそ、昔を思い出して嫌な気分になってるだろう?」
あぐりの方が寝た方がいい。
そう言って傑の肩に頭を引き寄せられる。こうやって彼と恋人同士になって一年以上経った。人に触れられることへの抵抗も、傑なら少しずつ大丈夫になったし、傑になら弱みを見せられた。果たして彼も同じように私に弱みも含めたなにもかもをすべて見せてくれているかと問われれば、それはNOだが。
「せっかく傑と一緒なのに、寝るのは勿体無いよ」
「私も同じだよ」
切れ長の目が細められ、優しくこちらを見てくれる。そうだね・と相槌を打って、本当にどうでもいいことを会話する。先日祓った呪いのこと、術式の解釈の広げ方、今度行きたいお店、アイスが食べたい、蕎麦なら夏バテ中も食べられる?とか。少しでも呪いの話から離れたくて、最後の方は意識して本当にどうでもいいことを話した。それに対して傑は、いいね、今度行こうか、休みいつ取れるかな、と相槌を打ってくれる。傑は優しい。優しいからこうやって話も合わせてくれる。本当は別のことを考えていることなんて手を取るようにわかるけど。それでも、少しでも彼の中で重石になっているものから気を逸らして欲しくて、私はどうでもいいことを話し続ける。空気なんて読んでやらない。私のことで心配なんてかけている暇なんてない。今日だって傑が依頼人と話している間にさっさとひとりで呪いを祓ってしまおう、そう思っていたのに。
「この子たちは、なんで、」
言葉がそれ以上出てこなかった。呪いの気配は明らかに違う場所からしているのに、こちらへ、と通されたのはある屋敷の一室。それはかつて自分が監禁されていた屋敷の空気と異常なくらい似ていて、途中から動悸が止まらなくなっていた。それをなんとか押し殺して通されたそこにあったのは忌々しい座敷牢。その中で抱き合って震える幼い女の子が二人。全身傷だらけで、怯えてこちらを見ているその目には恐怖しかない。
傑、と心の中で彼を呼ぶ。明らかに大きな呪いの気配の方に傑は向かい、村人に呼ばれるまま別行動したことを悔いた。悔いた?なぜ?二人で呪いを祓ってからこの少女たちのところに来ていたらもっとこの子たちを見つけるのが遅くなっただけでしょう?今は私自身のトラウマなんて関係ない。息を大きく吐き出して、意を決してここに案内してきた村人たちに向き直る。
「何してるんですか、早くこの子達を出してください!」
「この二人が一連の事件の原因ですよ、度々襲ってくる化け物です」
こちらで処分できたのに別の人間があなたたちをわざわざ呼んで…とため息まで吐かれた。こめかみが軋む音がして、冷静に、冷静にと自分に言い聞かせる。ドクドクと心臓は早鐘を打つし、呼吸はどんどん浅く早くなる。
PTSDなんてないと思ってたけど、もしかしてこれがそうなのかもしれない。呼吸が苦しくなるが、なんとか毅然と顔を上げ前を見据える。今は私のことなんてどうでもいい。
「事件の原因は今私の仲間が取り除いています。この子たちは無関係です」
そう言い切って、座敷牢の入り口に進む。手のひらに呪力を込めて鍵を引きちぎろうとするが、かなり頑丈なそれは呪力量が少ない私が一気に壊せるものではなかった。思わず舌打ちをすれば、中にいる少女たちが身体を震わせて怯えた目でこちらを見てくる。ああ、この子たちは同じだ。かつての私と同じ。大丈夫、と小さく彼女たちだけに聞こえるように呟けば、後ろで村人たちが喚き始めた。
「勝手なことをするな!そいつらを解放したらまた死人が出る!」
「うちの孫がまた殺されかける!!」
「早くこいつらを殺してくれ!」
だから違う、と言いながら振り返った瞬間だった。
逃さねえ!と男が怒声を上げると同時にガツンと重たい衝撃が頭に響いた。呪力を手に集中させていたせいで反応が遅れた。前のめりに倒れかけながら後ろを見れば、どこから持ち出したのか刀部が三本に別れている鍬を持った男がいた。さっきまで喚いていたうちの一人だ。目が血走っている。こいつ、全力で人の頭を殴りやがった。術師が術式や呪力以外の、ましてや非術師からの物理攻撃を受けるなんて、油断した。油断ではなく、動揺だったのかもしれないと思ったのは、倒れる寸前で身体を支えるべく座敷牢の格子に手をかけた時だった。殴られた瞬間に切れたのだろう、つうっと頭から血が伝って、目に入ってくる。痛い。痛いのは目か、傷か、殴られた頭か。心か。
「この子たちは、連れて帰る。殺さないし、殺させません」
目の前の男を睨んで言ったと同時に髪の毛を引き抜き呪力を込める。いつものように髪を媒体にして構築術式で武器を作ろうとした瞬間だった。
『呪術は非術師を守るためにある』
頭に響いたのはいつかの傑の言葉。柔らかく微笑みながら説いてくれたその正論。
私を攻撃してきた人間は非術師。今その人を呪術で攻撃すれば、傑の言葉に反することになる。そして、余裕がない今、きっとこの人間を、私は殺す。
ほんの一瞬の躊躇だった。振り返って構築した武器で反撃するのは簡単。だけどそれをすれば、私を殺そうとしていた集落の人間たちと同じじゃないか。
完全に振り返れずにいたその時、背中に何かが刺さる感覚がした。ぐしゃ、と嫌な音もする。ああ、もう。ゆっくり後ろを向いた。緩慢な動作。霞む視界に入ってきたのは先ほどの男がもう一度鍬を振りかぶり、私の背に刀部を落とした姿だった。本当、今日はダメな日だな。受け身を取れず顔から床に倒れ込む。もう一人を始末してこよう、と村人たちは外に出ていく。
傑を始末?できるわけないじゃない。傑の心配をする必要は一切なかったけど、かなり衝撃的な瞬間を幼い子どもたちの前で繰り広げてしまった。大丈夫、なんて言ったのに。
格子を掴んで、「お姉ちゃん!」と泣きそうな顔で声を揃えて呼びかけてくる少女たちに、精一杯の力を振り絞って笑いかける。
「大丈夫、今にとっても強い人が来てくれるからね…」
ごめんね、弱くて。
そう言った瞬間、頭の傷よりもずっと背中の傷が重症だと悟る。燃えるように熱い背中。三本の刀部で刺された傷はかなり深い。脈打つたびにどくどくとそこから血が溢れ出ている。内臓までいってないといいんだけど。それよりも、流れ続ける血をなんとかしないといけない。広がり続ける血は少女たちの座敷牢の床にまで侵入している。この量は、やばい。
パチパチと目の前に星がちらつくとはこのことなのか。視野が狭窄してきて、気を抜くと意識がもっていかれそうだ。まずは刺された背中の傷を止血しないと、傑が来る前に遅かれ早かれ死ぬ。…傑は私のこの姿を見てショックを受けるだろう。というより、最後の彼の理性を切ってしまうかもしれない。私が弱いばっかりに。ついてこなければよかった。結局私は足手纏い。
「…ごめんね」
小さく口の中で呟いてから細く息を吸って、床に広がる自分の血に手のひらを浸す。やったことないけれど、呪力は血液にも溶けているから、きっと思い描いていることができるはず。術式の解釈を広げろ。一種の賭けだ。手のひらにまとわりつく血液を、別のものに変える。血を媒体にした構築術式。脳内でイメージするのは、赤は赤でも血液ではない赤。熱い、火。その瞬間、手のひらが燃えた。ひっと子どもたちが後ずさる気配がする。急がないと熱で指が溶けてしまう。急いで傷口に燃える手のひらを乗せる。じゅうっと肉のこげる音と、全身に走る激痛で声にならない悲鳴が喉の奥から出そうになるが必死に耐えて空いている右手で床が掻く。爪が割れて、折れる。ベリっという爪が皮膚から剥がれた音がした瞬間、頭の中で何かが弾け飛ぶ。意識が途絶えた。もう熱さも痛みも何も感じなかった。
・・・
呪霊を祓い、あぐりと合流しようと彼女と別れた場所に向かえば村人たちがそこにはいた。事件の原因は取り除きましたよ、と能面の様に笑顔を貼り付けて言えば、まだいる、と言い出した。
猿が何を言うのか、しかしあぐりが戻ってきていないので彼女が案内されていた屋敷の中に向かう。
嫌な予感がした。屋敷の中に一歩踏み入れると、血の匂いと、弱々しいあぐりの呪力を感じた。は?と混乱し始める頭をなんとか働かせながら、呪力を追って急ぎ足でその方向へ向かえば。
血溜まりの中倒れ込むあぐりと、座敷牢で身を寄せあって震える少女たち。
二年前のあの忌々しい光景が否応なくフラッシュバックした。
あの時座敷牢の中で傷だらけで倒れていたあぐりは、今は座敷牢の外で倒れている。血まみれで、意識を失っていても痛みからか顔を歪ませていた。血溜まりの中で光る黒い何かが目に入る。あぐりが術式を発動する際、媒体にする彼女の髪の毛だ。呪力量が決して多くない彼女は、いつも自分の身の何かを媒体にして武器を構築する。手っ取り早く髪を使うのが良いと本人も言っていたし、引き抜いた瞬間武器は構築できるので、通常であれば非力な非術師…猿になどに遅れを取ることはまずない。
ということは。考えられるのは、彼女が非術師を攻撃するのを躊躇したということ。
傷を負わされている中、呪詛師でもない人間を傷つけていいのか。きっと優しい彼女はそう考えたのだろう。
『私は非術師を傷つけないよ、呪術は非術師を守るためにあるもの』
いつかの任務で彼女が言ったそれは、いつかの自分が彼女に説いた言葉だった。
あぐりは、その信条を貫いた。その結果が今の惨劇。血の海で顔を歪めるあぐりが視界に入る。呻く声が耳に届いた瞬間、ぷつっと脳の奥で何かが切れた音がした。
何かが振り切れたら、恐ろしいほど頭がクリアになるんだなとその時はじめて知った。
村人と何か会話した気がするが、猿の言語は理解できなかった。呻くあぐりに視線を再度送り、怯える少女たちには呪霊を使って大丈夫と言い聞かせた。
そこからはあっという間だった。
外に猿を連れ出して、手持ちの呪霊で村落の猿共を鏖殺した。あぐりの村の猿共にも同じことをすればよかった。この後殺しにいくか。外に放った呪霊たちが猿共を食っている間、部屋に戻ってぐったりしているあぐりを抱き上げる。背中には焼き爛れた跡がある。手のひらも焼き焦げていて、彼女が構築術式で自分で傷を焼いて止血したことが窺えた。彼女がこんな目に遭っているのは私がかつて唱えた正論と思っていた呪いの言葉のせい。そして、何よりも猿共のせい。猿は嫌い。それが私の出した答え。
「…あぐり。行こうか」
彼女の爛れた手のひらをそっと撫でて、血で濡れた頬を指の腹で拭ってやる。残暑が厳しくて上着を置いてきてしまったので、あの時のように制服をその身体にかけてあげることはできないけど。大量の血液が失われて冷えている彼女の身体をしっかりと掻き抱いて、自分の体温を彼女に移す。早く手当をしなければ。
座敷牢の鍵を壊して、少女たちにもついておいでと呼びかけた。お姉ちゃん大丈夫?とあぐりの心配をしてくれる。優しい子たち。呪術師はやっぱり猿共とは違う。
早く、こうすればよかった。
何を迷っていたんだろう。
猿は嫌い。
術師を、あぐりを傷つける奴らは生きる価値などない。
血に濡れたあぐりの額に自分の額をぶつける。冷えているけれどちゃんと生きているあぐりの体温を感じて、小さく息を吐いた。
「君を生かすよ」
私の作る世界の中で。
記録 2007年9月
◾️◾️県◾️◾️市(旧◾️◾️村)
任務概要
村落内での神隠し、変死
その原因と思われる呪霊の祓除
・担当者(高専3年夏油傑、常盤あぐり)派遣から5日後、旧◾️◾️村の住人112名の死亡が確認される
・全て呪霊による被害かと思われたが、残穢から夏油傑の呪霊操術と断定
・夏油傑は逃走。呪術規定9条に基づき呪詛師として処刑対象となる
・なお、残された大量の血痕の一部が常盤あぐりのものと断定。血液量から致命傷を負ったと考えられる。既に死亡もしくは夏油傑に拉致されたものと推定する。生死不明につき処分については保留とする
END
(20230704)
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