不死の庭先


ある夏の日、夏油とあぐりが任務中行方不明になった。
特級呪術師がついていながらふたり揃って行方不明など前代未聞で、高専を中心にかなりの騒ぎになっていた。
しかしその数日後明らかになったのは、夏油が任務先の集落の住人を百人以上殺し、さらには実家の両親も手にかけていたということ。別の意味で大騒ぎになった。さらに現場にはあぐりの大量の血痕が残されていて、呪詛師として認定されたのは夏油だけであぐりは生死不明により処分保留になっているとのことだった。

あの夏油がね…と、喫煙所で煙草をふかしながら空を見上げる。五条は現実が受け入れられないのかパニックになっていたし、高専内も前代未聞の出来事に混乱状態が続いている。なんとなく、夏油の様子がおかしいのには気づいていた。けれど“親友”の五条が何も言っていなかったし、少なくとも今回の任務にはあぐりが着いていったから大丈夫だと思っていた。あぐりがいれば夏油はあぐりを最優先で行動する。ある意味あぐりは夏油の防波堤だったのだ。そのあぐりに何かあったのなら。こんなことになってもおかしくはない。

混乱が続く高専の空気は最悪で、あの鬱々とした状況から逃げ出したくて新宿まで出てきた。そういえば、この夏は特に忙しかったからあぐりとも出かけられていない。次の休みには伊勢丹にでも行って、入るだけ入って手をつけられていない給与で服やアクセサリー、メイク用品を爆買いしようと約束していたのだけれど。あぐりはよくわからないから硝子選んで!て言ってたっけ。
肺まで煙を取り込んで、はぁ…と吐き出す。まだ吸えるけど、なんとなくそれを灰皿に押し付けて新しいものを咥えた時だった。

「火、いるかい?」

思わずいつものように、よろしく・と返事をしてしまいそうなほど自然な声音だった。つい最近まで一緒に机を並べて授業を受けていた同期が全身黒づくめの服装で立っていた。制服ではない。いつもまとめていた髪は下ろされていた。

「や」

挨拶のつもりか。右手をあげて胡散臭い笑顔でこちらを見てくる夏油に、煙草を手に戻して首を傾げながら言ってやる。

「犯罪者じゃん。何か用?」

差し出されるライターから火をもらう。煙草を吹かしながら適当に会話のラリーを重ねながら、一応冤罪ではないか聞けば残念ながらそうではないとのことらしい。まあそれはわかっていたことだけど。重ねて一応、なんでそんなことをしたかを聞けば、それについてもしっかり答えてくれた。会話しながら五条に連絡する。どうせすぐに奴はやってくるからこちらもさっさと退散しなければ。けれど今一番聞きたいのは、聞かなければならないことがまだ残っている。

「なあ。あぐり、どうしてる?」

高専内、特に上層部は、あぐりは任務中に殉職したか夏油によって殺されたかのどちらかだろうと話を進めていた。残された血痕の量から生きているわけがないと。しかし、ふたりに近しい者たちの考えは違う。七海なんてもう全てどうでもいいといった顔をしながらも「あぐりさんは生きてるでしょう。夏油さんがあぐりさんを殺すわけないし、たとえ殺されてたらあんなものでは済みませんよ」と言っていた。その全てに同意する。
夏油は、そのことなんだけどさ、とこちらを向いた。あ、空気が変わった。

「硝子にお願いがあるんだ。あぐりを治してほしい」

そんなことだろうと思った。このタイミングで夏油が私に接触してくる理由はあぐりのこと以外説明がつかない。だと思ってたけど、とこちらも相槌を打てば、住所を書き連ねた紙を渡される。さしづめここにあぐりはいるのだろう。

「猿に大怪我させられてね。手当はしているんだけど、ちょっとこのままだとあぐりもしんどいし。頼むよ」
「猿ね…まあいいや。…ねえ、私があの子を連れて高専に駆け込む可能性とか考えてないわけ?」

住所の紙を見ながら聞けば、呪霊を部屋に見張りとしてつけてるから・と悪びれた様子もなく答えられた。そこまでやるかとひとつ舌打ちをする。あぐりの居場所はここから電車で一時間程度。遠いから送るよ・と夏油はこちらの考えを読んだのかそう言ってくる。送る・と言うのはどうせ彼の保有する呪霊で、という意味だろうが。夏油の呪霊の残穢をつけて高専に帰れば色々面倒なことになるやもとも思ったが、今ここで顔を合わせているのだから残穢は普通につくだろう。それよりも早めにあぐりのところに行く方が先決だ。全てわかってこいつやってんな、ともう一度舌打ちをひとつ。煙草を灰皿に押し付けて、ふうっと吐き出した煙をクズの顔に吹きかけてやった。

「…殺されたくないし、あぐりの治療したらすぐ帰るわ。五条来る前に行くから早く案内しろ」
「助かるよ。あとね、保護した双子の女の子もあぐりと一緒にいるから、その子たちの傷も診てあげてほしい」
「あ?ハーレムでも作る気か?」
「はは。私にはあぐりひとりいればいいから」

路地裏に連れて行かれて、じゃあね、と夏油が取り出した移動に特化した呪霊に乗ってその場を離れる。もう二度と会うことはないんだろうな、なんて思いながら、私は呪霊に導かれるままあぐりの元に向かった。


・・・


そこは決して綺麗とは言えない古びたアパートだった。ギシギシと軋む階段を登って一番端の部屋を二回ノックする。ドアチェーンをしたまま扉がゆっくりと開く。随分低い位置に同じ顔をした女の子がふたり、そこに立ってこちらを伺っていた。ああ、夏油の言っていた保護した双子か、と合点がいく。
彼女たちは顔を見合わせたあと、私を見て「家入さん、ですか?」と聞いてくる。そうだよ、と肯定すれば、ドアチェーンが外され完全に扉が開いた。どうぞ、と部屋に通される。玄関に置かれているのは夏油のでもあぐりのものでもないふたつの草履。双子の足には随分大きそうだが、彼女たちが履くものが見当たらなかったのでそれを履いてここまで連れてきたのか。…無理やりじゃないよな、保護って言ってたし。そんなことを思っていれば、黒髪の女の子の方が廊下の先の扉を開けて、こっちです、と促してくれる。

「夏油様から聞いてます。あぐり様を治してください」
「夏油様、ね…」

ため息をつきたいのを我慢して、通された部屋の奥に敷かれた布団の上にいるあぐりを確認した。ひどい状況だけど生きている。今度は安堵の息を吐き出して、あぐりのすぐそばに座った。布団にうつ伏せの状態で寝かされている彼女。汚れや血の痕はなかったのでちゃんとそこは夏油が清めて手当てしているのだろう。頭には包帯が巻かれている。他には手のひらと、背中。上半身は何も纏っておらず、胸から背中にかけて広範囲を包帯で覆われていた。そこから怪我を負っている場所は、頭と手のひらと背中と推測できた。特にひどいのは、背中。背中に負った傷に障らないようにうつ伏せ寝なのだろう。顔を横に向けて、時折苦しそうに呻くその姿はとても痛々しい。

あぐり、胸あるからうつ伏せはしんどいよな。

そう思いながら、布団と胸の間に薄いクッションを入れてやって少しだけ呼吸しやすくしてやる。男はこのしんどさがわからないからだめだわ。
そしてそっとあぐりの頭に手のひらを翳した。反転術式を施しながら傷の状態を確認していく。頭は硬いもので殴られたか。大きなたんこぶができている。けれどその傷は大したことなさそうだ。本当は頭は怖いから経過観察をしたいのが本音だけど、夏油がそれを許さないだろう。部屋の隅には一級相当の呪霊が鎮座している。ここまでするかね、と嘆息して、次は彼女の手と背中の包帯を外して傷を確認した。…なんでこんなに手のひらが焼け爛れているのかは、背中の傷を見てすぐに合点がいった。焼いて背中の傷を止血したんだろう。手のひらを使って。
本当にこの子は思ってもみない無茶をする。
その手を握って呪力をこめる。やけどをしてから数日経っているため完全にその痕は消せないだろう。それでも表面ではなく体内の傷なら治せる。治す。額に汗が滲むのを感じながら、じっとその背中の傷に集中した。三つの大きな穴が等間隔に空いた背中は何か鋭利なもので刺されたのだろう。刺されたというか、何かで殴られると同時に刺されたような傷だ。焼け爛れたその周りには赤黒くなった痣までできていて、彼女の白い肌は見る影もなかった。これはそりゃキレるわな、と夏油の気持ちを少しだけ理解できてしまった。
集中して呪力を流し込む。かなりの時間そうしていたと思う。徐々にあぐりの呼吸が落ち着いてきて、呻くような呼吸音がすぅすぅといった寝息に変わった時、翳していた手を放した。うん、もう大丈夫。
額の汗を袖で乱暴に拭って、あぐりの頭をゆっくり撫でる。痛かったね、もう大丈夫だからね、と心の中で呼びかけた。

心配そうにこちらをじっと観察していた双子にも、もうあぐりが大丈夫なことを伝えれば、とてもほっとしたような顔をした。これまで緊張と警戒で固まっていた表情と身体、そして空気が一瞬やわらいで、年相当のふたりを垣間見ることができた。

「おいで。夏油からあなたたちの傷も診てあげてって言われてるの」

ふたりが警戒しないようにあえて夏油の名前を出して順番に傷を確認していく。あぐりに比べたら大きな怪我はなかったけど、全身に広がる痣や傷は長い期間虐待されていたことを如実に示していた。保護、とはそう言うことか。ああ、これがきっかけだったんだなと合点がいく。呪力を持って呪いをみることができる双子を異質な存在として虐待していた集落の人間があぐりにも手を出した。夏油は過去虐待されていたあぐりと双子を重ねてしまったのだろう。最悪なピースがそこには揃いすぎていたのだ。
色々と察しがつくが、それに対して肯定する気持ちにはなれなかった。双子を癒して、最後にもう一度あぐりを診て、鞄を持って立ち上がった。

「帰りは自分で帰った、て夏油に伝えて」

部屋を出ようとすれば双子が何か言いたげにこちらを見てくるが、それを待たずにドアノブに手をかけた。しかし一瞬逡巡して、振り返って双子のもとに戻って鞄からメモを取り出してそれを双子方に押し付けた。

「これ、あぐりが起きたら渡しておいて」

私の名前と連絡先を書いたもの。別に夏油に見られても構わない。あの現場であぐりの壊れた携帯が発見されたと聞いていたから、何かあったら連絡しろと書いて渡しただけの紙切れ一枚だ。双子が夏油が帰ってくる前に処分するかもしれないし、夏油がそれを双子から渡されて燃やすかもしれない。あぐりの手に確実に渡る保証などどこにもなかった。たとえあぐりがそれを手にしたとしても、きっと彼女から私に対して何かアクションを起こしてくることもないだろうけど。…まあ一応、保険みたいなもの。

眠り続けるあぐりの顔をもう一度見る。ここに今彼女がいるのは、夏油が連れてきたからだ。このあと彼女が夏油の元に残るか、高専に戻ってくるかはあぐり自身が選択すること。けれど彼女が夏油のそばから離れるとは考えられなかった。

「あんたともお別れだね」

私はあんたが生きていることも、夏油と一緒にいることも誰にも言うつもりはないし、今日だってここに来ていない。ただあぐり、あんたが幸せならそれでいいよ。
元気でね、と呟いて、今度こそ部屋を出た。


END
(20230711)



back