君死にたまふこと勿れ
ひとりでの遠方…東北への出張は久しぶりで、三日間詰め込まれていた任務が終わり新幹線を待ちながらノートパソコンで報告書を作成している最中だった。東北ということもあり補助監督の送迎も断って完全にひとりで移動してひとりで任務をこなしひとりで宿泊先に向かい…と普段の補助監督のサポートが大変ありがたく感じるくらいには結構疲れている。しかし時間を無駄に過ごすのは勿体無くて、今もこうやって新幹線ホームのベンチに座ってパソコンで作業してしまっているのだから、私も大概ワーカーホリックだ。
今日は自宅に帰ってゆっくりできるかな、七海はまだ任務かな、何時頃帰れそう?と彼にメールで予定を尋ねようと思った時だった。ポケットに入れていた携帯電話が着信を告げる音を鳴らす。普段はマナーモードにしているのだが、今日はたまたまスイッチが切り替わっていたらしい。新幹線に乗ってから鳴らなくて良かったななんて思いながら表示された画面を見ると、まさに今予定を聞こうとしていた七海からだった。七海も任務終わったのかな?
「もしもし七海?」
『楓、あなた任務終わりましたか!?』
珍しく挨拶もなく焦った口調の七海に、只事ではないとパソコンの電源を落としてホームのベンチから立ち上がる。移動しながら「終わって今新幹線待ち」と短く告げれば、『今からこちらに飛んできてください。怪我人がいる』と言う。鞄にノートパソコンを仕舞い代わりにタブレットを取り出して、呪術師たちの任務予定を共有しているスケジュールを確認すれば彼はここ数日都内でひとり行動しているように見受けられた。
「今から飛ぶ。怪我人って?」
『それは合流してから説明を』
「了解。ちょっと待ってて」
いきなり人が消えたとなれば大騒ぎになる。人混みを掻き分けてホームに向かう階段下に設置されていたATMの陰に隠れる。ここならしっかり死角だ。手印を組んで、術式発動・と小さく呟いて、頭の中の七海の呪力を握りしめる。私の術式、瞬間移動は既知の呪力の先に飛ぶことができる。頭の中に引き出しがあって、その中で名前とともに呪力が保管されているイメージ。誰のところに飛んでほしいと言われてその人の呪力を引き出しから探り当てられればすぐに飛べるが、呪力を知らない人や本当に大昔に一度だけ会いましたレベルの人の呪力は脳の奥深くへと封印されてしまうらしくてなかなか飛ぶことは困難だった。
けれど七海の呪力は誰よりも近くで浴びてきたから、取り出すのも一瞬。飛ぶのも一瞬だ。術式を発動させた瞬間、私の身体はその場から消える。どこを通っているかわからないけれど、気づいたらそこは学校の校庭だった。周囲を見渡せばそこは高専ではなく、一般の学校のようだった。
「七海!」
少し離れたところにいた七海に声をかけると、彼は膝をついていた。私の声に気づいて顔を上げる。こっちです!と七海は声を張り上げた。私は持っていた鞄をその場に置き捨てて彼のもとに駆け寄る。その時、彼の足元にうつ伏せで倒れている少年がいることに気づいた。高専の制服を着ているが、その顔に見覚えはなかった。え?と一瞬逡巡していると、七海が「説明は後で。特級とやり合って全身傷だらけです」と学生の状況を説明してくれた。
私も彼の隣に膝をついて、その子の状況を確認すると同時に反転術式で彼の体に呪力を注ぎ込む。この子、この状況で戦ってたの?!と思うくらいの傷だ。呪力もどんどん吸い取られるかの如く、反転術式を施しても施してもなかなか回復してくれない。じわっと額に汗が滲んで、羽織っていたジャケットをその場に脱ぎ捨てた。全身が熱い。流石に三日間フルで任務をして、東北からここまで飛んでいきなり反転術式コースは結構な量の呪力を消費してしまう。目の前がチカチカしてきたが、今反転術式をやめればこの子がもつかわからない。だから七海も彼を高専に運んで硝子先輩に診せる前に私を呼んだのだろう。正直、その判断は正解。
「楓、申し訳ない。最低限の状態まで治してもらえたら高専に運びます」
「いやいや、全然良いんだけど、この子何?なんでこんな怪我で戦えてたの」
七海の言う最低限が遠いのだ。全身穴だらけ。何に貫かれた?ちらりと七海の方を伺えば、珍しく任務中なのにサングラスはしておらず、彼も彼で怪我をしている。ごめん、先にこの子を治してからじゃないと七海の方は治療できない。ふたり同時に治療できるほど私は器用じゃないし、ちょっと今本当にそれを試す余裕もなかった。
「七海、ちょっとさ、なんか話してないと倒れそうだから、まずこの子誰か教えてくれない?」
集中してた方が効率良いんだろうけど、今もう目の前がチカチカするのよ、とわざと大したことないように言えば、彼は思いっきり眉を顰めた。私のことを思うと反転術式を止めたい気持ちと、止めたらこの子が危ないという両方の気持ちがせめぎ合っているのだろう。私は大丈夫、あとちょっとだし・と補足すれば、七海は諦めたようにため息をついた。
「虎杖悠仁。宿儺の器です」
「…は?いやいや、亡くなったって聞いてたけど」
「生きてたんです。この事実を知っているのは、五条さん、家入さん、伊地知君、そして私だけです」
「まじかー。そりゃ補助監督呼ぶにしろ伊地知君に来てもらうしかないもんね」
生きてたんだね、良かったね。と呟きながら反転術式を続ける。まだあどけなさの残る少年だ。この傷、きっとすごく頑張ったんだろう。特級は逃してしまったと七海は悔しそうに言っているけど、特級だもの。そんなの五条先輩になんとかしてもらうのがいい。うん、絶対そう。
「七海の傷は?大丈夫?」
「ええ、私は平気です。死にかけましたが」
死にかけた。七海から滅多にでないその表現に思わず顔をあげた。ちょうど反転術式の発動を終えるタイミングだったので、虎杖君の様子を伺えば苦しそうな呼吸は落ち着いてくれていた。うん、もう大丈夫。
で、だ。死にかけたと言うのはどういうことなのか。何があったのか聞けば、特級が進化して領域展開を繰り出してきてしっかりそれに巻き込まれたと言うのだ。それを何にもないように言うので、思わず私は喉が締め付けられたかのようにひゅっと変な声を出してしまった。
「また報告書にあげますが、ツギハギ姿の人型呪霊です。触れられたら最後、魂に干渉して殺される。その領域に私だけ閉じ込められたので、流石に終わったと思いましたね」
呪力が切れそうになるのを必死に堪えて頭を回転させる。この人、虎杖君の心配をして私を呼んだけど、その直前に自分が死にかけてたんじゃない。わなわなと口が震えて彼を見つめれば、困ったように七海は笑う。でも死んでない・と。
「虎杖君に命を助けてもらいました。領域に侵入してきてくれたんです。呪霊は宿儺の逆鱗に触れてしまったのでしょう」
頭の悪い私はその七海の言葉を全て理解することはできなかったが、とにかく虎杖君が呪霊の領域に侵入してきてくれたおかげで今七海が生きているということはわかった。思わずその首に抱きつけば、彼にしては珍しく仕事中と言うことを咎めずに抱き止め返してくれた。「…きてくれて助かりました」と耳元で囁かれる。今の話を聞いて、疲れてるから来たくなかったなんて心にもないこと言えるはずないじゃない。抱き止められたまま、七海の背中に手を回して反転術式を発動する。私は大丈夫です、後ほど高専で家入さんに診てもらいます、という彼の言葉は無視してやった。何が平気だ。さっき死ぬところだったというのに、怖かっただろうに。何をそんなに平気な顔をして、大人として子どもを守っているのか。それよりも。
「あなたは怖くなかったかもしれないけど、その話聞いて私が怖くなかったと思う?」
まごうことなき本音だ。もし七海が死んでいたら、と思うと心臓がどくどくと早鐘を打っておさまってくれない。仮定の話ではない。それに直面していたことをなんでもないように聞かされたこちらの身にもなってほしい。
「私たちはお互い死なないための重石なんでしょ。こんなに早く死なないで」
反転術式の発動を解いて、今度は七海の顔をしっかり見てから告げる。地面に置かれていた彼の左手に自分のものを重ねて、お揃いの指輪を指で撫でた。これは証だ。夫婦になってお互いの命の重石となって、生き急ぐことのないようにと。その約束の形。
七海はそこに視線を落として、申し訳ないと素直に謝ってきた。そして、虎杖君を治してくれてありがとうと。聞けば彼は七海の命の恩人じゃないか。本来なら目が覚めるまで治療してあげたいところだが、ちょっと本当に自分自身が限界に近かった。ここで倒れたら身も蓋も無い。
「家で待ってるから。ちゃんと帰ってきてね」
七海の肩に手を置いて、膝立ちになる。そしてそっとその額にキスをする。私がここに来ていたとなると色々と説明が面倒になるのは目に見えているので、先に帰るねと立ち上がった。ひとりで大通まで出てタクシーをひろうのが一番だろう。高専に行くのは明日でいいかな。
「また後でね」
振り返りながら七海に手を振れば、彼は柔らかく笑って、後程家で・と言った。
ちょっと今日はもう何かを作って彼の帰りを待つ体力はない。せめて起きて待っていられたら…と思いながら捨て置いていた鞄を拾って帳の外に出る。フラフラする足を叱咤しながら、タクシーをひろうべく通りの方に向かって歩くことにした。
END
(20230713)
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