2018年10月31日
2018年10月31日、渋谷。
それは絶対に忘れることができない、人生最悪の一日。


「電波は?」
「断たれています。連絡は帳を出て行うか、補助監督の足を使ってください」

東京メトロ渋谷駅 13番出口側("帳"外)。
帳外のため私の携帯の電波はしっかり入っていて、時刻は20時14分を指していた。色々な感情が籠ったため息をひとつ吐き出してからポケットにそれを仕舞う。

「随分と面倒なことになっていますね」

隣の七海の言葉に私も頷きながら、難しそうな顔をした伏黒くんと先輩風を吹かせている猪野くんを尻目に、伊地知くんの手に固く握られた彼の携帯を見た。ぎゅうっという効果音がつきそうなくらいしっかり握られたそれと彼の真剣な声音から、事の重大さが窺える。

今日は珍しく七海とお互い定時で上がれたので、家でゆっくり料理をして夕飯を食べようと高専で合流後食材調達のため買い物に行った。少し冷え込んできたしビーフシチューなんてどうかなぁなんて話しながら七海が押してくれてたカートに食材を放り込む。途中時間をかけてふたりしてワインを吟味し、二本くらい空けちゃう?なんてイタズラをする前の子どものように目を合わせて笑ったりした。お気に入りのパン屋さんにも閉店滑り込みで入ってフランスパンを調達できた。その帰りにレンタルDVD店にも寄って、映画館で見損ねていた映画のDVDをレンタルして、明日は任務が午後からだから少し夜更かしでもしようかと話していたところだった。お互いの携帯がほぼ同時に鳴って、学生含めた呪術師の緊急招集を告られた。触りだけ情報を聞いた瞬間、ただの任務ではないとまな板の上で切っていた野菜もそのままにふたりで自宅を飛び出した。渋谷で詳細を聞いて、ああこれは長くかかるな・と思った。長くどころではない、一般人を巻き込んだ未曾有のテロじみたもの。切りかけだった野菜も帰宅後はきっと乾いてしまって食べられなくなっているなぁなんて呑気なことまで頭によぎる。それはまるで現実逃避のよう。

「でもしばらくは待機なんでしょう?」

腕を組みながら伊地知くんに問えば、「上は被害を最小限に抑えるために、五条さん単独での渋谷平定を決定しましたので…」と眉を下げて言う。我々は帳の外側で待機し、五条先輩のこぼれ球を拾う。それが上が下した決定。五条先輩が突入する前に帳内の様子を見にいった日下部さん曰く、地下には特級呪霊がゴロゴロいるだろうとのことだった。高度な結界術と五条先輩が指名されたこと。交流会で襲ってきたという凶悪な敵。それらをひとりでなんとかできてしまうのが現代最強の術師である五条悟だろうが、それにしても、本当にそう上手くいくのだろうかという胸騒ぎが止まらない。

「帳内にいる人に連絡する時は私を使って。私の術式を見越して伊地知くんのそばで待機って言われてるんだし」

私の術式は瞬間移動。知っている呪力を目印として飛ぶことができる。流石に渋谷に集合した補助監督や術師全員の呪力は把握していないが、主戦力の面々の呪力は把握しているし、渋谷内であれば範囲が狭いため何度でも移動可能だ。そして怪我人が出た時は、硝子先輩のところに運ぶ前に私が反転術式で治療してまわればいい。懸念点があるとすれば、複数人での移動、反転術式の多用は呪力切れを招く可能性があること。呪力切れで動けなくなるまで状況が酷くはならないとは思っているけれど。今回私は完全に後方支援に徹する。自分に与えられた役割での動きや懸念点、最悪の場合のリスクなどを頭の中で巡らせる。そして同じタイミングで頭に過ぎるのは、術式、能力などを鑑みて後方支援が最善だとはわかっているけれど、万が一のときのこと。

「楓」

低い声が私の名を呼び、反射的にそちらを見上げた。同じように腕を組んでこちらを見下ろしていた七海が、淡々と言葉を繋げる。

「変なことは考えないで、あなたは後方支援に徹してください。間違っても戦闘に加わることのないように」

七海はサングラス越しに鋭い目を向けてくる。ああもう考えてること全部バレるな、と思わず苦笑い。反転術式を呪霊に叩き込めば一発で祓うことができる。だから連絡役をしながらも状況次第では戦闘に加わった方がいいのでは?と考えていたのだが。

「このまま待機が続いて五条先輩が全部終わらせてくれるのが一番なんだけどね」

七海の忠告にうんともすんとも返事をすることなく別の話題にすげかえて、歩道橋の手すりに身体を預けて空を見上げる。呪術師の出番がない方が当然良い。何事もなく五条先輩がすべてあっという間に終わらせてきて、待機する必要もなかったねなんて笑いながら解散したい。ただそれはきっと無理なんだろうななんて、私の直感がいっている。言葉にしないが色々考えているのがばれているのだろう。七海はまた言葉を続ける。

「呪霊を祓いながら一般人を保護…今夜はやることがたくさんありますよ。気を抜かないように」
「抜いてないよ。だからこそ早く終わらせて帰らないと。DVD、レンタル一泊二日にしなきゃよかった」

今夜見るつもりだったから明日には返却しようと思っての判断だったが、せめて二泊三日にしとけばなぁ、なんて独り言のように呟けば、帰ったら見ましょうと七海がなんてことないように言ってくれた。
そうだね、早く終わらせて帰ろう。
そっと彼の大きな手の甲に自分のものをぶつける。任務中に手を繋ぐなんてことは絶対したくないけれど(公私混同はお互い嫌い)、何故か無償に彼に触れたくなったのだ。かちりとお互いの左の薬指にはめている指輪がぶつかって小さく鳴る。ずっと止まない胸騒ぎ。それを消すためにどうでもいいことを話しているのを彼も察しているのだろう。触れ合った手の甲を彼はそのままに離れないでいてくれた。


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