獣の如く
楓を襲った呪詛師の残穢を追って、渋谷の街を走り抜ける。おびただしい血痕が道の至るところに広がっていて、そこには何人もの補助監督の遺体があった。残された遺体と血痕のそばには楓の残穢が残っていて、この辺り一帯を彼女は飛び回り、息のあるものには反転術式を施し、都度抱えて救護ブースに運んでいたことがうかがえた。

『私ひとりでの移動だと大したことないんだけど、誰か一緒に、てなると何故か異常に呪力消費するの。人数増えるだけなら単純に人数に比例して呪力消費するんでいいのに、そうならないの不思議だよね』

学生時代、頬杖をつきながら不思議そうに自分の術式と呪力消費の関係性について語っていた楓を何故か今思い出す。その時は、「不思議だよね・じゃなくてちゃんと調べて理由を明確にすべきでは」なんて正論で答えた気がするが、理屈じゃないんだよね〜と彼女はあっけらかんとして笑っていた。さらに反転術式は呪力消費が通常の二倍になるという。元々呪力量が多くない楓は、使い方を間違えるとすぐに呪力切れを起こして気絶してしばらく死んだように寝て過ごすこととなる。何度も何度もその姿を見てきたし、呪力切れで動けなくなった彼女を背負って高専に帰ったことだってある。あの日が懐かしいなんて思わないし、今だって無茶なことをやって敵に襲われ死にかけているのは全て楓の責任だ。責任、なのだけれども。
他の術師が同じ状況に陥っていれば、実力不足、もしくは誰か支援できなかったかなどと考えただろう。しかし、楓に限っては。彼女自身の見通しの甘さはあったにしろ、とにかく楓をあんな目に遭わせた奴を許さないという思想が先に来る。そういうところから、彼女は自分の妻でありそこにはしっかりと愛があるのだと感じざるを得ない。

東急付近に差し掛かった時、呪詛師の残穢がより色濃くなってきた。いる。とっくに時間外労働になっていたけれど、ネクタイを緩めて手に巻きつける。

ここか。

中で戦闘が繰り広げられている気配もする。呪詛師と戦うのであれば相手はこちら側の術師だろう。加勢をしなければ。しかし、入り口を探すのも面倒だ。面倒・と思うとほぼ同時に、思いっきり目の前のガラスを蹴破った。カシャアッという音がひどく大きく響いた。そのひび割れて落ちたガラスを踏んで、中に入った。一歩踏み出すごとに自分の中のどす黒い感情がどんどん膨れていく。溢れるのももう時間の問題。

・・・

「いいんだっけ、黒じゃないスーツも殺して」

手に刀を持って、わざとらしく上目遣いでこちらを見てくる男と、その足元に倒れている補助監督の新田。男の前に立ちはだかるのは高専の制服を着た女性。あの子は確か虎杖と同じ一年生。本来であれば冷静に明らかに怪我をしているふたりを守る戦い方を選択するのだが。

こいつか。

ポニーテールの男の呪力は自分がここまで追ってきた残穢と一致する。それすなわち、楓と伊地知を襲い、道中倒れていた補助監督たちを殺し回った人物。手のネクタイをきつく巻き直す。不思議なほどゆっくりと距離を詰めるが、男から視線は一瞬も逸さず観察した。握られた刀の切先は血が滴っている。相手もふざけた顔をしながらもこちらから目を逸らさない。「七海さん…?」と釘崎が呟くがそれに答える余裕はなかった。否、余裕がないのではない。今すぐにでもこの呪詛師をぶち殺したいのを理性でひたすら抑えるのが精一杯だったのだ。

大股で近づいていけば、「いやいや状況見てよ、何勝手に動いてんの?」と男は両手をあげる。女の子が人質に…と言いかけるが、新田はなんとか張ってエスカレーターで上に避難していた。「逃げちゃった」と新田の方に視線をやった男までの距離を一気に縮めて、声を出す。

「仲間の数と配置は?」

我ながら冷静なトーンでだったと思う。瞬間、男は振り返りざま、肩を斬りつけてきた。「知らない」と笑って蹴りを入れられるが、身体がブレることも痛みを感じることもなかった。相手が斬ったと思った肩に傷ひとつついていないし、着ていたワイシャツが少し裂けただけだ。呪力を纏った身体をこのレベルの呪詛師に、不意打ちでもない限り傷ひとつつけられることなどありえない。
そう、呪力が尽きかけて、さらに不意打ちでなければ。
真っ青な顔をして血を吐く楓が脳裏に散らつく。自分を落ち着かせるために相手に悟られないくらい小さく息を吐いて、もう一度繰り返す。

「仲間の、数と、配置は?」
「…知らな」

言い切る前に拳でその顔面を思い切り殴りつけた。男は無様なほど飛んでいき、壁にぶつかって止まった。ガクガクと膝が笑っている。この程度の奴に。舌打ちをしながら男に近づき、逃げようとするそいつの頭を左手で掴んだ。もう一度仲間の数と配置を尋ねるが、知らないとしらを切るので今度は鳩尾に一発。楓が刺された場所だ。拳なので腹を貫通させられないことは残念だが、殴った瞬間肋骨と内臓が潰れる感触がした。血を吐いて倒れかける男の首を掴もうとした時、背後から何かが飛んでくる気配がした。振り向いて対処しようとした瞬間、その気配が途切れる。

「させねぇよ!!」

釘崎が釘を打ち込み、飛んできた刀を撃ち抜いていた。ああ、そうやって刀を自在に操ることができたからあんな短時間で何人もの補助監督を攻撃できたというわけか。楓の刺し傷もこの方法でやられたのかもしれない。釘崎に向かって「空気読めよ!!」と叫ぶ男の首根っこを掴んで身体を浮かせる。拳に呪力を込めて、言葉に呪いを込めて吐き出した。

「ここに来るまで、何人もの補助監督が殺されていました。私の仲間の呪術師も重傷を負っています」

引き攣る男の顔を今すぐ殴りつけたいのを堪えて、とどめの一言を刺した。

「アナタですね?」

こちらを怯えた目つきで見下ろしてくる男は、震える声で、あ、あんた…と話し始める。その視線が一瞬男の首を絞めている左手の指に動いたことがわかった。

「あんたあの女の旦那?!はは!まじで来やがった!でも残念、あの子は俺が殺したよ、くっははっ」

諦めたように笑った男は、次の瞬間謝罪の言葉を発した。しかしそれが言い終わらないタイミングで、7:3で殴り飛ばした。

「死んでませんよ。あの子が、お前みたいなのに殺されるか」

男は完全に気絶したか死んだか。確認するのも時間が惜しい。男の首を掴んでいた手をズボンで拭いて、その手の指輪に目をやった。我ながら冷静さを欠いた戦いをしてしまった。けれど、楓が死にかけているのに冷静でなどいられるものか。
ふぅ、と自分の中に溜まったドス黒いものを息と一緒に吐き出す。
楓がいつもきちんとアイロンをかけてくれるワイシャツをもう一度綺麗に腕まくりし直して、呆然と立ちすくんでいた釘崎に声をかけた。

「新田さんの所へ向かいましょう」

幸いここは帳外。現状の報告の彼女達の保護の依頼も兼ねて家入に連絡をしよう。楓の状況も確認したい。エスカレーターを登って新田の元へ急ぐ。後ろからついてくる釘崎の制服姿は、十年近く前の楓を想起させた。


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