七海と背中を合わせたかと思うと、ほぼ同時に飛び出して目の前の敵を祓う。振り向きざまに七海を攻撃しようとする呪霊も祓えば、私の背後にいた改造人間に七海が鉈を振り下ろす。お礼を言い合う必要は、今はない。永遠にこの時間が続くのか、それはそれでいいかもしれない。さっきまでのように隣に並んで穏やかに会話するのも幸せだったが、こうやって背中を預けて並んで戦えるのだって、幸せ以外の何ものでもないのだ。むしろそれを私は望んだから前線に出ている。そしてふたりで一緒に生きていく。それを、それだけを私たちは望んだのだから。
大きく刀を一閃した時、改造人間たちの血を頭から被ってしまった。しかし一通り視界に入る改造人間と呪霊はもう動いておらず、この場にいる敵を祓い切ったとそこで気づく。ずっと止めていた息をやっと吐き出すことができた。私の正面には改札がある。あれを抜ければここから離脱できる。七海、行こう。そう声をかけようと七海の方へと振り返った瞬間だった。
トン…と何かが当たる音がした。
それは私が何かに触ったわけでも、触られたわけでもなかった。無機物同士のぶつかる音でもなかった。その優しいようでとても怖い音が何なのか理解したのは、七海の正面に現れた“それ”が、七海の胸に手を置いているのを視認した時だった。
『ツギハギ顔の人型呪霊。それに遭遇したら絶対に手に触れないようにしてください』
以前、怪我をして高専に戻ってきた七海が硝子先輩の治療を受けながら報告していた内容を思い出す。今彼に触れているのはまさにその呪霊ではないのか?七海はなんて言っていた?それに触れられたらどうなる?原型の手で触れられることがその呪霊の術式発動条件で。その術式は。
魂への干渉。
魂へ干渉し、私たちが今祓い続けていた改造人間までも造れてしまう術式。触れられて魂に干渉されても無意識に魂も呪力で守っているある一定以上の実力をもった術師が即死することはないだろう。あの時だって、七海は怪我をしたけど自分で立って歩けて話せて…。
でもそれはあくまでも、今の彼のようにひどい怪我を負ってなければ、呪力だってまだたくさん残っていた時点でのこと。
今の、七海は。
ひゅっと吐き出したばかりの息を反射的に吸い込めば、喉がぎゅっと締まる感覚がした。
・・・
胸に置かれたその手を見とめて、正面で穏やかに笑みを浮かべているツギハギに「…いたんですか」と律儀に話しかけてしまった。呼吸するのもやっとだったはずなのに、不思議と今は呼吸が落ち着いて、頭も恐ろしいほど冷静になっている自分がいた。「いたよ、ずっとね」と答えるツギハギの声が耳を通り抜けて、今ここでこの呪霊に触れられたのが自分で良かったと思った。どうしてそう思ったのか。そう、すぐそばで共に戦っていた彼女。楓が触れられていなくてよかった。一番に思ったのはそれだった。
「ちょっとお話するかい?君には何度か付き合ってもらったし」
ツギハギの言葉を無視し、楓は無事かと彼女の方に視線を向ければ楓は全身返り血を浴びてその場に立ちすくんでいた。目を見開き、口は半開き。顔面蒼白。呼吸を忘れたようなその姿が痛々しくて、せめて息を吐いてほしいと思った。
自分の視線を追うようにツギハギも楓の方に顔を向けた。ああ、と何か合点がいったように自分と楓を交互に見たツギハギは、首を傾げながら明るい声で言った。
「あの子が君の奥さんか。ふたりとも、最期に愛の言葉でも囁いとく?」
ふぅ、と楓から視線を外し、焼け爛れた左手を見る。指輪はまだそこにしっかりあった。
灰原。
かつての同期に呼びかける。途端頭の中を巡るのは三人で過ごした高専時代のこと。いつも一緒にいた。いつも三人一緒だった。早く楓に告れば良いのに!と言われた日のことを思い出す。余計なお世話ですと一蹴したくせに、結局あなたの墓の前でプロポーズしましたからね。灰原、あなた特等席で私の一世一代の告白を見れたんですよ。感謝してほしいくらいです。
…感謝。そうだ、灰原。私は結局何がしたかったんだろうな。逃げて、逃げたくせに。やりがいなんて曖昧な理由で戻ってきて。やりがいと、楓を守るために、戻ってきたのに。守るどころか、結果私は楓を不幸にする。
世界が一瞬白くなった。その時、目の前に現れたのは学生時代の灰原だった。大きな、人懐こい目をした大切な友人。彼はにっこりと笑ってから顔を横に向けた。それにつられれば、そこにいたのは先ほどから表情を変えない楓。もう今更だよ灰原。楓に言うことも、伝えることなんてない。これまでたくさん囁いて、そしてそこには呪いの言葉だって混ぜてきた。これ以上彼女を自分に縛る必要はないんだ。
楓と目が合う。もう視力が失われつつある。ぼやける視界の中で、彼女の見開かれた瞳が大きく揺れた気がした。ゆっくり、楓が口を開く。わなわなと唇を震わせて、その姿はまるで生まれたての赤子が泣き出しそうな様で。
「…建人」
目を見開くのは今度はこちらの番だった。小さく、けれどしっかりと呼ばれたその名前はまっすぐ耳に飛び込んできた。ああ、あなたはそんな風に優しく私の名前を呼んでくれるのですね。あなたは、楓には本当に。いつも驚かされてばかりだ。
今自分ができる精一杯の笑みを浮かべて彼女にそれを向ける。あなたの記憶に残る最期の私がこんな醜い姿で申し訳ない。けれど、私が望んだことをあなたは叶えてくれた。これ以上何も求めるものはない。
灰原がそれを見届けて、今度は手をあげ指を差す。改札に飛び込んできた、虎杖の姿がそこにはあった。ナナミン!!と叫ぶ彼の声に、楓も反応して振り返った。彼女の切り揃えられた髪が舞う。ああ、その綺麗な髪も好きだった。もう撫でることができないのが残念だ。そんなことを思いながら、楓越しに見える虎杖を伺う。虎杖の身体には目に見える傷はない。ああよかった。子どもが理不尽に苛まれて苦しむ姿は見たくない。
なのに、灰原は虎杖を指差したままだった。
駄目だ灰原。それは違う。言ってはいけない。それは彼にとって“呪い“になる。けれど。
「虎杖君」
その声に反応して楓もまた虎杖と同じようにこちらを向いた。虎杖に視線を移す前に、もう一度、楓を見つめる。
あまり泣かないでほしい。泣くなら、誰かに抱きしめてもらってほしい。決してひとりで楓が泣くことがありませんように。
「後は頼みます」
瞬間、全てが弾け飛んだ。最期の最期に見えたのは、ぼろっと涙を溢れさせた楓の姿だった。
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