美しい名前
七海が死んで一月も経っていないのに、渋谷での出来事を境に状況は酷くなるばかりだった。あの日私は気絶するように眠ったらしく、全てが終わった後に状況を知らされた。
五条先輩を封印した獄門疆を夏油先輩の身体を利用した呪詛師が持ち帰ったこと。その呪詛師により、死滅回游なる呪術を与えられた者達の殺し合いがはじまったこと。
私の身に起きたことは、呪術界で起こっている出来事に比べたら些末なものでしかない。だって一術師であった七海がひとりいなくなっても世界は回っているし、呪術師に死はつきもの。こうやってまた殺し合いが繰り広げられる。そして七海がいつも子どもは大人に守られるべきと言っていた、その子どもたち…学生たちが前線で戦っている。私もいつまでも拗ねた子どもように寝てばかりはいられなかった。



「いやー、俺たちもついに四人になっちゃったね」

獄門疆から解放された五条先輩は、高専の霊安室のベッドにあぐらをかいて座っていた。この人がほんの二週間ちょっといないだけで一変した世界。七海も五条先輩の封印が本当ならこの国の人間全てが終わると言っていたけれど。ある意味本当だったな。ああ、七海が言うことは間違ってなかったななんてことを思いながら、ぎゅっと手を握りしめて先輩たちの会話を聞く。

「七海はなんやかんや生き残るタイプだと思ってたんだけどな」
「…すみません…」

その五条先輩の発言に一番に反応したのは伊地知君だった。なんでお前が謝るんだと問われた彼は、私の方にも視線を向けてから泣きそうな顔をして「七海さんが亡くなったのになんでオマエがと言われた気がしたので…」と言った。
私が目覚めた時、回復した伊地知君は泣きながら頭を下げてきた。自分なんかに使う呪力があれば、七海さんを助けられたのに・と。その時咄嗟にそんなことないよとは言えなかったダメな先輩を許してほしい。伊地知君を困らせるなと七海に怒られる。けど、そんなことないと答えられなかっただけで後悔は本当に全くないのだ。七海を生きて連れて帰れなかったのは私の実力不足と判断ミス。ただそれだけ。
なんとなくその場に居づらくなって踵を返そうとすれば、その背に硝子先輩が「楓?」と声をかけてくれる。

「怪我した学生たちの様子見てきますね」

霊安室から出るタイミングで猪野君とすれ違う。七海のことをとても慕ってくれていて、よく二人で飲みに行っていたし、私も何度か同席した。きっと今後彼は優しさから私を食事に誘うことはあってもそれは気遣いからなのだろう。そして絶対七海の話題は出さない。
そんなことを思うのも嫌で、霊安室の扉を閉めると同時に大きく毒にまみれた息を吐き出した。


・・・


「楓。お前、もう平気なの?」

反転術式で怪我人の治療を終え、間借りしている高専の寮の部屋へ向かう途中、五条先輩と鉢合わせた。渋谷での出来事を境に自宅には帰っていない。レンタルしっぱなしの映画の延滞料、すごいことになってるんだろうな。けれど、東京自体が壊滅状態なのでそんなのもう有耶無耶になってそうだ。作りかけの料理も腐って異臭を放ってそうだけれど、そもそも自宅は無事なのか。位置的に死滅回游に巻き込まれていてもおかしくない。

「平気なふりしてます」

にっこり五条先輩に笑いかければ、彼は、はは!と笑う。私の言葉にこんな風に反応することができるのは彼くらいだ。他の人は腫れ物に触わるように接してくるから。無理もないけれど、私は別に特別扱いも何も望んでないんだけどな。でも、少しでも気を抜けばあの日のあの情景を思い出して表情がこわばってしまうのは自覚していた。きっと私の知らないところでいろんな人がこの顔を見ているのだろう。気遣うなという方が無理なのやもしれない。

「お前らしいね。でもこれ以上無理すんなよ。先輩命令」

お前ほとんど寝ないで術式使いまくって治療し回ってんだろ。と五条先輩は続ける。彼の言う通り、何かをしていれば気がまぎれたので、死滅回游にあえて参加してコロリー間を飛び回っていた。私の術式はコロニー間の移動が可能なようで、憂憂君と一緒に連絡係も兼ねて高専関係者の間を行ったり来たり。その度に怪我が増えているみんなを癒してまわっていた。それを五条先輩も聞いたのだろう。今も、呪力ほぼ空じゃん!と六眼で一瞬で見抜かれた。そう、呪力がほぼ空になってしまったから今日くらいベッドで横になろうと思って部屋を目指しているのだ。眠れるかは別として、来るべき戦いに備えようと。
無理するなよ、という彼の言葉は私に全く響かないどころか、なんだか滑稽で笑ってしまった。

「優しいじゃないですか、五条先輩。いつもなら寝ないで働けーって言うのに」
「いやさすがにそんな顔してるお前には言えないよ。七海にブチギレられる」

七海の話題が出て、思わず身構える。

「もう戦わねえの?」

綺麗な顔だな、とぼんやり思いながら五条先輩を見返した。戻ってきた彼はアイマスクもサングラスもしていない。何か常に警戒しているような様で。こんな風に私と話す機会だってこれまでほとんどなかった。あえてここに彼はきた。そんな察しがつく。私は少し考えて口を開いた。

「七海に、自分に反転術式使えなくする縛り結んだことバレたんですけど、術師辞めるか医師免許取って医師になれ、もう前線に出るなって言われちゃいまして」
「はは!相変わらず過保護だねぇ。で?まじで硝子みたいに楓も医師免許とってそっちに専念すんの?」

確かに私は死滅回游に参加はしたが戦闘を行なっていない(点数も術式を剥奪されないように乙骨君から分けてもらった1点のみだ)。それは五条先輩も聞いているからの質問だろう。戦わない、つまりは前線に出ない。術師でいることを辞めるようなものだ。私は、小さく首を傾げて笑んだ。誰からも聞かれなかったから答えなかっただけで。本当はとっくに決めていたのだ。

「取れませんよ医師免許なんて。私の頭の悪さ、五条先輩だって知ってるでしょ。…戦いますよ、これからも。前線にも出ます。だって自分を治せない以外何も変わってないどころか呪力量上がってパワーアップしたのになんで引退しなきゃなんですか。勿体無いにも程があります」

ペラペラと、誰かに聞かれるのを待っていたかのように私の口から言葉が次々と滑り出てきた。聞かれなかっただけで自分からもう戦わないなんて言ったことない。きっと死滅回游での様子を見て、みんな私がもう前線に出て戦わないと思っていたのだろう。なんでよ。あれは私の役割に徹しただけ。術師である以上、術式を持っている以上、戦うのが私に課せられた使命よ。

「七海の言ったこと、丸無視じゃん」
「今更ですよ。言われただけで私もわかったなんて一言も言ってないですしね。…ああ、でも、この戦いが終わったらクアンタンに移住するんで、そしたら流石に高専からは外れてフリー術師に転向ですかね。依頼された任務をしたいときだけ受けて、あとはのんびり過ごすんです」

これは七海と約束したので、と言えば、五条先輩はその大きくて綺麗な目を細めて、いいんじゃね?と否定することも止めることもしてこなかった。僕としては優秀な後輩がいなくなるのはつらいけど、と前置きをした上で、彼はすれ違いざまに私の肩に手を置いた。そして聞こえるか聞こえないか、きっと私以外の人間がそばにいたら絶対に聞こえないくらいの声量で言った。

「お前らの人生だし、好きにすればいい」

おやすみ、と後ろ手を挙げながら去っていく彼の背を見送りながら、お前ら、と言ってくれたことに少し笑んで、その去り行く背に向かって「私たちが好きにするためにも、勝ってくださいね」と声を投げた。これは五条先輩への呪いの言葉になってしまうだろうか。でも、私は七海との約束を果たさなければならない。クアンタンの海辺に家を建てて、本を読んで、映画を見て、これまでの時間を取り戻すように過ごす。好きな依頼だけを受けて好きなときに呪いを祓いに行って、あとは好きに過ごすんだ。…七海と一緒に。
七海の指輪は、今は私の首にネックレスとしてかかっている。少し焦げたそれを手に握り込んで、五条先輩にも頑張ってもらおうね、私も頑張るから・と七海に指輪越しに声をかけた。




全部全部全部終わったら、あなたとの夢を叶えるからね。
皺皺の可愛いおばあちゃんになるまで好きなことをして生きるの。天寿を全うしたら天国に行って。
待っていてくれているであろうあなたを見つけて。

「足掻いてでも生き延びたよ」

とその約束を果たしたことをちゃんと報告するからね。

そして、もう一度私はあなたの名前を呼ぶ。
あなたの美しい名前を呼ぶ。

だから、それまでは。


術式で移動した先にいた術師の治療をしていたら、不意打ちで呪霊が襲ってきた。ひっと声を上げた怪我人の前に立って、私は七海の鉈に呪力を込めてその呪霊を一刀両断にする。返り血に頬を汚され、乱暴に袖でそれを拭った。


私は戦い続けるよ、呪術師として。
足掻いてでも絶対に生き残るから。


課せられたその呪いの言葉は、いつまでも私を縛り続ける。あなたにもう一度会うその日まで。


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【タツナミソウ…私の命を捧げます】


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