無垢な毒

ノエルの様子がおかしい。
廊下で彼女の後ろ姿を見つけ声を掛ければ、いつからかその背をびくつかせて怯えたように振り向くようになった。そして平静を装いながらも何かをうかがうように自分と二言三言言葉を交わしてから、安堵したような表情を浮かべるのだ。
かつて、こんなことあっただろうか。いやない。
自分に何か原因があるのかと記憶を辿ってみるが思い当たる節はない。では、何か他に原因があるのか。そう思って彼女の様子をより一層注意を払って観察し始めて数日経った頃だった。
いつものようにノエルを見つけ声を掛けるが、珍しく彼女はこちらに気づいていないようだった。だから彼女に近づいて、その手を取った。瞬間「痛、」と彼女が小さく呻く。反射的に悪い・と謝って手を離したが、力だってそんなに入ってなかったし、古傷のある左手なら分かるが今掴んだのは右手だった。

「右手、どうかしたのか?」

そう問いかけた瞬間、彼女の顔がこわばる。そして青ざめながら、なんでもない・と言い切った。なんでもないはずないだろう、今の反応は。

「手、見せてみろ」

言いながら彼女を引き寄せる。すると彼女にしては珍しいくらいそれを拒んできた。大丈夫、本当に大丈夫だから!と彼女が言うたびにその言葉が嘘のように聞こえ、少し強引だが彼女の手の甲の真ん中くらいまで覆われた袖を肘まで一気に引き上げた。

目を、疑った。

指先と変わらない白い肌があると疑ってなかったそこは、大きな痣がいくつも出来ていて。それはぶつけたとか、そういうちょっとした事故で出来たものとは到底思えない。どす黒いものや紫なもの。赤く腫れてつい最近出来たと思われるものまである。

「お前、これどうした!?」
「…なんでもない、転んだだけ」
「そんなわけあるか!転んでこんな痣になるかよ!」

もしやと思い同じように左腕の袖も捲り上げれば、右腕と同じように痣がいくつも出来ていて。よく彼女を見るとスカートから伸びていた足は黒のタイツで覆われている。いつからここまで肌を隠すようになった?
両腕がこれなら、きっと全身にもこの痕があると考えるのが妥当だろう。そして転んだだけでこんなに全身に痣が出来るはずなどない。痣の変色具合から一度に出来たものではなく、ある行為の繰り返し故に出来たものに思われた。

ロックオンは近くの部屋にノエルを連れ込む。そして、ノエルの顔を覗き込むように膝をついてその肩に手をついた。

「何してこんな痣作ったんだ?もしかして、誰かにやられたのか?」
「、違う!誰にもやられてない!私が勝手に転んだだけで…!」

彼女の焦りようから、予感が確信に変わる。伊達にノエルが生まれたときから一緒にいるわけじゃあない。誰かにやられたのか?と問いかけた瞬間、彼女の表情が一瞬だけ強張った。それは、肯定だ。
アレルヤは知っているのだろうか。
今自分以上に彼女の傍にいる彼なら何か知っているかもしれない。

「なあノエル。アレルヤは、」

アレルヤとその名を出した瞬間、ノエルの喉の奥から小さな悲鳴が上がった。
ロックオンは眉をひそめる。今の反応は、なんだ?一瞬過ぎった予感を打ち消すように、ロックオンはノエルに、ゆっくりと尋ねた。

「まさか、アレルヤか?」

違う、アレルヤは違う!そう叫んだノエルの反応が、すべてを物語っていた。


・・・


薄暗い廊下に、カツカツという靴音が響く。誰かを探すように彷徨っていた彼は、ある部屋で目的の人物と近しい存在を見つけて立ち止まった。

「ロックオン」

その人の名を呼びながら部屋に入れば、いつもなら陽気に出迎えてくれるはずの彼がただ自分を一瞥しただけだった。そのロックオンの反応に首を傾げながらも、アレルヤは当初の目的の手がかりを聞き出そうと彼に問いかける。

「ノエル、知りませんか?」

任務から帰ってきたらどこにもいなくて。
そう困ったように言うアレルヤに、ロックオンは剣呑に目を細めた。暫くアレルヤに冷たい視線を投げていたロックオンが、腕を組み直しながら吐き捨てる。

「ノエルはいないぜ。いたとしても、お前にだけは会わせない」
「…どういうことですか?」
「信頼できるところで保護してもらっている。CBの誰も知らない、俺だけが知っている場所だ」

淡々と述べられる状況に、アレルヤはその目を細める。そしてじっとロックオンを見下ろしながら、「なんのために?」と短く問うた。瞬間、ロックオンが皮肉と侮蔑の表情を浮かべたまま吐き捨てた。

「お前がそれを言うか?あんだけ痣が出来るくらいだ。さぞかしノエルを力いっぱい殴ってたんだろうな」
「ノエルを返してください」

表情を消したアレルヤが、ロックオンの言葉を無視して言う。その口調はいつもの穏やかさの欠片も感じられない、冷たく無機質なものだった。それを真っ向から受け止めながら、ロックオンは「お前だけには渡すか」とアレルヤを睨め付ける。

本当は、今すぐノエルの痣と同じだけ、いやそれ以上に殴ってこいつにも同じように痣をつけてやりたい。
だがそれだけじゃあ気が済まない。その命を差し出させたとしても、あの子についた傷は癒せない。それだけ目の前の男が大事な妹にしたことは重罪だ。許せるはずなどない。

「お前がガンダムマイスターじゃなかったら、今すぐにでもぶっ殺してやるのにな」

握った拳のせいで手袋越しに爪が掌に喰い込む。ロックオンの鋭い眼光がアレルヤを射抜く。だが、それを全く意に介さぬままアレルヤは冷笑を彼に贈った。長年同じガンダムマイスターとして、仲間として闘ってきたが、アレルヤのそのような表情を見るのははじめてだった。

「お前だけは絶対許さねえ」

そう吐き捨てたロックオンに、アレルヤは余裕の笑みを見せる。

「ノエルは、泣いてませんでした?」

そのただの一言が、ロックオンを瞠目させた。

「ノエルは僕がいなきゃ駄目な人間になってますよ。そのノエルを僕から引き離したらどうなるかくらい、貴方なら予想できたでしょ?」

ノエルをアレルヤから離してしかるべき場所に保護してもらったとき。彼女は泣いてアレルヤのところに戻して!と自分に縋ってきた。あれだけ身体中に、そして心にも傷を負わせた人物のところに自分を返してと泣くノエルの姿を見たとき、いつか絶対自分の手であの男を殺してやると思った。どれだけノエルにつらい思いをさせれば気が済むのだ。

「この外道が」

有らん限りの声で罵れば、アレルヤは小さく冷笑し平然とロックオンを見据えたまま言い放った。

「褒め言葉として受け取っておきます」



END
(20080811)


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