「世界は変えられたか?」
十年ぶりに顔を合わせたというのに、再会を喜ぶ挨拶も何もないまま突然そう切り出されたノエルは、ただ顔を上げて彼を見据えた。十年ぶりだというのに、そんな気がしないのは気のせいではないだろう。なぜならば、数ヶ月前まで彼と瓜二つの人と一緒にいたのだから。顔も、体つきも、髪も、声までも、すべてが同じ。双子の神秘といえば聞こえはいいが、何となく素直にそうは思えなかった。
「お久しぶりです、…ライル兄」
ノエルに兄と呼ばれ、椅子に座ろうとしていたライルは躊躇う素振りも見せず眉を顰めた。言葉を発さなくても分かる。不快だと心から思っているのだろう。昔から、彼はノエルが兄と呼ぶのを否定していた。俺はお前の兄じゃない。そうノエルに言い放つライルを軽く諌めていたのは彼とそっくりな双子の片割れであるニールだった。生を受けたときも、この世に生まれ落ちたときも、育った環境も、両親も、顔も姿も同じなのに、何故こんなにニールと違うのだろうか。
今思えば、そうやって何でもニールと比べられることにライルは嫌悪感を感じていたのかもしれない。けれど、今はそんなことを考える余裕も時間もなかった。
「挨拶はいい、時間がないんだ。話はなんだ?」
注文を取りにきた店員にコーヒーを頼んだライルは、足を組んで真っ直ぐとノエルを見つめる。見つめるというより、睨むといった方が近いかもしれない。彼はニールじゃないと自分に言い聞かせても、ニールに睨まれていると錯覚しかけている自分がいる。そのたびに鼓動が嫌に跳ねて、緊張で身体が強張るのを感じた。
それなりに決意して、覚悟を決めて彼を呼び出したというのに。また私は、逃げたいと思ってる。しっかりしなくちゃいけないのに(もう、助けてくれる人は誰もいないのだから)。
ノエルは膝に置いた鞄から一枚のカードを取り出し、それを机に置いて彼に示す。
「ニール兄が、ずっと貯めていたお金です」
すっとライルの方にそれを差し出せば、彼は兄と呼ばれた先ほどよりもずっと眉を顰めて表情に嫌悪感を乗せた。トントンと机の上、カードのすぐ傍を指でノックしながら、どういうつもりだ?と低く言い放つ。
「当然私が使うべきじゃないし、寄付するにしてもライル兄と相談してからと思ったんです」
「それなら俺なんかに聞くなよ。ニールが貯めたんならニールに聞けばいい。それが無理なら奴の傍にいたお前が使い道を決めるのがセオリーだろ」
出されたコーヒーを飲みながら、ライルは冷たく言い放つ。ひとつひとつの仕草までもニールとそっくりなのに、ニールと同じ声でぶつけられる言葉はニールが到底発するとは思えないものばかりだ。当然ニールとライルは違う人間なのでそれは当たり前で。双子だからといってすべてが同じわけではない。それでも、他の人間に言われるよりもダメージを受けてしまうのは致し方ないことなのか。
頭の中でぐるぐる、ぐるぐる回る。ニールのこと。アレルヤのこと。トレミーのみんなのこと。帰ってきて欲しい日々はもう戻ってこない。帰ってくると言ってくれた人たちはもう戻ってこない。分かっている。分かっているけれど、まだ受け止められない自分がいる。
俯いたままで言葉を返そうとしないノエルに、ライルは大きく溜息を吐く。そして、そのターコイズブルーの瞳を細めて言った。
「ニールが死んで、CBは滅んだ。お前に何が遺された?」
地位か?名誉か?金か?
ライルが追い討ちをかけるように言ってやれば、ノエルは一度肩をびくりと震わしたまま反応しなくなった。
きっと、泣くのを堪えているのだろう。こういうとき、片割れならうまく彼女を宥めることも出来るだろうに。悪いが、俺は優しい言葉をかけてやることも、慰めてやることもしない。俺は、ニールじゃないからな。
「使わねえでずっと眠らせとくくらいなら、生まれてくるガキのために使えよ」
視線を窓の外へずらしながら呟けば、ノエルが勢いよく顔を上げる気配がした。どうして知ってるの?といわんばかりの表情でこちらを見ているのだろう(見なくても分かる)。
「俺の職業、知ってんだろ。産婦人科は専門じゃねえが、妊娠してるかしてねえかくらいは分かる。ニールの子、じゃねぇよな?」
「違い、ます」
「だろうな」
コーヒーを飲み干し、カップをソーサーの上に置く。ちらりとノエルを窺えば、もう俯いていなかった。ライルはもう一度、今度はノエルに気づかれないよう小さく息を吐く。俯いていないとはいえ、今にも泣き出しそうなのを必死に堪えている顔だ。さしずめ、子どもの父親もCB関係の人間で、ニールと同じように戦って死んでいったのだろう。可哀想だからこれ以上は聞かないでやろうか、なんて柄にもないことを思った。けれど、身寄りがないからとか、子どもを抱えてるとか、そんなことで俺の同情なんか引けるわけがない。それはノエルも承知の上なのだろうけど(彼女は純粋にニールが残した金のことを俺に相談しにきただけだ、それは間違いない)。
「俺が必死に患者を治してるのに、お前らはそれを無にしてたんだ。世界を変えるために犠牲は必要だとかきれいごと抜かしてやがったが、俺からすればそれはただの偽善だ」
お前らがしたこと、許されることじゃねえっつーのは分かってるよな?
真っ直ぐとノエルの目を見て言えば、ノエルは暫しの沈黙の後、小さく、本当に小さく頷いた。だが、それで終わらない。ゆっくりと、ノエルはその口を開く。
「それでも、私たちは戦いました。たとえ偽善だろうが、矛盾していようが、世界を変えたいって思ったから、戦っただけです」
しないで後悔するのが一番嫌なんですよ、私もニール兄も彼も、…みんなも。
力なく、泣きそうな顔をして笑ったノエルに、ライルは不快そうに目を細めた。そして、机の端に置かれたノエルと自分の飲み物の伝票を手に立ち上がる。もうこれ以上話すことは無い。
俺はニールと別の道を選んだんだ。お前を生かすためにあいつは人を殺しただろう?裏稼業に手染めてまで、人を殺してまでノエルを生かすことを選んだ。そして、あいつは世界を変えるためにと、憎いテロリストになって、そして死んでいった。
なあニール、お前、それで満足か?世界じゃなくて、お前自身がそれでいいのかよ。俺は、嫌だね。
「泣くなよ。俺はニールじゃないんだ。面倒見切れないぜ」
ニールと俺を重ねるな。暗黙にそう言い切り、ライルは席を立つ。だが、暫しの沈黙の後に足を止めてノエルの方へと振り返った。上から見下ろしながら、ライルは再び問いかける。
「もう一度聞くぜ。お前達は世界に喧嘩を売って、何を得た?」
愛か?子どもか?未来か?
得たものより、明らかに失ったものの方が多いだろう。ノエルはただ、真っ直ぐライルを見つめる。そして、小さな声で、短く言い切った。
「何だと思いますか?」
それは酷く寂しそうな笑顔で。よく、ニールが困ったようにしていたときの表情と、同じ。言いようの無い感情が、胸の内にざわざわと広がる。血も繋がっていない、ただの幼馴染なはずなのに。何故か、ノエルにニールが重なった(理由は、分からない)
・・・
「ライル!お前またノエルのこと苛めただろ!?」
幼い頃、何度も何度も片割れに言われていた言葉が十数年ぶりに蘇る。
「…苛めてねぇよ、ニール」
返事は、ない。
END
(20080317)