僕は君を守るための術を知らない

ノエルは、決して強い子じゃあない。
何があっても笑って強く振舞っているけれど。本当は誰よりも弱くて、でもそれを心の奥底で必死に押し隠す子なんだ。 自分が壊れてしまうのも構わずに、誰かに心配をかけないようにする。
それはね、ノエル。
君の強さでもあり、弱さでもあるんだよ。



ロックオンが帰らぬ人となったと知った瞬間の彼女は、ただ立ちすくんだまま呆然としていたという。泣くこともせず、何も言わないまま。そしてその現実に向き合い切れないまま目を腫らして帰還したマイスター達を、ただひとり笑顔で出迎えた。

お帰りなさい、無事で良かった。

本当にそう言いたかった人は帰ってきていないのに。明るく、仲間たちの無事の帰還を喜んでくれた。けれどノエルが僕に視線を移した瞬間だけは、ほんの一瞬、その表情が泣き顔に変わった。しかしノエルはすぐにそれを隠してまた笑顔に戻る。

お帰りなさい、アレルヤ。

いつもと同じように振舞う彼女に、誰も何も言えなかった。



「どうして貴方は還って来ないんですか?」




食欲がなかった。それはトレミーにいる誰しもにいえることだろう。けれどノエルは栄養管理者としていつものようにクルー全員分の食事を作る。食欲が無いと告げた刹那とティエリアに、ちゃんと食べなきゃ駄目!と説教してほぼ無理やり食事をさせた。それでもいつもの半分以下の量しか口に出来ないクルーのために、消化の良いお粥や、甘いものを作ったり。その気遣いにはいつも以上のものを感じた。ほんの数日前までロックオンがここにいた時とほとんど変わりなく振舞うノエルは、無理をしているとしか思えない。けれど、それに関して言及することも慰めることも憚れた。
今、彼女に下手に触れたらそのまま壊れてしまいそうな、そんな予感がしたから。

・・・

「一人分余ってる…誰のだっけ」

食堂でクルーの食事の用意をするため、ノエルはただ呆然とナイフで食材を刻んでいた。トントンと刻みの良い音がその空間に響く。しかし徐々にその音が途切れ気味になって、やがてそれは止んだ。ライトが反射して光る刃を、ノエルはじっと見つめていた。

何かが、足りない。身体の一部が欠けて消え去ってしまったような、そんな感覚。
何が足りない?ない?…いない?

そう思った瞬間、ここ暫く痛むことのなかった左腕にずきんと痛みが走った。思わず持っていたナイフを放して右手で左の手首を握り込む

痛い痛い痛い! 

ガクガクと痙攣している左手。その痛みと震えが左半身を中心に身体中に伝染する。 

「、痛、い…!」

咄嗟にポケットを探って常備しているはずの痛み止めの薬を探すが見当たらない。力が抜け、自分ひとりで立っていることもままならない。キッチンにもたれかかり、必死にいつ終わるか知れぬ痛みに耐える。
こんなの、いらない。
こんな、こんな役立たずな手、いらない。

「いら、ないよ…!」

どうせ何かが欠けているのならば、こんな手だっていらない。いらなくなっても困らない。縋るように伸ばした右手に、冷たい何かが触れる。それが何かを確認しないまま、ノエルはそれを、ナイフの刃を掴んで自分の左手に向けて振り上げた。

「ノエル!?」

ほとんど聞いたことのない彼の悲鳴めいたものが聞こえたと同時に、ノエルの右腕がナイフごと掴まれる。その瞬間、今まで襲いかかってきていた激痛が嘘のように止んだ。目の前の景色が目を通して頭の中へと入ってくる。今自分が置かれた状況を冷静に考えようとするが、難しい。

「ノエル!君、何して…!」

ナイフをノエルの手から奪いとって叩きつけるようにシンクへと置いたアレルヤが、ノエルの肩を掴んで自分の方へ向き合わせながら、ひどく焦った表情のままノエルの顔を覗き込む。ただ呆然とアレルヤを見つめていたノエルの喉が一拍の後、ヒッと震えて声を上げた。

今、私は何をしていた?何かが欠けているのなら、左手だっていらないと思った。こんな役立たずな左手、いらないと思って、…何をしようと、していた?

ゆっくりと、視線をシンクへと移す。そこには先ほどまで自分が握っていたナイフがあった。刃の部分を掴んだからそこは赤く濡れていて、あの赤はなんだと思うと同時に右の掌の滑りを自覚する。ゆっくりその手を開いて眺めれば、掌の真ん中にナイフの刃で裂けた傷ができていた。どくどくと出血して、脈打つたびに先程まで襲われていたのと別の痛みが脳に届いた。

何かが欠けているから、左手もいらないと思った。何が、欠けてるの?私の身体と同じようなもの、何がない?何が、いない?…誰が、いなくなった?

「 ノエル 」

優しくて大好きな人の声が頭の中で響く。貴方は今何処にいるの?

「ねえ、アレルヤ。ニール、ニール兄はどこ…?」

ずっと姿を見ていない。あの人はどこ?いつも余っていた一人分の食事。これは、あの人のものだ。あの人はどこ?どこにいるの?…どこに、いってしまった?

ノエル、と搾り出すような声でアレルヤが呼ぶ。しかし、ノエルにその声は届かない。アレルヤに掴まれた肩がガタガタと震え始めた。ようやく動くようになった左手で自分の頬に触れた。何か冷たいもので指先が濡れる。これは何?何で私は泣いてるの?私は、誰を待っていた?何を、忘れてた?

「、ロックオンは…」
「言わないで!!」

言わないで言わないで言わないで!それ以上あの人の名前を言わないで!総てが壊れてしまう。あの人がいない世界に必死にしがみついていた腕が粉々に砕けて、根を張っていた足が折れてしまう。そしたら私は生きていけない。あの人がいない世界なんて世界じゃない。私はあの人に名前をもらった。あの人に育てられた。あの人がいたから、生きていた。あの人は、私の総て。ロック兄は、ニール兄は、ニールは。

「なんでいないの…?」

零れるような声音が、静か過ぎる空間に響く。何で、あの人はいないの?どこにいってしまったの?声が聞こえない。あの人の声が聞こえない。聞こえない、聞こえないよ。

ぼろぼろと堰を切ったように涙だけがただ溢れて落ちる。両手で目を覆ったら、傷ついた右手が右の目を血で濡らした。涙とは違うぬるっとした感覚に、あの人も右目を怪我していたことを思い出す。こんなところでお揃いになるなんて、なんで。

「なんで…?」

力なく呟いたノエルを、アレルヤはただただ強く抱きしめた。

ノエルは誰にも心配をかけないように強くあろうとした。無理して、ただ穏やかに笑っていた。一番苦しいはずなのに。一番哀しんでいるはずなのに。それなのに、どうして。どうして君は、そんなにも頑張るの?

気を失うように泣き疲れて眠ったノエルをもう一度強く抱きしめる。ずっと眠れていなかったのだろう。顔色が悪い。目の下には深い陰が見られる。この数日で、確実に痩せた。もともと細い身体なのに、あと少し力を入れて抱きしめれば折れてしまいそうなほど小さくなっていた。そして気づく。あの日以来、ノエルが食事を摂っている姿を見ていない。ここ数日、ノエルは自分以外の人の食事を作って、自分以外の人がちゃんと食事を摂っているか確認して、自分以外の人に過剰なほど健康管理を徹底していた。自分以外の、人には。

「ごめん、ごめんね、ノエル…」

気づいてあげられなかった。本当は気づいていたのに。ノエルの様子がおかしいということくらい、気づいていたのに。下手に触れれば壊れてしまいそうだったから、自分はそれを躊躇った。彼女は無意識に、誰かにSOSを発していたのに。

きっと、彼なら気づいていた。
ロックオンなら、彼女のちょっとした変化に気づく。そしてノエルにとって一番良い方法でフォローするんだ。
あの人は、すごい人だ。心から尊敬できる人。ノエルの自慢の兄。
僕の、憧れの人だった。

「ごめんノエル…」

涙と血で濡れたノエルの頬を掌で拭い、その額に口付ける。ノエルのいつもよりずっと低い体温が唇越しに伝わり、アレルヤの身体も冷やした。


END
(20080321)


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