押し出された愛の形



ごめん、ごめんな、ノエル。
小さく呟くような、そして消え入るような切ない声が頭の中で響き続ける。これは、誰の声?その問いに答えてくれる人はいない。ただ、ズキズキと頭と左手に痛みが走る感覚がする。左の肩から手首まで、どう表現したらいいか分からない気持ち悪さとだるさが付き纏ってひどく重い。
怖い、怖い。痛くて、怖い。助けてほしい。
そう思って、誰に助けを求めたらいいのだろう・とぼんやりと思った。動かすことの出来る右手を必死に伸ばして、“なにか”を掴もうとする。
なにか、なにか。
誰か、いませんか?



「ノエル!」

ギュッと汗ばんだ右の掌を何かに握られ、ノエルは反射的に目を開けた。暗闇の世界はまだ暗いまま。呼吸が苦しく、やはり左半身は腕を中心にひどく重い。肺に溜まった空気を総て吐き出して、ゆっくりと右側に顔を向けた。暗闇にようやく目が慣れてきて、すぐ隣にいて自分の掌を握ってくれている存在を視認することができた。ノエルは、小さくその名を呼ぶ。

「アレルヤ…」
「大丈夫?ひどく魘されてたけど…」

古傷が痛んだ?と心配そうな面持ちで聞いてくるアレルヤに、これ以上心配をかけたくなくて首を横に振ろうとしたが正直そんな余裕はなく。ノエルは素直に頷いた。

「水、飲める?何か飲んだ方がいいよ」

枕元に置いていたミネラルウォーターのボトルをノエルに手渡しながら、アレルヤは、鎮静剤は…とベッドのすぐそばにあるサイドテーブルの引き出しを探る。ソレスタルビーイングが解散し、医者の卵として勉強しているアレルヤと暮らし始めて早三年。ずっと一緒にいた兄同然の幼馴染と離れるのはやはり寂しかったけれど、彼は、ようやく可愛い妹が兄離れしてくれて兄ちゃんも安心だ・と笑って送り出してくれた。今は一緒に暮らしてはいないが、定期的に会ってちゃんとはなしもしている。寂しくないといえば嘘になるが、アレルヤと一緒だから大丈夫。
常温の水を喉の奥に流し込んで、ひとつ深呼吸する。落ち着いた頃合いを見計らったかのように鎮静剤をアレルヤに渡された。

「この間の検査は異常なかったけど、また近いうちに診てもらった方がいいかもね」

宥めるように頭を撫でられ、ノエルは小さく頷いた。頭を撫でられる行為は昔からよくしてもらっているので、ノエルにとってはある意味自然で何でもないこと。ただ記憶している掌の感触や、撫で方が少しずつ違っているのは、自分の頭を撫でてくれる人が変わっているから。一番はじめは父と母。そしてそれからずっと、幼馴染の彼。そして今は、アレルヤ。みんなそれぞれ手の温度も感触も大きさも違うけれど、ひとつだけ同じことがある。優しく優しく自分に触れてくれる、その愛情。

「あのね、アレルヤ」

薬を飲み込んで、両手でボトルを包んだままアレルヤを見上げる。ん?と、ベッドに腰掛けながらしっかりと視線を合わせてくれたアレルヤの金色と灰色の瞳を覗き込む。何年一緒にいても変わらない、優しい眼差し。彼の瞳を見ていると、不思議と古傷の疼きも溶けてなくなってしまったように感じる。それは鎮静剤が効いてきただけなのかもしれないけれど、そう思っていたいという気持ちがどこかに存在している。

「夢、見たの。…テロに遭ったときのこと」

ぽつりと息を吐き出すように言葉を零したノエルに、うん・とアレルヤは相槌を打つ。
十数年前の故郷。何かが焼ける臭いと周囲に広がる悲鳴とざわめき。いろんな音がしていたはずなのに、自分が聞くことが出来たのは、必死に自分を捜して見つけてくれた幼馴染の声だけ。

「ニール兄が、私を見つけてくれたの」

小さかったから爆風で飛ばされちゃってたみたい、私。
そう力なく笑うノエルの肩を、アレルヤは自分の方へと抱き寄せる。テロに遭い、ニール・ディランディとノエルのふたりは、それぞれ家族を失った。ソレスタルビーイングに所属していたとき、アレルヤはそのはなしを彼女の幼馴染で兄的存在であった彼に聞いたことがあった。

『テロで、家族を目の前で殺されてな。何も考えられないまま、気づいたらノエルを捜してた』

少し寂しそうに笑って言った彼は、六歳年下の幼馴染を必死に守ってずっと生きていた。それはソレスタルビーイングに入ってからも変わらなかったことで。今は自分が彼からその役目を引き継いでいる。困ったような表情を浮かべたまま、ノエルは続けた。

「ニール兄が意識のない私を運んでくれて、ずっと一緒にいてくれたの。手術受けて眠ってる私にね、ずっとごめんって謝ってくれてた」

ニール兄が悪いわけじゃないのにね・と、ノエルはアレルヤの胸に顔を埋める。彼が悪いわけないのに。彼も自分と同じ、被害者だったのに。辛いのは、両親と妹を亡くした彼も同じだったのに。それでも彼は、ずっと自分に謝っていた。痛いよな?ごめんな。そう、ずっとずっと。

「それなのにね、私、謝らないでって、言えなかったの」

目を覚ませば左手が動かなくて。どうしようもない痛みが身体を襲うのに、怪我人が多すぎて薬が間に合わなくて。痛い痛いと泣いていた自分を、彼はずっと宥めて励まして、そして最後には必ず謝った。ごめんな・と、ひどく哀しい顔をして。彼が悪いわけじゃないのに。
アレルヤは小さく肩を震わす彼女を強く抱き寄せてその頭を撫でる。銀色の長い髪は、カーテンの隙間から差し込む月の光に反射して光沢を帯びている。その髪が、さらりと彼女の肩口から滑り落ちた。

「ロックオンは、優しいね」

ニール・ディランディとしてではなく、ロックオン・ストラトスとして彼に会っていたから、今更本名で呼び合うのは何だか妙に違和感を覚える、とふたりで話したことがあった。だから、アレルヤは未だに彼のことをコードネームで呼ぶ。それはニールも理解してくれていて、それを今更どうこう言ったりはしてこない。
アレルヤのその言葉に、ノエルは大きく頷いた。その仕草が可愛くて、アレルヤはくすりと笑みを零す。そして頭を撫でていない方の手で、幼子をあやすように彼女の背中をトントンと叩いた。

「それからノエルも優しいよ」

なんで?とアレルヤの服を掴む力を少し強くして、ノエルが呟いた。アレルヤは背中を叩く手を止めずに言葉を続ける。

「ロックオンはノエルを哀しませないようにずっと謝って、ノエルはロックオンを哀しませたくないからリハビリも頑張ったんだろう?」

二度と動かせなくなるかもしれないと医者に言われたにも関わらず、ノエルは大人でも耐えることが難しいとされていたきついリハビリや治療を乗り越えた。今では日常生活に困ることもなく、リハビリにとはじめた料理の腕は有名レストランのシェフより勝るのではというほど素晴らしいものがある。ただし定期的な治療やリハビリは必要で、それは彼女が死ぬまで、一生付き合っていかなくてはならない。それでも彼女はめげることなく、真っ直ぐその傷と向かい合っている。ひとえに、自分を守ってくれた彼に迷惑をかけたくないから。動かない手を彼が見るたびに哀しんだりしないように。ただ、頑張った。

「だから、ノエルが自分を責める必要はないんだよ」

もうは十分頑張ったよ。泣きじゃくる彼女を抱き込みながら、アレルヤは心からそう思う。それはロックオンも認めている。彼は、あいつは頑張りすぎだと、困ったように笑っていた。

「本当に?」

不安そうに見上げてくるノエルに、アレルヤは笑って頷いた。痛みも大分引いてきたのだろう。顔色が幾分も良くなっている。一瞬ほっとしたような表情を見せたノエルだったが、やはり思うことがあったのか、頭を振って再びアレルヤを見上げて早口に言い切る。

「でも、やっぱりまだ足りないよ。ニール兄にはいっぱい貰ったし、してもらった。私は、何を返すことができた?」

ノエルが幸せに暮らしてるだけでもう十分だと思うけど・と、今度はアレルヤが困ったように笑う。けれど何か言ってあげないと、ノエルの性格上満足しないことも承知済みだ。んー…とアレルヤは視線を上にずらしながら考える。瞬間、頭の中に浮かんだのは、先日会ったばかりの彼女の幼馴染の言葉で。
あ。と思わず声を上げたアレルヤに、ノエルは何?と首を傾げた。

「えっと…この前ロックオンに会ったときに言ってたんだけど…」

これは言っていいものなのかどうなのか。アレルヤはひとり悶々と考えるが、彼女にとっては何か返さないといけないと思っている恩人の名前が出たのだ。気になってしょうがないだろう。何でも良いから言って!と、せがむノエルに、アレルヤは罰が悪そうに視線を逸らしながら、躊躇いつつも覚悟を決めて言った。

「ロックオンが、そろそろ姪っ子に会いたいなぁ…て」

俺も三十路近いしなぁと飄々と彼が言ったのは先日のこと。何の脈絡もないまま唐突に切り出された話題だったので、そのときは一瞬固まりはしたが、とりあえず流しておいた。だが真顔で、その時はノエル似で頼む・と両肩を叩かれたのだから、きっと彼は本気だ。しかも姪と限定するあたり、相当期待しているとみえる。
絶対にノエルは言わないでおこうと誓って数日。まさかこんなにも早く彼女の耳に入れることになろうとは。ちらりとノエルを窺ってみれば、ノエルはその言葉を受け完全にフリーズしてしまったようで、ぽかんと口を開けたまま固まっている。そしてようやくその意味を理解できたのか、一瞬にして頬を真っ赤に染めた。

「なっ…!ニール兄は馬鹿ですか!?」
「彼は本気だと思うよ」
「っ!もう知らない!あんなお兄さんなんていらないです!」

頬を真っ赤に染めたまま、ガバッとシーツの中の入ってしまったノエルに、アレルヤはシーツの上から彼女の背を軽く叩いて、もう痛みは引いた?と笑いながら声を掛ける。すると少しだけシーツから顔を出したノエルは、大丈夫・と小声で告げた。なら良かったとニコリと笑うアレルヤに、おやすみなさいと言い、ノエルはすぐにもう一度シーツに潜り込んだ。
シーツ越しにトントンと身体を叩いてくれる心地良い感触にノエルは目を閉じる。ちょうど明日、つまり次に目を覚ましてから数時間後に彼と会う約束をしているから、左手で一発殴っておこう。なんてことをアレルヤに言うの!て。
そう心に誓って、ノエルは再び眠りについた。


END
(20080223)





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