
こちら側の心
トントンと食材を刻む音が響く中、隣で煮込んでいたスープのまろやかや香りが部屋に漂った。ちらりと壁にかかった時計を確認すれば、丁度食事の時間が近づいていた。後少しで夕食も完成だ。家族が増えるたびに食事を作る量は当然多くなる。それは嬉しいことだし、幸せなこと。なんとなく、昔ソレスタルビーイングにいた頃を思い出した。あの頃は一気に十何人分の食事を作っていたから、アレルヤとふたりで暮らし始めた当初は何となく物足りなく感じたこともあった(アレルヤのご飯を作ることに関してはこれまで以上に嬉しかったのだけど)。
そろそろアレルヤが帰ってくる頃かな、とぼんやり思ったとき、ぴとっとあたたかい何かが足を触る感触がした。
「ルカ?」
視線を下にずらせば、どこからキッチンに入ってきたのだろうか。先日二歳になったばかりのルカがノエルの足にしがみ付いていた。どうしたの?と聞いてみるが、ルカは何も言わずにじっとノエルを見上げている。マリアと比べれば、元々ルカは口数が多くない。何かあれば泣いて知らせてくれるので助かるといえば助かるのだが、原因そのものを口にしようとしないので、アレルヤ共々少し苦労した面もある。…それは現在進行形な気もするが。
それでも可愛い息子であることに変わりはないので、水で濡れていた手をタオルで拭いてルカと視線を合わすためにしゃがみ込んだ。キッチンに入って来れないようにリビングとキッチンの間に低い衝立を置いていたのだが。それを避けたか登ったかは知らないが、衝立をどうにか攻略してここまで来たらしい。ちらりと衝立を見れば、ルカが通れるほどの隙間は空いていなかった。少しだけずれたように見受けられるので、おそらくどうにかしてよじ登って衝立を越えてきたのだろう。さすがアレルヤの子というべきか。怪我をしなかったから良かったものの、音もなく越えてここまでやってくるとは。今度からもっと高い衝立が必要だと心から思った。
ところで、彼の面倒を見るように頼んでいたマリアはどこに行ってしまったのだろうか。弟を放っておいてどこかに行ってしまうような子ではないので、自分の部屋に本か何かを取りに行ったのかもしれない。とりあえず、ルカにどうしたの?ともう一度たずねてみる。マリアとは違って黒髪でアレルヤそっくりなルカは、そのままノエルに抱きついた。
「ルカ」
いきなりどうしたの?と小さな背中を宥めるように軽く叩きながら理由を聞こうとした瞬間、玄関へと続くドアが小さな音を立てて開いた。ルカを抱き上げながら立ち上がりそちらを向くと、嬉しそうにアレルヤの腕に抱きついているマリアがいた。穏やかな笑みを浮かべているアレルヤに、ノエルも同じものを浮かべて労いの言葉を掛ける。
「お帰りなさい、アレルヤ」
「うん、ただいま」
マリアがルカの傍を離れた理由がわかつた。ノエルは気づかなかったが、アレルヤの帰宅に気づいたマリアが大好きな彼の出迎えに玄関まで行ってしまったのだろう。マリアは本当にノエルが嫉妬してしまうくらい父親っ子だ。アレルヤが溺愛してしまうのも無理はないってくらい。キッチンからふたりのいるダイニングに向かい、ルカを抱っこしたままお帰りのキスを彼に贈る。
「お疲れ様です」
「ノエルもね。ルカ、ただいま」
ノエルに抱っこされたままのルカの頭をアレルヤが撫でようとする。だが、どういうわけかルカはそれを拒絶するようにノエルの肩に顔を埋めてしまった。目的を失ったアレルヤの手が宙を彷徨い、アレルヤはキョトンと目を丸くした。ルカ?とノエルが彼の顔を覗き込もうとするが、それもさせてくれない。弟の異変に気づいたのか、アレルヤの手を離してマリアが背伸びをしてノエルに抱かれた弟の様子を探ろうとする。ルカ!と子ども特有の高いトーンで名前を呼ばれたルカは、おそるおそるマリアの方に顔を向けた。ルカの顔を見てニコリとマリアは笑う。それを見たルカは、ノエルに「おりる」と舌足らずな調子で告げた。ノエルが彼を降ろすと、ルカはトコトコとマリアへと近づき、そのままぎゅうっと姉の身体に抱きついた。その一連の様子を冷静に見ていたノエルは、クスリと笑う。何となく、ルカの行動の理由が分かった。
「ご飯、食べましょうか」
微笑ましい姉弟の様子に笑みを浮かべながらノエルが言う。すると、顔のパーツ全てが同じではないけれど、目の辺りがそっくりなふたりがノエルの方を向いて元気良く頷いた。それにもう一度ノエルは笑って、手を洗っておいでと告げる。大人しくラバトリーへと向かったふたりを見送って、今度は放心状態のアレルヤへと向き直った。ルカに拒否されたのがよっぽどショックだったらしい。
「アレルヤ、聞こえる?」
「僕、ルカに嫌われちゃったのかな」
放心状態のままポツリと呟いたアレルヤに、ノエルは笑う。違うよ・と言葉を続けた。
「多分マリアがルカを置いてアレルヤの出迎えに行っちゃったから、それに嫉妬したんじゃないかな?あの子、マリア大好きだし」
マリアに比べると多少扱いにくいルカだが、姉のマリアの言うことは本当に良く聞くし本当に懐いている。マリアも弟を可愛がっているので、年は離れているけど(丁度四つ差だ)本当に良い姉弟だ。だから大好きな姉を父親にとられたと思ったのだろう。マリアはルカも大好きだけど、何よりもアレルヤが大好きだ。
「嫌いとか、そんなのじゃないと思うよ」
だから大丈夫。
そう言ってアレルヤの背中をポンポンと叩く。何となく、先ほどルカを宥めたのと同じ感覚がした(顔は同じで大きさが違うだけだから、すごく不思議な気分)。ならいいんだけど・とアレルヤが少し困ったように笑う。
「可愛いね、ふたりとも」
マリアとルカがパタパタと戻ってくる足音を聞きながら、アレルヤが小さく呟く。その表情は本当に優しくて穏やかなもの。ノエルは目を綻ばせながら、そうだね・と頷いた。
END
「前から思ってたんだけど、ルカはハレルヤに似てるかもしれないね」
「あ!今日ルカ、衝立を越えてキッチンに入ってきたの。そういう予想外なことしちゃうのもハレルヤに似てるのかなぁ」
「…ちょっとルカの将来が心配だよ、僕」
(20080812)