Love the way you cry
「…あ、」
「…」
「…ユリアさん」
「…っ、シェルク、久しぶり。…ヴィンセントも」
「…ああ」
「二人は…仕事?」
「リーブに呼ばれてきたが…」
「なるほど。場所は大丈夫?」
「前回と…変わっていなければな」
「そう執務室ころころ変えられないよ。あっちね」
「ありがとうございます、ユリアさん」
「いえいえ。また連絡するね。またエッジで買い物でもしようか」
「はい…ありがとうございます」
「じゃあね」
「…はあ」
一人になって、ユリアは自分の胸を押さえた。
シェルクは少し大人びていたように見えた。隣に立っていた、最後にあった時と全く同じ顔をした男と、手を繋いで。シェルクの中にはまだ、彼の愛したあの女性の断片が残っている。同時に、シェルク自身の心にある感情があの時から順調に育まれていることも、二人の雰囲気から伝わってくる。
もう、忘れたつもりになっていた。誰のためでもなく、自分のために生きると決めた。
それなのにどうして、こんな気持ちになるんだろう。どうして、涙が溢れて止まらないのだろう。隣に自分ではない誰かがいるという、なんら不思議でもないことに、こんなに動揺しているんだろう。
——リーブを、きっと傷つけてしまうのに。
音もなく、流れる涙を必死にハンカチで拭った。彼女に与えられた広い一人用の執務室には、時折ユリアが鼻を啜る音だけが響いている。彼らがリーブに会いにきたのなら、リーブはしばらくここへは来ないだろうから。それまでに、この涙を止めて、元の状態に戻らなければ。そう焦る気持ちばかりがユリアを追い立てて、余計に涙が止まらなかった。
(まだ、大丈夫、大丈夫だから…)
ユリアはそう自分に言い聞かせる。自分がどうして泣いているのかもわからなかったけれど、それをリーブには決して知られたくないと、そう思った。それは酷く不誠実なことのように思われたからだった。
しかしユリアの予想に反して、まだそう時も流れていないのに音を立てて彼女の部屋が開かれる。滲んだ視界にもわかる、青いロングコートが揺れていた。
「ユリア…」
「…っリーブ…」
どうして、来てしまったの。
ユリアはそう思いながらも、きっとばっちり見えてしまっただろう泣き顔を隠すために俯く。こつこつと、革靴が床を踏み鳴らして、少しずつ男の影が近づいた。椅子に座る彼女の視界に黒い革靴が映る。
「…大丈夫ですか?」
「…わ、わたし…ご、ごめんなさ、」
「…今は何も言わなくても構いません。ですからどうか、一人で泣かないで」
リーブは跪いて、ユリアを覗き込む。ユリアは逃げるように反対を向いたけれど、腕を取られて、思いの外強い力で引かれるので、バランスを崩して床に座り込む。机の影に隠れるようにして、リーブはユリアの肩を強く抱いた。リーブの胸に小さく治ったユリアは、どうすることもできずにただ彼の青いコートを涙で濡らしてゆく。
(…どうして、こんなわたしを、)
ユリアは、混乱の中で、時折小さくしゃくり声を上げながら暫くの間泣き続けた。少しずつ鼻を啜る音が小さくなってゆき、ハンカチを濡らす涙の量が減って、ようやく涙が止まる頃には、座り込んだ床がひんやりと冷たくて、少し寒気がした。軽く震えるのを察したリーブがユリアの手を引いて立ち上がらせる。
「下を向いていて大丈夫です、今日はもう帰りましょう」
「でも、」
「今日は大丈夫ですから。さあ、行きますよ」
本部には居住スペースがある。ここに常駐する大抵の隊員はそこに家族を住んでいた街に残してここに単身赴任してくるけれど、リーブとユリアはミッドガルがなくなって以降定まった家を持っていたわけではないので、1日のほとんどをこの本部で過ごしていた。リーブに肩を抱かれて歩くユリアに、すれ違う隊員たちはぎょっとしたようにそちらを見た。リーブはそんな視線を全て無視して、居住区の方へまっすぐ歩みを進めた。
二人はしばらく無言で歩き続けて、やがてリーブの住まう部屋に入って扉を閉めると、リーブはもう一度、ユリアを抱きしめた。ユリアは再び目頭が熱くなって、ぎゅっと瞳を瞑る。
「…ヴィンセントとシェルクは、」
「ケット・シーに任せてあります。もう帰ってしまわれましたが」
「…」
リーブは今ふたりが入ってきた扉背中を預けて、目の前の小さな体を抱きしめる。ユリアは俯いて、静かにその体温を感じている。それがユリアの心を少しずつ落ち着かせてゆく。ふう、と小さくため息をついて、そっとリーブから離れた。俯いたまま、一歩後ずさる。
気まずさや罪悪感、よくわからない感情が混ざり合って、ユリアはどんな顔でリーブのほうを見ればよいのか、わからなかった。
「…ごめん、なさい…きっと…リーブを傷つけてしまうのに…」
ぽつりとこぼされた謝罪。
——大切にすると決めたのに、うまくいかない。3年前、この世界で大切な人を失った穴を埋めてくれたのは紛れもなくヴィンセントだったから。心から愛した人を忘れるのはそんなに簡単ではない。それを痛いくらいに思い知った。
失望されてしまったかもしれない、呆れられてしまったかもしれない。ユリアの中の不安が膨らんでゆく。
そして、リーブはそれを静かに見つめていた。口元は緩く笑みの形を作っているが、俯いているユリアは気づかない。
「…あなたが、彼を忘れられずにいることくらい理解しています」
「っ…でもわたし、」
「その上で、私を選んでくださったことも」
リーブはむしろ、自分のためにこうも思い悩んでくれることが嬉しかった。
ヴィンセントとシェルクは時折WROに訪れていたが、ユリアとすれ違ったのは偶然にすぎない。けれど、いつかはそういう日がくるだろうと考えていた。きっとユリアは落ち込むだろうとも、わかっていた。
「わたしはあなたを愛しています。あなたの強さも、…その弱さも」
「…わたしだって、」
「ええ。だからこうして思い悩んでくださっているんでしょう、私のために」
ゆっくりとユリアの視線が上を向いて、リーブのそれとぶつかった。リーブの瞳はどこまでも穏やかで、喜びさえ映している。ヴィンセントの元へ戻るでもなく、ただショックを受けたことに、罪悪感まで感じて、こうして涙を見せるユリアを愛しく思う気持ち。それは少し歪んでいるのかもしれなかったが、二人にとっては些細な問題だった。
歪んでいても、間違っていても、彼には彼女しかいないし、彼女には彼しかいない。
その弱さごと、リーブはユリアを愛しているから。そう覚悟して、彼女を抱いたのだから。もう、胸は痛まない。
ユリアが作った一歩を、リーブが埋める。ユリアは少し震えたけれど、逃げることはなかった。まっすぐに見つめる穏やかな瞳に囚われて、体が動かない。二人は同じ場所にいる。近づく瞳の輝きが、ユリアの心に差し込んだ。唇に触れる暖かな熱が、ユリアの心を溶かしてゆく。瞳を閉じるとまた、一筋の涙が溢れた。
「…んっ…」
触れるだけだった唇が啄ばむような動きに代わり、時折響くリップ音にユリアは無意識に甘い声を漏らす。リーブは片手で腰を抱いて、もう片方の手で流れた涙を拭いながら、下唇を舐めた。
薄く開いた唇から、リーブは舌を挿し込む。歯列をなぞり、舌に触れると、少しためらったように固まって、やがて控えめに応えるユリアの舌の感触を味わった。長いキスはリップ音を立てて終わり、リーブが唇を離すと、ほんのりと頰を染めたユリアと目が合った。
リーブがふ、と微笑むと、恥ずかしげに逸らされる視線。恥じらう恋人の姿はとても愛おしくて、膝裏と背中に手を添えると、ユリアを抱き上げる。ユリアは何も言わずにリーブの首に腕を回した。
リーブはベッドルームまでユリアを抱き上げて歩くと、そっと柔らかなシーツの上に彼女を下ろす。靴を脱いで隣に座ると、抱きしめて髪を撫でた。すでに落ち着いたユリアはまだ、複雑そうな表情を浮かべている。
「…どうしてリーブはそんなに優しいの?」
「…本当に私が、優しいと思いますか?『彼』から半ば奪うようにあなたを手に入れた、私が」
「それはわたしがっ」
ユリアの唇に、リーブがそっと人差し指を添えた。ユリアは思わず唇を閉じる。リーブは唇に添えた指を離して、再び優しく髪を撫でた。
「…今はもう何も考えなくても構いません。代わりに、まだ日が高いですが…」
——あなたを抱いてもいいですか?
絶対に拒絶できないとわかっていてそう尋ねるのは卑怯なのかもしれない。案の定困った表情を浮かべながらも、小さく頷くユリアに、リーブはよかった、と微笑んで口付ける。
リーブが想像するよりもユリアはリーブを想っている。それがわかっただけで、リーブには十分だった。
いつだって彼女の胸の痛みが、彼女の弱さが、彼を生かし、彼女を彼の元へと連れてきてくれる。彼女が傷ついた時はいつも、リーブにだけ助けを求めてくれる。それがどれだけ喜ばしいことなのか、きっと彼女は知らないだろう。