fierce



華やかなシャンデリアの飾られた大広間。白いテーブルクロスの上にはぱちぱちと泡を立てるシャンパングラスが所狭しと並べられて、どこもかしこもキラキラと眩い光を放っている。ユリアにとってはもう幾度目かのパーティだけれど、いまだそれに慣れる気配もなく、表面上は穏やかに笑みをとり繕いながら部屋の隅でちらちらと視線だけで辺りを見渡していた。



「…リーブ、どこに行ったんだろう…?」


ユリアの周囲はただ見知らぬ人で溢れ返り、探している男の姿は見当たらない。『英雄』たる彼女のもとには、彼女がどれだけ部屋の隅で縮こまっていても代わる代わるたくさんの男女が訪れてシャンパンを交わし、その度作り笑いで応対するけれど、瞳はきょろきょろと周囲を見渡していた。


「もしやユリアさんでは?」


少し興奮したような声に、ユリアはワインレッドのドレスを揺らして振り向いた。すらりと黒いタキシードを身に纏った金髪の男が立っていた。ぱっと表情を輝かせて近寄ってくる男にユリアはもう何度目かしれないため息を飲み込んで笑顔を作ると、それにさらに気をよくしたらしい男が笑みを深めた。


「え、ええ…はじめまして」
「これは驚いた、こんなところでお会いできるとは…僕はあなたが可憐に闘う様が大好きなんだ」
「可憐だなんて…ありがとうございます」


爽やかに笑いながらぐいぐいと近寄る男に少しずつ後ずさるけれど、男はまるで気にしないで彼女が下がった二倍分の距離を詰めるので、結局男との距離は離れるどころかどんどんと近づいて、今日ここでやらねばならないことのある彼女は男に強くでることもできずに瞳を逸らして苦笑いを浮かべた。


チラリと遠くに見える時計を確認すると、時計の針はもうじき8の方向を指すところ。男は相変わらず満面の笑みを浮かべてユリアに向かってぺらぺらと何かを話続けている。英雄だとか女神だとか、そんな言葉でユリアを褒め称える見知らぬ男の話を、作り笑いのまま無感情に聞き流した。


左手薬指にはシンプルな銀のリングの上に重ねるように大きなダイヤモンドが輝いている。それに気づいていないわけでもなかろうにその男は熱い眼差しをユリアへと向けてその右手をとった。あまりに強引な御曹司のアプローチにどうしたものか、このダイヤモンドが誰から贈られたものなのかを話せば引いてくれるだろうか、と考えたその時だった。


ぱちん、と小さな音が響いて、広間のシャンデリアの明かりが一斉に消えた。
右手に触れていた感触が突然消えて、男の声が動揺したように何かを呟き、何があったのかと周囲がざわざわとざわめき出す。途端緊張感に包まれたパーティ会場にいる人のうち半分はWROの隊員だが残りはその出資者たちであり、怪我人のひとりでも出そうものなら出資が打ち切られることもありうるから慎重に、と開始前に告げた穏やかな声を思い返してユリアは天井に向けてサンダラを放つと、消えていた照明の一部が光り出した。


再び明るさを取り戻した部屋では、動き出そうとしていた数人の男たちが怯えて固まる観客の中で浮いている。彼らが敵なのか味方なのかは考えるまでもない。ストップをかければ彼らは一瞬で動きを止めて、その瞬間WROの隊員たちが彼らを縛ってマテリアを回収してゆく。この世界の人はだれもマテリアなしに魔法を唱えることはできないから、都合がいいとユリアは心の中だけで呟いた。


「……随分と呆気ない」


ユリアが訝しげにそう呟いた瞬間、視界の隅で何かが光った。振り向くと、スーツを着た見知らぬ男がニヤリと、笑っている。瞬間、彼の腕に光る赤いマテリアから緑の光が上がって、会場を大きく包み込んだ。


「っ、召喚獣、」


焦ったようにユリアが呟いた。ゴウ、と大きな音が鳴った直後、キャア、と女の金切り声が響く。一瞬遅れてユリアが張ったバリアと、召喚された彼女自身――セラフィムの剣によって会場の屋根はゲストの誰にも降り注ぐことなく粉々になったそれが壁の方へと流れて落ちる。バラバラとコンクリートが崩れ落ち、地面に落下する音が、叫び声と共にジュノンの空に響き渡った。


その音が落ち着いたのを確認して羽を大きく羽ばたかせて空へ飛び上がると、大きな召喚獣――バハムートと向き合って、ユリアは剣を強く握った。下を確認すれば、リーブが厳しい表情でその赤いマテリアの持ち主と向かい合っている。


「此方はなんとかするので、ユリアは召喚獣に集中してください」


――了解。
耳につけられた小さな機械が運ぶ男の声に、ユリアは小さな声でそう返した。


バハムートに切りかかれば、そう知能の高くないらしいそれはまんまとユリアを攻撃対象に移して、彼女の逃げる方へと飛んでくる。ユリアは自分自身に小さくウォールをかけて、会場から少し離れた海の上で体勢を整えていると、バハムートは大きく口を開いた。


「やば、」


メガフレアを剣で受け止めると、炎に阻まれて行き場を失った炎が海を割り、大きな音が響いた。壁の崩れ去った会場から、多くの人影がこちらを見て叫んでいるのがユリアの耳に遠く聞こえた。――負けるつもりは、ないけれど。ユリアの表情から冷静さが失われることはなかった。


「――アルテマ」


最強の黒魔法がユリアの指先から放たれて、バハムートを巻き込んで大爆発を起こす。ユリアは6枚の羽を広げてその爆発の中心へと駆けると、大きく一閃、炎の剣を振るった。


ギャアア、と、断末魔に似た咆哮が周囲に大きく響き渡った。バハムートの鳴き声。それは緑の光に包まれながら呻きだけを残して消えてゆく。全てがライフストリームの流れの向こうへ消えてゆくとようやく、あたりをただ静寂が支配した。


「……大して強くなかったな」


羽を広げて静かに会場に着地したユリアが召喚を解くと、近くに立っていた男がヒィ、と裏返った声を上げて腰を抜かして座り込んだ。怯えた瞳の男はよく見るとユリアに先ほど熱心に話しかけていた彼で、ぐしゃぐしゃになった金髪にも構わずに、這いつくばりながら彼女から離れるように後ずさる。


――そんなものだと、わかっていた。
崇拝と恐怖は紙一重。だからこそこうして間近に見れば怯え、けれどその力を信じるものが彼女を崇めて、それが金になるのだから、ユリアは世界を救うためならばいくらでも恐怖を演じてみせるつもりでいる。だからこうして離れてゆく他人を見ても別段の感情が湧き起こることはない。


「お疲れ様でした」


感情を排した愛しい声が鼓膜をくすぐった。
男は、その瞳に一切の怯えを映すことなく、迷わずユリアに歩み寄る。頬に走った傷に触れて、ユリアは顔を歪めたが、すぐにそこから緑色の光が伸びて、痛みごと傷を消し去ってゆく。男はそれを確認してそれからドレスを着た彼女の体をちらりと見て、小さく眉を顰めた。


ことは済んだ。もういいだろう。
彼女を怯えたように見ていた男にはもう振り返らずに、ユリアは男と二人で歩き出した。


パーティは無事怪我人が出ることなく終わった。予告されていたテロも失敗に終わり、後始末をつけたリーブとユリアほかWROの隊員たちはようやく会場から引き上げてゆく。ジュノンの街は今日も静かで、穏やかで。二人を乗せた車は予約していたホテルの前で静かに止まった。


「今日はお疲れ様でした。最後までありがとうございます」
「いえ、局長も、ユリア様も、お疲れ様でありました!」


扉を開いた隊員はリーブの言葉に敬礼を返し、運転席の方へと歩くと、車は通りの向こうへ消えてゆく。よく晴れたエルジュノンの月明かりの下で、街灯の明かりに溶けてゆく黒い車を見送って、二人は向かい合った。


――血の臭いがする。
人を殺めた時にだけ体から漂う、人の死の香りがユリアの鼻を擽る。リーブはあの男を殺したのだろうか。地上での戦いを確認できるほどの余裕はなかったけれど。それともこれは、ユリア自身から香っているのだろうか。それはユリアの心をひどく掻き立てる。何か強い衝動が、胸の奥から湧き上がってくるような心地がしていた。戦いの興奮がまだ彼女のうちから抜け切っていないのかもしれなかった。


燃え盛る炎を灯した瞳でただお互いを見つめている。言葉はなく、ただどちらともなく瞳をそらして、扉の向こうへと消えていった。







人の皮を被った二匹の獣は個室へ入った途端にそれを破り捨てて、奪い合うように、喰い合うように、激しく深く口づけを交わす。リーブはユリアを入り口の扉に押しつけて、髪が擦れる音、衣擦れの僅かな音をかき消さんばかりの唾液の絡まる生々しい音が静かな部屋に響き渡った。初めから理性などかなぐり捨てて二人はただ本能のままに舌を絡め、その口付けに没頭しながら座り込んだ。


壁に押しつけられたまま座り込むユリアにのしかかるような体制のリーブは唇を離すと、視線を彼女の胸元へ下ろす。ぴったりと彼女の体に張り付いているドレスの深紅はただ彼に一人の男を思い出させて、酷く心を掻き乱した。強くその布を引いて破れば、ビリビリと大きな音が響いて、ユリアは怯えたように体を固くした。


「リーブ、」
「気に入らないな、」


赤い、ドレスなど。
そう呟くように言ったリーブの声はいつもよりずっと低く、ユリアはびくりと体を震わせる。不意に冷静になった彼女はいまだ激しい炎を灯す男の瞳を間近で見つめて、その表情に怯えを滲ませた。――だから彼はパーティの間、わたしから離れていたのか。今更ながらにそう、気づかされた。


「あの男の評判は良かったみたいですがね」
「…ぁ、リーブ、見て…っ」


力任せにドレスを引っ張るリーブにユリアは再び顔を歪めて言葉を止めた。再び大きな音を立ててシルクが破かれる。あの金髪の男は最後には貴女を捨ててしまいましたけどね、と追い詰めるような囁きの直後に、肩口に走る鮮烈な痛み。噛み痕に滲んだ血は着ていたドレスよりも美しく彼女の肌を彩った。


「ご、ごめんなさい……」
「私は今少々興奮していましてね、そう簡単に許せる気がしませんよ。だから先に謝っておきます」


――今日は優しくしてもらえるとは、期待しないでくれ。
その言葉にユリアはひゅっと、小さく息を呑んだ。普段は影を潜めている暗いリーブの一面が、夜の闇に紛れて顔を出していた。


二匹の獣は、片方は捕食者であり、もう一方は被食者だ。
彼の闇が彼女の闇を引きずり出して、彼の言葉に重く心臓を鳴らす。戦いの興奮が抜けきらないのはユリアも同じで、此処にくる前からずっと、ずくずくと体が疼いていた。それは彼のその燃え上がる激情を前にして寧ろ激しくなるばかりで。確かに怯えているはずなのに、それを望むもう一人の彼女が、心の薄汚れた部分で叫んでいる。


好きなように、わたしを、たべて。
怒りのままにわたしを抱いて、どうかわたしを、めちゃくちゃにして。


ユリアの心が素直に出した答えはどこまでもリーブに都合の良いもので、だからこそ彼は堕ちてゆく自分自身を止めることもできない。歪みから生まれたこの関係は永遠に正しい形をとることはない。けれど、転がり落ちてゆく二人はその闇の先でさえ共にいる。それもまた一つの愛情の形だと信じている。


――今夜はわたしが、あなたの闇の中へと落ちてゆこう。