holding your hand, holding your heart
「彼」がいるのだから来なくていいと告げたけれど、彼女は大丈夫だと首を振った。公私混同はしたくない、そう言った彼女に無理はしないようにとだけ返したリーブは、彼女がまだ彼に対する想いを捨て切れていないことも知っている。だから、そう言いながら彼に付いてきたユリアが、ヴィンセントの前には決して現れぬよう瓦礫の向こうへ消えて行ったことにも、気づいていた。
「現場検証はこのくらいでいいですかね。ヴィンセント、それにシェルクさん、ありがとうございました」
「……ああ」
「特にお役に立てたかどうかはわかりませんが……」
「いいえ、十分ですよ。前のデータと合わせれば報告書も完成です。この度は本当にありがとうございました。より具体的なお礼はお二人の口座の方に振り込みますから後でご確認ください」
リーブの言葉に特に興味なさげなヴィンセントは、小さく頷きをかえすとそれきり、行くぞと一言シェルクに声を掛けて歩き去ってゆく。彼のその動作は一見冷たいけれど、面倒ごとには関わりたくないと言っていた彼が、「リーブ」が撃たれて倒れた時に見せた表情をしっかりと覚えているので、彼は微笑んでそれを見送った。
おろおろと視線を彷徨わせた後にでは、と頭を下げて彼を追いかけるシェルクの後ろ姿が、背の高い彼とともにミッドガルの瓦礫の向こうに消えてしまってからようやく、リーブは振り返って反対側へと歩み始める。彼女の待つ、その場所へと。
彼女について、ヴィンセントやシェルクが尋ねてくることはなかった。
それは彼らにとってきっとまだ、触れてはいけないことだ。いくら仲間だと、いっても。リーブ自身にもどこか負い目のようなものがあったし、きっとそれは、ヴィンセントにだってあるだろう。それでもきっと二人は知っていたはずだ、瓦礫の向こうから彼女の声は何度も聞こえていたのだから。
「お二人、帰りましたよ」
「ああ、うん……ごめんね、ありがとう」
「いえ、無理をする必要はありませんから。今回の一件ではただでさえユリアには……大変な思いをさせてしまいました」
彼女は瓦礫の向こうでぼんやりと空を眺めていた。ここ最近は少しずつ星の流れも落ち着いて、それに伴ってユリアの調子も穏やかになってゆく。それでもまだ、ヴィンセントとシェルクのことを直視するほどには落ち着いたわけではないのだと、ユリアは彼と隣の彼女をひと目見た瞬間にそう、気づいた。それに傷つく自分を見つけるたび、ユリアは目の前で微笑むリーブ対する罪悪感で胸を痛めてしまう。けれど、それを目彼が望まないことも知っているから、だから今はそっと逃げ出して、そう、時間が全てを、癒すまで。ただ今は、優しく笑うこの人の隣を歩いていようと、ユリアは思う。今日も明日も、明後日も。
「……わたしたちも、帰る?」
少し大きな瓦礫に座る彼女は、リーブよりも少し低い位置で上目遣いに彼を見つめて首を傾げた。リーブはこの場所で――ミッドガルの、中心で、ヴィンセントによってオメガが星に還ったあと、ゆっくりと天から降り注いだ彼女の体をそっと、抱きとめた時のことを今も覚えている。あの時の天使はそれから、本当に彼の元へと降りてきた。彼にはまだそれが、信じられずにいた。
「そうですね、帰りましょうか」
手を差し出すと、少し躊躇うように彼女の右腕を左腕が抑えたけれど、結局そろそろと、その右手は彼の左手の中に収まる。優しく引けばつられて立ち上がる彼女がリーブの少し、後ろを歩いて。こうして彼女とふたり手を繋いで外を歩く未来なんて一体、誰が想像しただろう。手の中にある温もりが誰のものであるかを考えるたび何度だって、夢ではないかと心配してしまう。そしてそのたびに、その温もりの確かさに、ああ、これは夢ではないのだと、そう気付かされるのだった。何度も同じ気づきを繰り返して、馬鹿みたいだと思う自分のその感情さえ心に暖かな熱をもたらす。そんな自分のことを知ったらユリアは、笑うだろうか。
ふいに、ユリアがその手を握る力を強めた。それに気がついて、歩きながら顔だけをくるりと、彼女の方へと向けた。
「どうかしましたか?」
「……ううん、どうということは、ないんだけどね……」
――こうやって手を繋いで歩いたり、したの、初めてだったから。
リーブは思わず、立ち止まって振り返った。滑らかな白い肌が薄く桃色に色づいて、恥ずかしそうに瞳を逸らしている。夢じゃあ、ないんだよね。そう呟いて唇を緩めて照れ笑いする彼女。そうか、貴女も……貴女も同じ思いを、抱えていたんですね。そう気づいた瞬間に心に湧きおこったのは、彼女への大きな愛おしさと、そして一つの大きな衝動。
彼女を。何よりも愛している目の前の彼女をこの腕の中へ閉じ込めて、ただ永遠を感じていられたら。
ずっと、願ってきたことだった。けれど決して許されてはならないことだった。だからリーブはいつも、その衝動をぐっと奥歯を噛み締めてやり過ごしてきた。今はそれに身を任せてもいいのだと、頭では理解していてもまだ、心が追いついていない。お互い激流に呑まれるように惹かれ合って、彼も彼女も、まだ共に過ごすことには慣れていない。
でも。もし願うまま、心のままに動いても、いいのなら。それが今ならもう、許されるのだとしたら。
「……ユリアさん、もし、よければ……」
「……なに?」
「貴女を、抱き締めたいのです」
今、ここで。ユリアは驚いたようにリーブの方をみて瞳を見開いた。けれどすぐに、瞳を細めてにっこりと笑う。リーブは彼女のその、幸せそうな満ち足りた笑顔が大好きだった。今は彼だけに向けられるその表情が彼に教えてくれる――もう何も、躊躇うことなんてない。
(……あたたかい、)
小さく頷いた彼女が、リーブの腕の中に小さく収まった。下を向いて鼻先を頭に押し付けると、彼女のシャンプーの匂いが香って、彼の胸を甘く締め付ける。この感情には覚えがある――そう、こういう時間を、幸せと呼ぶのだと、知っている。
決して手が届かないと、手を伸ばすことも許されないのだと思っていたものが――彼女の心が今、彼の腕の中にある。それはなんて、奇跡的なことだろう。腕の中の優しい体温が、リーブの心をゆっくりと温めてゆく。この温もりをいつまでも、この胸に抱いていたい。小さな祈りを込めて抱きしめる腕の力を少し強めると、コートを掴んでいた腕が首の後ろへ回された。彼女もまた、同じ思いを抱いていたらいい。