Unbreakable curse -1
「ユリア、大丈夫か」
「……うん、なんとか」
「……少し此処で休んでいろ」
青白い顔色のユリアをヴィンセントは心配げに見遣って背中を撫でた。メテオ災害の後、星痕症候群のときとは比べ物にならないほどに苦しげな表情を浮かべる彼女に此処数日は珍しくつきっきりで彼女の側にいるヴィンセントだったが、その心配とは裏腹に彼女の体調は悪化する一方だった。
彼も、彼女自身さえきっかけがなんだったのかは分からない。あの日ヴィンセントは神羅屋敷の地下で、叫び声をあげながら気を失ったユリアを抱きとめて二階のベッドへと運び込んだ。それからずっっと、彼女の耳には絶え間なく人の悲鳴が聞こえるのだと言う。
その声は一体何なのか、そしてこの星に何が起きているのか。エアリスが生きていたならば何かわかったのかもしれないが、生憎と彼女は星の声を聞くことはできてもそれを理解することはできない。それは何かの役に立つと言うよりはむしろ、ただユリアを徒に苦しめるだけ。
それでも、彼女が星の声を聞くようになってから、つまりミッドガルを出てから3年の間で、これほどの悲鳴が、それも星ではなく人間の悲鳴が聞こえたのはユリアにも初めてのことだったし、それに対してヴィンセントができることはあまりに少なかった。
「もうじきリーブが此処にくる、お前は……!?」
励ますようにユリアへ声をかけていたヴィンセントは、外の様子がおかしいことに気がついてユリアから離れ窓の方へと歩いてゆく。ヴィンセントが小さく息を飲むのが聞こえて、それから外に銃声が響き渡った。壁際のベッドから動けないユリアには何が起きているのか外の様子は窺えない。
「ヴィンセント、外で何か……うっ」
「ユリア!」
「っ……ぁ、ぁあ……やめ……っ」
ヴィンセントに声をかけようとしたユリアが再びあげた呻き声に、彼は慌ててユリアの方へと再び駆け寄った。「大丈夫か、ユリア」と何度も名を呼んでみるものの、譫言のように「やめて」を繰り返すばかりの彼女には、ヴィンセントの声など届いていないように見える。肩を強く揺らし続けたが、瞳からは光が失われてゆき、やがて言葉もついえて眠るように意識を失った。
彼がそれを——ユリアが突然苦しみ出して、そのまま意識を失ってゆくのを見るのはもう何度目かのことだったが、何度みてもとうてい慣れそうにない。彼女だけに聞こえる何かが、彼にもほんの僅かでも聞くことができたなら。そう思うけれど、それができた唯一の人はもういないし、彼にはその原因を突き止めることさえできない。
「……とにかく此処を片付けてから、」
リーブに会わなければな。残りの言葉は喉の奥に仕舞われた。現状手がかりを握っているのはリーブ一人だった。突然連絡を寄越した彼はユリアのことを話すと「やはり……」と何かを知っているような反応を取ったのだ。ユリアに布団をかけ直してやると、すぐに振り返って駆けだして、窓から外へと飛び出す。
ディープ・グラウンド・ソルジャー。神羅カンパニー科学部門が生み出した闇のひとつ——ヴィンセントの罪とも無関係ではないそれとの、初めての邂逅だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「それで……ユリアさんはどちらに?」
一度合流したはずのリーブ——の中から出てきたケット・シー——の言う通りにカームに残った一頻りの敵を片付けてしまってから、教会前の広場でヴィンセントはようやくリーブと合流した。世界を背負って日夜戦うこの男を前に、無口な元タークスが交渉で勝とうなど土台無理な話であって。結局リーブに言われるままにこうして協力する羽目になりながら何も言わないのは、彼がかつて共に戦った仲間だからであり、そして——ユリアの現状について、何かを知っているからでもある。
此処に訪れた目的であるその名前がリーブの口から出たのに、ぴくりと小さく体が反応した。
「……やはり今回の件とユリアの状態は関係があるのか?」
「できれば詳しいことは車に乗ってから説明させていただきたいのですが……とにかく、今ユリアさんが安全に過ごせる場所はこの世界にはおそらくないでしょう。今起きている問題を解決することが、ユリアさんを救う唯一の方法です」
ひとまず彼女を連れて移動しましょう。そう提案するリーブにヴィンセントは頷いた。
一度目はリーブを着込んだケット・シーで、ユリアの話を聞くより前に敵を倒すことを承諾してしまったし、ようやく本体と会えたかと思えば次はユリアを連れてこの街を出てから、と言う。それにヴィンセントはどこかもどかしい気持ちを抱いたが、此処が敵に襲われたばかりなのは事実だし、今ユリアは戦う力を失っているから、リーブの提案は至極妥当で文句のつけようもない。護送車の扉が開かれてそこへリーブが入ってゆくのを見送って、ヴィンセントは早足で宿屋の方へと戻っていった。
周囲には人のいない建物——外へ出たものは皆あの謎のスーツを着たもの達に連れ去られてしまったのだろう。何百人、いや、千を超えるかもしれない。この分では宿泊料金を払うこともできないだろうな。心配すべきことはそこではないとヴィンセント自身も理解していたが、突然のことにうまく状況が飲み込めていないのも事実だった。無人の階段を上がり、自室の扉を開く。
「……ユリア」
扉からすぐのベッドには出る前と全く同じ体勢のまま魘されるユリアの姿があった。「ぅ……ぁあ……」と消え入りそうな小さな声が断続的に半開きの唇から漏れる。つ、と一筋、きつく閉じられた瞼から涙が流れて落ちた。髪に染み込んで、シーツに届くより前に消えてゆく。
そっと近づいて、涙の跡に唇を落とす。相変わらずその表情は厳しいまま。彼女のためにできることは少ない。特に、彼にとっては。苦しみを和らげることなどできるはずもない。唇を離して目線を窓の方へと逸らす。
彼女を直視すること。3年前のあの時は確かにできていた気がするのに、いつの間にかそれさえもできなくなってしまった。ユリアはそれに気づいているだろうか。——当然気づいているだろう。彼女は彼が何をしても受け入れる。彼が消えて戻らない夜も、『彼女』を見つけた日も。きっとすべて分かっていて、何も言わずにいる。
それが苦しいのに、離れられないのはきっとユリアも同じなのかもしれない。出会わなければよかったとも思う。しかしそれは無意味な仮定だった。境界線は越えられないのに、そこから離れることもできない。そんな関係をもう、3年も続けている。
——そうだとすれば、私はお前を救う立場ではない。きっと彼女の耳に響く悲鳴と同様に、お前を苦しめる側なのだろうな。ヴィンセントは思う。苦しめていると知りながら止められないのは。いまだに彼女のI love youに何も返せないのは。消せない過去がいつまでも彼を縛り付けていた。呪いはまだ解けそうにない。