jus' wanna make love whole night through



午後11時。
英雄と呼ばれた2人は無言で肩を寄せ合っている。ベッド脇の小さな間接照明だけが灯る部屋は薄暗く、ベッドサイドには衣服や下着が散乱して、ゴミ箱には無造作に丸められたティッシュが投げ捨てられている。ピロートークにしては重い空気の中で、2人はベッドの上に膝を丸めて座り込んでいた。


「…ユリアさん、申し訳ありません」
「…そう、何度も謝らないで…誘ったの、わたしだから」


裸のまま身動ぎもせず、ユリアは虚ろな表情のままそう言った。
−−こうなると分かっていて、それでも止めなかった。けれどコトが終われば残るのはただ、虚しさばかり。シャワーを浴びてくると、そう言って立ち上がったユリアのそこから、どろりと白い液体が溢れる。見ていられなくて、リーブは視線を外した。彼女がそれを受け入れたのだとしても、結局それは彼のエゴでしかない。


ユリアは未だ熱の籠る体にシャワーを当てて、淡々と髪や体を清めてゆく。汗で湿った額や、唾液で濡れた乳房を洗い流すと、行為の跡はもうどこにも残っていない。彼が部屋から去ってしまえばもう、その影はどこにも見つけられない。恋人であるはずの、自分ではない誰かを追いかけている男のことを考えれば、その方が都合がいいはずだった。


ため息がこぼれた。
シャワーを止めて、バスタオルで髪や体の水分を取ると、バスローブも纏わずにベッドサイドへと戻る。リーブはユリアがそこを離れた時と寸分違わぬ体勢で待っていた。此方をみるリーブの瞳が、仄暗い照明を反射して光っている。


「…リーブも、シャワー使う?」
「…ええ、ありがとうございます」


酷く後悔した表情の裸の男と、無言ですれ違う。ユリアの心臓がずきんと、大きく鳴った。


(…何をやってるんだろう?)


――わたしも、彼も。
人間の感情とはこんなにままならないものだっただろうか。彼を望む人と重ねるには、リーブの指はあまりに優しかった。全て委ねて、どこか遠くへ連れ出してほしいくらいに。繋がっているほんの一瞬、たしかにユリアは全てを忘れてただ与えられる愛情を受け入れた。受け入れてしまった。


「…どうも、ありがとうございました」


ぼうっと思惟に耽っていたユリアは思ったより近くから聞こえた男の声にびくりと体を震わせる。見ればリーブは散らばった衣類を拾い集めて、ユリアの分は畳んで脇へ並べて、自らの服を着ようとしている。ふわりと体から香る石けんは自らのそれと同じ。


「…ユリアさん?」


リーブは戸惑ったようにユリアを呼んだ。
ユリアは俯いて、弱々しくリーブの右手を掴んでいる。


「…朝まで、いっしょにいてって言ったら」


此処に、いてくれる?
顔を上げて上目遣いにこちらを覗くユリアの色気にリーブは思わずゴクリと唾を飲み込んだ。不安げに揺れる瞳は無意識か――そう言えば、自分が此処から離れられないことをわかっての確信犯か。


「ユリア、さん」


彼女に触れてしまったことを。触れたいと、思ってしまったことを。後悔していたのに。
彼女はその後悔を簡単に覆い隠して、塗り替えてしまう。この虚しい愛情はただそれだけで喜びを感じてしまうほどに大きく彼のうちに膨らんでしまった。


リーブはため息をついて、右手を掴むユリアの指に、反対側の手で触れた。


「…こういうのは惚れた方が負けですから」
「リーブ…」
「どうぞ仰せのままに、」


お姫様。
改めてユリアの腕をとって、恭しくその手の甲に口付けた。


「…あのコート着て言ったらサマになってたかも」
「それはそれは…」


ユリアは軽口を言って笑う。
どこか空虚なその笑みは今となっては見慣れた当たり前の笑顔になってしまったけれど、本当はもっと花が咲くような、華やかな笑顔を持っていたことをリーブは知っている。その笑顔を浮かべていた時いつも隣にいたのは、


(…あかん)


考えてはいけない。苦しいだけだから。


きっと自分では役不足だ、リーブはそう思っている。彼女の笑顔を取り戻せるのは自分ではないと。それでも、壊れそうな心を少しでも支えたいと思う。


――この夜だけでも、心を分けてほしいと思う。


「…キス、して」
「…はい」


可愛らしくキスを強請るユリアの腰を抱く。反対側の手を後頭部に回して近づけると、リーブを受け入れるように瞳をゆっくりと閉じる。2,3度啄むように角度を変えて、口づけを交わすと、それだけで再び開いた瞳には劣情が浮かんでいた。


「…ユリア、さん…」
「リーブ…」


艶やかに濡れた声が、リーブの名を呼ぶ。ぞくりと、背中から何かが駆け上がってくるのを感じた。


その瞳の向こうに深く広がる闇に、リーブはいつも囚われている。
――愛してしまったから。彼女の全てを、その闇すら愛おしいほどに。


濡れた髪と、白い肌が、艶やかに光っている。触れられても、触れてもいないのに、身体中が熱を持つ。ただその色気を纏う瞳が静かにリーブを眼差すだけで、本能が彼女を求めてしまう。


――一度触れてしまったから。彼女がどう感じて、どう喘いで。どんな表情でリーブを受け入れるのかを、知ってしまったから、もっと、欲しくなってしまう。彼女の身体を余すところなく全て――全てを自分のものに。


そんなことはできないのだとわかっていても。
――でも、今夜だけは。
いっしょにいて、と、そう言ったのはユリアなのだから。
彼女が許したのだ。他の誰が許さなくとも、リーブは何に逆らっても彼女から離れたくない――離れられない。


「…あまり煽らないでください…歯止めが利かなくなります」


ユリアはそれを聞いて、リーブの肩口に噛み付いた。
——そんな予防線はいらない。ただ、あなたから与えられるその快楽だけがほしい。


「っ、ユリアさ、」


びくりとリーブの身体が震える。ユリアが離れると、生々しい歯型が鎖骨の周りの薄い肌に赤く残っていた。――消えない痕。それを見て、ユリアは心に、なにか歪んだ充足感のようなものが湧き上がるのを感じた。


朝になればきっと、リーブは全てをなかったことにするだろう。きっと、全ての戦いが終わればまた、ユリアの愛した男は彼女の元へと帰ってくる。――少なくともリーブは、そう思っている。だから、今日が最初で、最後。


でも、この歯型は夜が終わっても、きっと消えることはない。
リーブがユリアの心に残した、無形の傷痕と同じように。


一度受け入れてしまったその感情が、思いのほか暖かくて、優しかったから。
嬉しくて、切なくて、苦しくて、愛おしかったから。ユリアは思う。
――だから、なにか目に見えるものがほしかったのだ、ただ一度体を重ねた目の前の男に絆されているのだとわかっていても。大粒のにわか雨が降ったあの日に傘を差しかけた彼が彼女の本心を、彼女の弱さを見ていたことにも気づいている。ユリアは英雄なんかじゃあない、ただの弱い人間で、愛する人を信じつづけることさえできない。リーブはそれでも、ユリアを受け入れ、求め、愛してくれる。


――乾いていたのは、愛情だった。
少なくとも、3年前には与えられていたはずのものだった。ユリアはそれに十分に満足していたし、忘れられない女性がいても構わないと、そう思っていた。自分にだって忘れられない人はいたから。


けれど、じゃあ、今は?
忘れられない人の断片を追いかけて、その影をもつ少女を気にかけている。その瞳に今もユリアが写っているのだろうか。


――突然、ユリアの終わらない思考を切り裂くように、肩に痛みが走った。


「っ、あ、」
「…お返しです」


ユリアがしたのと同じように鎖骨に噛み付いたリーブが、間近でユリアの瞳をじっと見つめていた。熱を灯した瞳には今、ユリアの姿だけが写っている。誰でもない、ユリアだけが。


とん、と肩を軽く押される。ゆっくりと背景が動いて、シーツに身体が触れた。すぐに与えられる深い口づけ。中途半端にボタンの開いたシャツがユリアの肌を擽って、太腿には硬い感触。――歯止めが利かないと、そう言っていた。それでも構わない、むしろそうしてほしいと、ユリアの暗い部分が叫ぶ。


――どうか、壊れるまで抱いてほしい。
一晩中、貴方のことだけを考えていられるように。