Just a drop of joy



ジュノンの街で集団失踪事件が起きてから1年。街には活気が戻り、表向きは元の生活を取り戻したように見える。けれどあの一夜がこの街に残した傷は深く、重い。リーブはユリアを連れ立って、目立たない私服で街を歩いていた。


不意に2人の目の前に襤褸を纏った5歳くらいの子どもが数人駆け寄る。何も言葉を発さずに手を差し出す彼らに、リーブはそっとギルを渡した。


「…すみません」


リーブは悔恨に満ちた声で言う。
子どもたちはその言葉の意味を理解しているのかいないのか、何も言わずにペコリと頭を下げて、そのまま2人の前を去っていった。


「…孤児院が足りていないようなのです。何せあの夜この街から消えたのは1200人。その中にはもちろんいろいろな方がいますが、それでも相当数の孤児が生み出されてしまったのは間違いありません…」


ユリアはリーブがそう言うのに、どう返せば分からなくて俯いた。
リーブはきっと後悔している。ジェノバ戦役の後も、たった1人その後の世界のために戦い続けた。己の異能も、技術者としての才能も、全てを投じてこの世界を守ってきた。ユリアがひとり個人的なことに気を取られている間も、この男は世界を見ていたのだ。


あなたのせいじゃない、も、あなたは頑張ってる、も、あまりに軽すぎる気がした。
ユリアは彼がこの4年の間、何をしてきたのかを詳細に知っているわけではない。けれど今この世界は、WROなしには成り立たない。巨大な組織だった神羅が消滅した穴はそう簡単に埋まるものではない。それを彼が、たったひとりで率いている。


返答に困っていることを察したリーブはユリアにすみません、と一言謝って苦笑いを浮かべる。ユリアにはそれが苦しくて、繋いでいた右手にぎゅっと力を込めた。








その日の夜、2人はホテルの居室でぼんやりと過ごしていた。
ジュノンの視察を局長が自ら行ったのは失踪事件の後はじめてのことで、決して体力のある方ではない2人は夜には疲れきっていた。


やわらかなソファにぼんやりと座って、つけっぱなしのテレビをぼうっと眺める。


「…ジュノン、思ったより広かった」
「そうですね、私たちの足ではなかなか…」
「…もしかして、わたしたち運動不足…?」
「…なかなか痛いところを突きますね、ユリア」


ぽつぽつと、会話をしては、黙り込む。
2人とも、互いに何を考えているのかはなんとなく分かったけれど、触れずにいた。


4年前ジュノンを訪れた時ユリアは反逆者だった。
それが今は主賓であり、当時は入ることもなかった神羅の敷地の、ラグジュアリーなホテルのスイートルームでリーブとふたり過ごしている。世界中の人がふたりを知っている。世界を救った、「英雄」として。


——本当はそんな大層な存在じゃあないのに。ユリアは思う。


英雄、という単語を聞くたびに、胸が痛んだ。作り笑顔でやり過ごすたびに、心のどこかが削れてゆくのを感じた。4年前本当にこの世界を救った人は、もうこの世にはいない。


ユリアは立ち上がって、キッチンの方へと歩いた。リーブはそれを静かに見つめている。冷蔵庫を開いて中を見ると、いくつかの酒がミネラルウォーターとともに並んでいた。小さなグラスを2つととスコッチの瓶を持ってソファへと戻る。


「ウイスキーですか?」
「うん、グレンモーレンジ。ボウモアもあったけどそっちがいい?」
「いえ、どちらでも大丈夫ですよ」
「よかった、わたしスモーキーなの苦手なんだよね」


グラスと瓶を置くと、再びキッチンへ戻ってチェイサー用のミネラルウォーターとグラスを持ち、再び戻るとソファに腰掛ける。その間にリーブが瓶を開けて、グラスには琥珀色の液体が注がれていた。


「ありがとう」
「いえ。では、乾杯」
「乾杯」


口に含むとウイスキーの香りが口の中に広がる。半分やけ酒のように飲むには些か質の良すぎるウイスキーが喉を通って胃へと収められてゆく。ほとんどアルコールの影響を受けないユリアはふう、とため息をついて、グラスを置いた。


「おいしい…」
「…もう少しおいしそうに言っていただけると反応しやすいのですが」


リーブは困ったような表情で自分の手元にあったグラスを置くと、そっとユリアに触れた。肩を抱き寄せると、ユリアは頭をリーブの肩に預ける。リーブの方からは、俯いているユリアの様子は伺えない。ユリア、と耳元で囁くと、ようやくゆっくりと顔を上げて、至近距離にあるリーブの瞳と、ユリアのそれがぶつかった。


この世界は、直視するには少し眩しい。俯けば守れなかったものが足元に絡みつき、瞳を閉じれば大切だったもういない人の声が頭に響く。リーブやユリアにとってここはそういう場所だった。悔恨、悲哀、孤独。罪の、意識。たくさんの感情がふたりの心に巣食って、それは深い闇として心にいつも根を張っている。


「…ね、リーブ」
「どうしました?」
「…結婚、しない?」
「…ユリア」


「…いいですね。そろそろ今回の件も片付きます。視察が終わったら、婚約指輪を買いにいきませんか?」
「…いいの?」
「何がでしょうか」
「そんな、簡単に」
「もう少し悩んだ方がよかったですか?」
「…ううん」


夜は静かに深まってゆく。広い客室にふたりの他には誰もいない。
テレビの向こうからは相変わらず話し声や笑い声が響いていたが、それはどこか遠い。


「正直わたしはどちらでも構わないのです。どうせ死ぬまであなた以外の方に心を渡すつもりはありませんし、あなたを手離すつもりもありません」
「…わたしも、離れるつもりはないけど」
「それはよかったです。…どうして突然言い出したのか、尋ねた方がいいですか?…いえ、嫌なら無理に答える必要は、」
「…あの、ね」


子供が欲しい。
ユリアはリーブの気遣うような言葉を遮ってそう言った。リーブは、少し驚いたように瞳を瞬かせる。ユリアはそれを、不安げな表情で見つめる。


ユリアの体は子を孕めないのだと、昔宝条が言っていた。
まるで人間のように見える肉体は人間と同じ物質では構成されておらず、古代種とは根本的に異なり、繁殖さえできないのだと。ケット・シーが彼女とともにいた頃にただ一度だけリーブとして話をした時——ジュノンで仲間を助け出す間ひとり、ミッドガルで高濃度の魔晄に浸けられて苦しんでいたユリアの姿を思い出す。


そして、昼に見た、ジュノンの街に溢れる孤児たちのことを思い出した。


「…それは、養子を、ということでしょうか」
「…うん」
「責任を感じて…?」
「…ちがうよ」


「…わたしには子供は産めないし、産めたとしても、この世界に新しい命をわたしが生み出してもいいのかって——そう、おもうけど。でも、もうこの世界に生まれてきた子供たちには、幸せに生きていってほしい…わたしに幸せにできるのかは、わからないけど…」
「…ユリア」


ユリアは俯いてしまった。リーブは優しくユリアの髪を撫でる。ぎゅ、と、小さくリーブの服を握るユリア。顔が見えなくても、何を考えているのかは痛いくらいにリーブに伝わる。


「WROの仕事も少しずつ部下に任せる比重を増やしているんです。まだまだ現役のつもりですが、私がいなくては回らない組織になってしまうと困りますから」
「…」
「…あなたが誰かを幸せにすることに、私も協力させていただけるんですよね?それはとても…とても、幸せなことです。私にとっても…」
「…リーブ、」


リーブは髪を撫でていた手を肩に回して、ユリアは服を握っていた手を首に回した。リーブがゆっくりとソファーに倒れこむと、二人の体はより密着する。伸ばした足を絡めて、ふたりは見つめあった。


「…ちゃんと、プロポーズをさせてください。指輪を買ったら…」
「…わたしはそういうの、気にしないけど…」
「私が気にするんです」
「…うん」
「…そうしたら、みなさんにもお知らせしましょう。結婚式や披露宴はその…少し、大掛かりなものをしなければなりませんが」
「…ウエディングドレス、探さないとね」
「きっと何を着ても似合います、ユリアなら」
「リーブも、タキシード似合いそう」
「そう、でしょうか」
「うん、背も高いし。楽しみ」


悲しみは忘れない。忘れることはできないし、忘れたいとも思わない。
そうでなくともこの世界は悲しみに満ちていて、だから、ふたりはこうして、悲しみの海の中にひとしずく浮かぶ、小さな喜びの味を噛み締めて生きてゆく。ユリアとリーブは、それを幸せと呼ぶのだと、そう考えている。