預かり物

「でね、ユフィったらそこで……ナマエ?」
「……あっ、はい、なんでしょうか?」
「大丈夫……?」
「す、すみません……久しぶりにエッジに来たから疲れてるのかもしれません。その、それでユフィはどうしたんですか?」
「あ、うん、それなんだけど……」

 セブンスヘブンは賑やかだった。今朝から滞在しているナマエとヴィンセントをゲストとして迎え、久しぶりに会えた二人に喜んだティファとクラウドは仕事を臨時休業してテーブルを囲んでいる。とはいっても無口なヴィンセントは同じテーブルに着きながらぼんやりとバーカウンターの方を眺めているし、同じくそうおしゃべりな方ではないクラウドも今日のために開けた赤ワイン瓶の中身を空にすることに注力していた。

 あの時ともに旅をした仲間のうちで、この街に家を構えているのはティファとクラウドだけだ。より正確にはケット・シーの本体にあたるリーブが申し訳程度にエッジに家を構えているけれど、彼は普段WRO本部に籠もってでてこないので、エッジに訪れた際にはセブンスヘブンの空き部屋に滞在するのが半ば習慣のようになっていた。今回もまた用事があってエッジを訪れたナマエとヴィンセントは、3泊4日の旅程でこの家のゲストルームに滞在しているのだった。

「ユフィも相変わらず元気そうでよかったです。もちろん、ティファさんも」

 ナマエが笑った。ティファはそれに頷いて、それから心配そうな表情で「ナマエは大丈夫?」と尋ねた。賑やかなふたりの会話の中、ナマエが時折ぼんやりとしていること、その笑顔がどこか空元気なこと。そう親しくないうちには気づかなかったかもしれない小さなサインに、あの旅をともにしたティファは敏感に気付いていた。ナマエは「大丈夫ですよ」と笑うけれど、ティファはなお心配げな表情を崩さない。理由は明白とはいえ、心配なものは心配だった。

「あのお店はエッジでも有名な修理屋なの。3日で直るって言われたなら明後日にはきっと新品同様になって戻ってくるよ」
「そ、うだと……いいんですけど……」
「ああ、腕のよさは俺も保証するよ。大丈夫だ、ナマエ」
「クラウドさんも……ありがとうございます……」

 なんとか励まそうとふたりで言葉を探すけれど、うまくいかない。「心配かけてすみません」だなんて、謝って欲しいわけではなかった。

 1年のほとんどを予定表が空白のままで過ごすナマエとヴィンセントが突然この小旅行を始めた理由は、3日前に遡る。アイシクルロッジのふたりの家で、夕食を作っていたときのことだった。「あっ、」と小さな声を上げたナマエに、ソファで読書をしていたヴィンセントが駆け寄った。

「大丈夫か」
「え、と……わ、わたしは大丈夫なんですけど……どうしよう、」

 ——ブレスレットが。どこか泣きそうな声で呟くナマエの手元、ちょうど包丁を握っている右手につけられていたそれが、きれいに真っ二つに割れてまな板の上に転がっていた。左手のそれは神羅の英知を結集しても外すことができなかった。つまり外れたほうのブレスレットはエアリスからの贈り物だったはずだ。両腕に同じ腕輪をつけていたエアリスの姿がふたりの脳裏に浮かび上がった。

 大切にしていたはずのそれが、たとえどれだけ大切にしようとも、年月が経てば劣化してしまうことくらい頭では理解していた。それでも、それが目の前で二つに割れた時の衝撃はナマエにはとても、言葉では表現できないくらいに大きなものだった。

「……そろそろ、夜も遅いので。わたし、もう寝ますね」
「う、うん……そうね、ってもう日付回ってるじゃない!明日は街で買い物する約束だったもの、体調崩しちゃいけないから寝ましょ?」
「はい。楽しみにしてます」
「わたしも」

 半ば強制的に会話を終わらせてしまったことにナマエは罪悪感を覚えたが、実際に時計を見ればそろそろ寝てもいい時間——むしろ普段ならもうすでに眠っている時間だ。ティファも急いでテーブルの上を片付け始める。手伝おうと立ち上がったナマエをティファが両手で押し留めた。

「ナマエは今日はお客さんなんだから、ここはわたしとクラウドに任せて」
「お、俺もか……?」
「クラウドはあたりまえでしょ。今日は仕事もしてないんだから洗い終わったグラス磨くの手伝って」

 両手をテーブルにつけて立ち上がったクラウドは頬が赤い。静かに酒を飲んでいたが、気づけば瓶もほとんど空で、くらりと立ちくらみを覚えた彼は予想以上に酔っていたことに気づいたようだった。それでもティファは容赦無く、「飲み過ぎ!」と頬を膨らませるのでクラウドは「ごめん……」と肩を下げることしかできない。そんな会話を微笑ましく感じながらも、申し訳なさげなナマエが「いいんですか……?」と遠慮がちに尋ねると、ティファはからからと笑った。

「あたりまえよ。ね、今日はもう寝たら? 長距離移動で疲れてるでしょ」
「あ、ありがとうございます……お言葉に甘えさせていただきますね。じゃあヴィンセントさん、」
「……ああ」

 ヴィンセントはこのテーブルについて初めて口を開いた。もうお開きになるという時までずっと黙ってクラウドとともに酒を飲み続けていたが、頬を赤くしたクラウドとは対照的に真っ白な肌には赤み1つ差していない。よろめくこともなく立ち上がった彼がナマエに手を引かれて階段の方へ歩いてゆく。階段をあがる直前にもう一度振り返ったナマエが「おやすみなさい」と残った彼らに言って、彼らもまた「おやすみ」とナマエへ返す。ほどなくして、ふたりの姿は階段の向こうへ消えていった。

「ナマエ、大丈夫かな」
「あれ、大事にしてただろうからな……」
「うん……」

 がたん、と音がして2階の扉が閉ざされたのを確認してから、ティファとクラウドはそんな会話を交わした。旅の間、ナマエがどれだけエアリスを慕っていたのか、そしてそのブレスレットをどれだけ大切にしていたのかは彼らもよく知っていた。

「ブレスレットが直れば、元気になるだろ」
「うん、そうだといいけど……」

 元よりナマエ第一のヴィンセントがいつも以上にナマエを気遣っていることにもふたりは気づいている。それでもナマエはなおどこか上の空で、時折思い詰めたような表情を浮かべるので、ティファとクラウドはふたりを心配しながら、もどかしい思いを抱えて見守っているのだった。




 二階ではヴィンセントが静かにナマエを見つめていた。普段ならそんな視線にすぐ気づくはずの彼女はベッドに座ったままぼんやりとどこか遠くを見つめている。

「……ナマエ」
「……あ、はい。ヴィンセントさん。なんでしょうか?」
「……いや、いい。早く寝ろ」
「ヴィンセントさん……?」

 不思議そうに首を傾げるナマエにヴィンセントは無言で首を振った。

 大丈夫だ。それは何度も伝えたし、ナマエ自身も理解しているはず。それでも不安なのか、それともそれ以上の何かがあるのか。ヴィンセントには計りかねたが、ナマエが話したくないというならそれでも構わない。悲しみは彼女が見せたいときにそっと教えてくれればいいし、耐えられなくなるまでは無理やり暴くことはしたくない。なるべく彼女の意志を尊重したいと思っていたし、今は空元気でも笑っているほうが楽なのだとすれば、ヴィンセントはそれに付き合うつもりだった。

 ヴィンセントが入り口のボタンで部屋の照明を切り替えると、部屋はぼんやりと薄暗くなり、ふたりの白い肌が闇の中に浮かび上がっていた。

「おやすみなさい、ヴィンセントさん」
「……ああ」



 それから2日は同じような日が続いた。ティファはナマエと過ごせることに喜んで街のお気に入りのカフェや洋服屋を案内し、ナマエも喜んで服をかったりココアを飲んだりしていたけれど、それでもどこか上の空で。ティファはそれに気づきながらどうしようもないと黙っていた。ティファと過ごす時間を楽しんでいること自体に嘘はない。大切なものを壊してしまって落ち込んでいる彼女が少しでも気を紛らわせられるならティファはそれでいいと思った。

 夜には女性ふたりがその日のできごとを男ふたりに話して聞かせた。主に相槌を打つ係であるクラウドが楽しそうだなとナマエの頭を撫でるとヴィンセントの静かな眼差しに「……す、すまない」とすごすごと腕を下ろしてしまう。ナマエが首を傾げるのにも構わずおそるおそるヴィンセントの方を見れば、背の高い彼がクラウドを見下ろしていた。

「……私は何も言っていないが」

 目が怖いんだよ、とはクラウドも言えず、「そうだな……」と力の抜けた声で呟くのでとうとう堪えきれずにティファが声を上げて笑い出す。困惑するナマエの頭を今度はティファが撫でて、「愛されてるのね」と笑っていた。

 楽しい時間だった。まるでそこだけが、あの辛く厳しくも大切でかけがえのないあの記憶の中に、あの短い旅の中に戻ってきたかのような錯覚さえ覚えた。だからこそ、腕にいつもあったはずの優しい重みがないことが、ナマエにはどうしても苦しかった。

 その日の夜、毎晩任せるのは申し訳ないと半ば無理やりにティファの片付けを手伝ってから部屋へ戻ったナマエは、ついにヴィンセントに重い口を開いた。心があのときに戻れば戻るほど、あのときの記憶が蘇って仕方がない。エアリスのいない悲しみさえまだ完全に乗り越えられたわけではない——きっとその悲しみは永遠に心に抱いて生きていかなければならないものだ。それは時折津波のように心に押し寄せては、ナマエの小さな体をたくさんの負の感情で満たしてしまう。そんなときはいつもヴィンセントがそっとその悲しみを掬い上げて、沖の方へと流してくれるのだった。

 だからこんな夜は。心が昔に戻ったこんな夜には時折、ほんの小さな弱音を吐き出すこともある。いつも一人で立とうとするナマエがヴィンセントと過ごすうちに少しずつ学んだことだった。——辛い時には、甘えてもいい。

「……あのブレスレットは、エアリスさんから預かったものなんです」
「……預かった?」
「セフィロスさんのことは任せて、全部終わって帰ってきたら返してねって、エアリスさんに言われて……それで、」

 ナマエはそれから言葉を続けられなくなって俯いた。

 エアリスはたくさんみんなを守ってくれていた。生きている間も、その後も。それなのに自分は借りたブレスレットさえ壊してしまって、そんなことではエアリスに、

「エアリスはそんなことでお前を嫌ったりしないだろう」

 ナマエは目を見開いてヴィンセントの方を見つめた。何も言っていないのにどうして考えていることが分かったのか、そう言おうとして舌が絡まったようにうまく発話できない彼女にヴィンセントは苦笑を浮かべながら「ナマエの考えていることはわかりやすい」と言った。

 大切な人に嫌われたくない。その思いはヴィンセントもよく理解できる。かつての自分がそうであり、そしてまた今も。それでもヴィンセントは彼女のことを信じている。どこまでもまっすぐにヴィンセントを想うナマエの愛情とその優しさを。だから彼女を疑うことはなかった。

「毎晩両腕のブレスレットを磨いていることは私も知っている。エアリスには……全て伝わっているのでは?」
「……そう、ですね……」
「お前はただ信じるだけでいい」

 ——エアリスのことを。その言葉は静かにナマエに染み渡った。悲しみの水で満たされた心の器からそれが少しずつ流れ落ちてゆく。代わりに満たされるのは愛情だった。ヴィンセントへの、そして、エアリスへの。

「……エアリスさんのこと大好きだから、嫌われるのが怖かったんです。でもそれって、エアリスさんを信じてない、ってことにもなりますよね。気づきませんでした」

 エアリスはどんなときでもナマエを受け入れてくれた。まだ彼女が何者か分からなかった頃でさえ、彼女は姉のようにナマエの隣にいた。本当の姉だと分かったあとは特別にナマエのことを心配してくれていた。エアリスのそんな優しいところがナマエは大好きだったのだ。不安に押しつぶされて見失いかけていたことだった。

「……大切にしていたものが壊れた時は、誰も冷静ではいられないものだ」

 ヴィンセントが言う。その通りだとナマエは思う。特にそれがもう元に戻らないものだったなら。けれど今回は違う。修理屋の気のいい主人は3日後には新品にして返すぜ、と白い歯を見せて笑っていた。部品の脆いところが劣化して壊れただけで、どれだけ大切に使っていても必ず起きてしまうことなのだと。

 直せるものなら、もう一度大切にすればいい。心にずっしりと載っていた重石が外れるような心地がした。数日ぶりに冷静さを取り戻しつつあるナマエはふと気になってヴィンセントを見上げる。

「ヴィンセントさんにもそういうことがあったんですか?」
「……どうかな」

 曖昧な答えにナマエはにっこり笑った。イエスかノーか、それは重要なことではなかった。ただ、もしこれから先の長い未来でヴィンセントにも同じことが起きたなら、その時に彼の心に満ちるかもしれない悲しみを掬い上げるのはどうか自分であればいいと思った。



 明くる日、ナマエは心からの笑みを浮かべてティファにお礼を言っていた。クラウドは少し前に仕事に出てしまったので、セブンスヘブンの前にはヴィンセントとナマエ、そしてティファの3人が立っている。

「4日間本当にありがとうございました」
「大丈夫。それよりまた遊びにきてね? いつでも待ってるから!」

 よかった、とティファは思う。ナマエは元気になったし、それにクラウドも安心していた。個人的にはせっかくなら元気になったナマエともう少し話したかったけれど、「はい、必ずまた来ます。またゆっくりお話ししたり、ショッピングに行ったりしたいです」と答えるナマエに次はユフィも呼んで3人で街を回ろうと思い直した。ヴィンセントにも「またナマエと遊びにきてね」と言えば、ヴィンセントは「……ああ」と答えて顔を逸らしてしまう。相変わらずの無愛想さだが、仲間である彼女にはちゃんと伝わって、ティファはうんうんと何度も頷いた。

 ナマエの手を引いて歩くヴィンセントにつられるように歩き出したナマエが振り返って「では失礼します、また来ますね!」とティファに向かって叫んだ。応えるように大きく手を振るティファに、手を振り返すナマエ。その右腕ではブレスレットが太陽を反射してキラキラと眩しく光っていた。



数ヶ月の大遅刻ですが葛義さんの連載完結をどうしてもどうしても祝いたくて書きました…!わたしがえふえふせぶんの夢を書き始めたのはごく最近のことですが、読むほうはここ10年近くずっと続けていて、つい去年までヴィンセント推しだったわたしにとって葛義さんのサイトは大好きなヴィンセントに会える場所でした。推しが変わってもイリスちゃんとヴィンセントのことは大好きで応援しているし、そんな中で思いがけず葛義さんと仲良くなれて、さらに連載が完結するところも見れて、読んだ直後にLINEで感想を送りつけて通話することまでできて、本当に幸せです。ここにこれを書いているのはまじで単なる自慢なんですが、今は葛義さんのことを大切な友人の一人と思っています。完結おめでとう。これからもどうぞよろしくね!大好き!