keep one’s lip sealed

「拒否、しないんですね」

そう言うと、彼女は恥ずかしそうに瞳を伏せた。
伏せられた睫毛が震えて私の心も震えた。



keep one’s lip sealed



ずっと、好きだった人がいる。
初めて一目惚れした人だった。
でもその人には他に好きな人が、他に愛している人が居る。

だから諦めた。

彼女には愛している人がいるのだから、それを壊すような事はしたくない。
彼女を愛している人がいるのだから、それを奪うような事はしたくない。

出会いが遅かっただけだと思いたい。
もう少し、後少し私が早く出会えていれば。もしかしたら・・・なんて。
考えるだけ馬鹿馬鹿しい。

「統括」

そう呼ぶ貴女が眩しくて、輝いていて、愛おしい。

返事をすると楽しそうに笑ってくれる。
仕事以外の話で盛り上がって、たまの飲み会の席でも気を使ってくれて。
彼女は多分普通にしているだけと解っていても。例えそれが社交辞令だと知っていても。


私にだけ特別にではないのか、と。
くだらない事を考えてしまう。


「出張お疲れ様です、いつもすみません」
「いえいえ!そんな仕事ですから気にしないでください!」


そう、心にも思っていない言葉を彼女の夫に言った。
彼女の夫もとてもいい人で、仕事が出来て。愛想がいいから営業としてもってこいの人材。
だから何かと理由をつけて外に出した。
会社内で彼女・・・夫婦が一緒に居るところを見たくなかった。

職権乱用したつまらない、嫉妬。

彼さえ居なければ、彼女の隣は、


「統括、それで来週もまた来て欲しいと先方に言われているのですが」
「・・・私のものだったのに」
「え?」


思わず口に出してしまっていた。
慌てて首を振って否定する。


「いえ、解りました。よろしくお願いしますね」
「はい!」


出張は遠方なので一泊二日にはなるだろう。
また、少しの間彼女と一緒にいる姿を見なくてすむ。
また、少しの間彼女と一緒にいるのは私だ。


「・・・ナマエさん」
「はい?」
「すみません、旦那さんに出張ばかりお願いしてしまい・・・」
「・・・?、別に構いませんよ?仕事ですから」


また心にもない事を言う。
彼女も本当に「仕事だから別に構わない」と言った感じで気にもしていないように見えた。

余裕、なのか。
それとも本当にいなくても構わない、のか。
それとも。







何度か彼を出張に私の嫉妬で出していたのだが思いの他、彼が出張に出たがった。別に構いはすまいと了承したがどうにも回数が多い。
私としては何ら問題ないが少し、気になった。
気になったのでちょっとした興味で覗いてみた。

そこで、見た物は。
まさに彼女を裏切る行為。
出張にかこつけて、なんとまぁ。

彼女は気づいていないようだったが、とても苛ついた。
彼女が傍に居てくれるのに、何が不満だというのだ。
彼女に触れた手で別の女に触れて、またその手で彼女に触れるというのか。


気分が悪い。
こんなにも気分が悪くなったのは、彼女に夫が居ると知った時以来だ。


「統括、聞いていらっしゃいます?」
「え、あぁ・・・ええ」
「・・・じゃあ私車回してきますので、下に来てくださいね?」
「ええ」


彼女が出張に行くというので、私も適当な理由を付けて行く事にした。
彼女も周りも特に何も言う事もなく、出張に行けた。

出張先で一緒に夕食を取った。
程よくお酒も飲んで楽しい夕食だった。
私は酔わない質だが、彼女はほろ酔い状態。
酔っているからかちょっと顔が赤くて、お酒が入っているからかいつもより口が少し軽い。
いつも笑顔だけど、でも今日はちょっとその笑顔が幼い。


それがとても可愛い。


「ナマエさん」
「はい?」
「・・・今、幸せですか・・・?」
「・・・幸せ、ですよ。仕事も楽しいし、ご飯も美味しいですし」
「そうですか」


少し目を反らして、それからまた私に視線を戻して言う彼女。
何か引っかかる事があるのかもしれない。
だから視線を反らしたのかも。
勝手な想像でその意味を解釈した。だからこの話は止めにした。

彼女は多分知らない。
旦那の出張理由も。彼の不貞も。
出張が多いのは結婚前からで、ちょっと増えたぐらいで何か思う事はなかったのだと思う。


「・・・そろそろホテルに戻りましょうか。明日も早いです」
「はい。お腹いっぱいです!」
「それはよかった」


ホテルに戻る間も彼女に笑顔は耐えなくて。
立場もあるから気を使ってくれているのだと解っていても、それでも彼女の笑顔が隣にあるだけで嬉しい。仕事上の付き合い、としか思われていなくても、隣に居てくれるだけで嬉しい。


「では、明日7時には出ますよ」
「はい!」
「おやすみなさい」
「おやすみなさい」


部屋に戻ってネクタイを緩めた。
ベッドに腰掛けると彼女の笑顔が頭に浮かぶ。
今日は隣の部屋にいる。すぐ、そこにいる。
彼は・・・、あぁ。また、気持ち悪い。
不愉快だ。


不愉快すぎてリンクを切る。先ほど飲んだアルコールが全身を駆け巡った。
酔わない質だとは言え、飲み過ぎた時に似たような感覚になる。
気分が悪い、最悪だ。

水でも買いに行こうと、ホテルの廊下に出た。
廊下に出て彼女の部屋を見る。

今何をしているのだろうか。
シャワーでもしているのだろうか。
だいぶ酔っていたようにも見えたし、もう寝てしまったのだろうか。


それとも、今かけても繋がらないであろう電話に電話をしているのだろうか。

何を、しているのだろうか。


自販機で水と、この気持ちを抑えるためになんとなく酒を追加した。飲みたい訳でもないが、隣の部屋に彼女が居る、と思うだけで気が高ぶる。

部屋に戻って買った飲み物をデスクに置いた時に携帯が震えた。
携帯に視線を向けるとディスプレイには彼女の名前。瞬きをして通話ボタンを押した。


「はい、どうしました?」
『あ、ごめんなさい。携帯の充電器を忘れてしまって・・・統括持っていらっしゃいます・・・?』
「持ってますよ。持っていきます」
『ぁ、いえ、私が・・・』
「すぐそこです」


そう言って足早に通話ボタンを押して部屋を出た。
ノックをするとすぐに部屋を出てきてくれて、困った顔でごめんなさい、と言われた。


「忘れ物なんて、珍しいですね」
「入れたと思ったんですが・・・えへへ・・・」
「・・・ナマエさん、まだ起きてます?」
「え?あ、えっと・・・実は飲み足りなくてさっきビール追加で買ってきちゃいました」
「奇遇ですね。私も今しがた追加買ってきた所です」
「・・・ぁ、じゃあ良かったら一緒にどうです、か?」


彼女の提案に目を見開いた。
今は外じゃない。
一緒にどう、とは何処で一緒に飲むのだろうか。
答えあぐねていると、小さな声で「あ」と聞こえた。


「あ、ぁ、そうですね。困りますよね」
「いえ、そういう訳じゃ」
「・・・」
「・・・」


困っている彼女の左薬指に光る指輪に目がいった。
夜、女性の部屋に入るのは気が引ける。既婚の女性ならなおの事だ。

彼女は夜に男と二人になる意味が解っているのだろうか。
既婚者なのだから、それぐらい解るだろう。

でも


「実はもう少し話したい事があったんです」
「あ・・・わ、私も!」
「・・・ナマエさん」
「はい?」


貴女の愛した人は今、他の人といます。
そう言えればいいのに。


「・・・部屋に」
「はい」
「入れて貰っても、いいんですか?」


私は貴女の事を愛しています。彼が憎くて、羨ましくて仕方ない。
そう言えればいいのに。


「・・・」


既婚者が他の男を部屋に入れるなんて、あり得ないだろう。
でももし入れてくれるなら、それは。


「・・・ええ」


合意だ、と思った。


「統括なら・・・統括だから大丈夫です」
「・・・じゃあちょっとお酒取ってきます。これ、充電器です」
「ありがとうござい・・・ます」


一度戻って買った酒を持って部屋を出ると、扉は開けたまま充電器を見つめながら待っている彼女が目に入る。


「ナマエさん、いいんですね?」
「はい」


少し困った顔をしながら部屋に招き入れてくれた。
部屋の中はTVがついていて、何気ないニュースが写っている。
特に意味もなくニュースを見ていると扉を閉めた彼女が備え付けの椅子を引いてくれた。


「ありがとう」
「いいえ」


椅子は一つしかなくて。彼女はベッドに座った。
飲み足りないというのは本当のようで、ベッドサイドには一つ空いている缶が置いてあった。


「さっきも結構飲んでいたように思いましたけど、遠慮してたんですか?」
「いえ、そう言う訳じゃ。一人になったら・・・なんか飲みたくなって」
「そうですか・・・」


一人になったら。
最近は彼は出張続きでよく一人だったのだろう。
結婚して彼を待つ家で一人。それは辛い、そういう事だろうか。
左手を隠すように添えられた右手がとても癇に障った。

障ったが彼女が悪いわけではない。
どちらかと言えば彼に嫉妬して、彼を追い出していた私のせいだ。





しばらく他愛ない話をして、酒が無くなりかけた時だった。


「統括、私の事、」


困ったようにはにかむ彼女。


「私の事はしたないって思いますか?」
「・・・どういう意味ですか」


解っている。言いたい事は。
既婚者なのに男を部屋にあげて。
夜遅くに、旦那以外の男と二人きりで。
でも解っていて部屋にあげて、それをはっきり、彼女の口から、言葉で聞きたかった。


「・・・私、結婚してるけど。その・・・」
「別に、思いませんよ」


そう言うと彼女は押し黙った。


「ナマエさん」
「はい・・・?」
「ナマエさんはどんな人が好きですか?」
「え?」
「私は好きな人が居ます。初めて一目惚れした人です」


小さく、小さな声で、あ。と言った彼女が少し青い顔をして酒缶を持って俯いた。


「ごめんなさい、好きな方、いらっしゃるのに、夜遅くまで・・・付き合わせてしまって・・・」
「・・・」
「もっと、早く言ってくださったら・・・」
「ナマエさん」


言うより先に、身体が動いていた。
彼女の手を引いて、腕の中に閉じ込めた。
温かい体温と、甘い香り、そして酒の匂い。


「と、う、かつ・・・?」
「生まれて初めて、一目惚れなんてしました」
「はい?」
「でもね、その人はもう結婚もしていて」
「・・・」
「私が欲しくて仕方なくても、手が、届かないんです」
「・・・」


少し力を入れて抱きしめても、彼女は抵抗しなかった。
部屋にあげた時点で、何かあっても受け入れる覚悟があったのかもしれない。
抵抗しない彼女に顔を近づけた。
彼女が拒否するならそれも受け入れる。
ゆっくり、彼女が拒否する時間を与えながら近づけて、そして唇に触れた。




「拒否、しないんですね」

そう言うと、彼女は恥ずかしそうに瞳を伏せた。
伏せられた睫毛が震えて私の心も震えた。


「でき、ません・・・」
「どうして?」
「・・・私、は・・・」


もう一度彼女の唇に触れる。
震える唇が少し開いて、彼女を強く抱きしめた。
強く抱きしめて開いた唇を割って舌を絡めると、彼女も舌を絡める。


「っ、は・・・」
「ナマエさん、貴女が欲しいんですが」
「・・・、わたし・・・は」


答えを待つ前に唇を寄せると、彼女もゆっくりと唇を寄せてくれる。

ああ、ずっと欲しかった。
この唇が。


「ふっ、ぁ、とぅ・・・」


ずっと聞きたかった。
この甘い、甘ったるい声が。


抱き上げてベッドに寝かせると恥ずかしそうに、胸を隠すように左手を下にして右手で隠すから。
その右手を剥がして、左手をそっと取って薬指に触れた。

「取っても?」
「・・・」
「ナマエさん」
「・・・」

彼女は指から指輪を抜いて乱暴にドアの方に放った。壁に当たって、そのまま床に落ちる音がした。
その行動に驚いていると頬に温かい、柔らかい手が触れられた。


「私の一目惚れの話も、後で聞いてくれますか?」


柔らかい手を取って私もベッドに上がった。


「後で・・・後で聞かせてください」


そう言うと彼女は唇を閉じて、目を瞑った。


と、ととと、統括…!部屋に入れるは合意のサインじゃないですよぅ…!!笑笑
やっぱりリーブさんに不倫って似合いすぎて震えますね…リシァさんに互いに不倫夢を書いて交換しましょうと提案したのはわたしですが笑、これはいい企画でした(自画自賛)。策士な統括も素敵です。今後もたくさんリーブさんの夢を書いてゆこうと思います。リシァさん、ありがとうございました!