With lots of...


「お疲れ様ですナマエ」
「リーブ……!」


随分と夜も更けた頃だった。本社の研究室は時間の感覚を失ったかのように、人工的な明かりが灯っていた。


「今日も遅くまで頑張っていたんですね」
「う、うん……夢中になっちゃって、気が付いたらこんな時間」
「相変わらず研究熱心ですね、貴女は」


こんな時間まで彼が本社に残っていることも珍しい。そればかりか彼は、まるで自分を待っていたかのように、研究室横の自動販売機のベンチに腰掛けていた。コーヒーの缶を両手で握り締めている彼は、一体いつからここに居たのだろうか。疑問が浮かぶ一方で、優しくはにかむ彼の顔を見れば、仕事の疲れも吹き飛んでしまうような気にもなる。


「リーブは……」
「どうぞ」


今日はまたどうしてこんな時間まで本社に残っていたのか、いつからここに居たのかと、聞きたいことを口にするよりも先に、彼は自動販売機から温かいカフェオレを買ってこちらに手渡した。


「ありがとう」
「いいえ」


缶に口を付ければ、甘く温かい砂糖とミルクの味が疲れた身体に沁みてゆくようだった。自分が苦いコーヒーを好まないことも、頭を使った後に甘い物が欲しくなることも、言葉にして伝えたことはなかった。それでも彼はこうしてさらりと気遣いができてしまうのだから、そんなところがずるいのだと、カフェオレを口に含みながら彼を見上げた。


「一緒に帰りましょう」


そう言って彼はこちらの手を取って歩き始めた。自分達以外にほとんど人の姿が見えないのを良いことに、本社ビルの廊下を二人で手を繋いで歩いている。


「やっぱり、待っててくれた……?」
「はい」


やや照れたようにそう言った彼は、視線を逸らすように窓の外の景色に目を向けていた。彼の表情を見ることが出来ないのがもどかしい。


「ねえ、リーブ」


手を引いて立ち止まれば、彼も足を止めてこちらに視線を戻した。不意を突くように背伸びをして、その唇にそっと口付けた。唇が触れていたのはほんの短い間だったが、それでも彼は目を丸くしていた。咄嗟に口元を手で覆い、動揺から心を落ち着けるように咳払いをしている。


「待っててくれてありがとう」


彼も疲れていないはずはない。ただでさえ多すぎる業務に追われているだろうというのに、こんな時間まで自分を待っていてくれたことに嬉しさが込み上げる。


堪え切れずに笑みを溢してそう伝えれば、彼の方もまた、やや腰を屈めてそっと唇を重ねた。今度は彼の方が満足そうにはにかんでいる。


「いいんですよ。私が一緒に帰りたかったんです」


やはり彼はいつも一枚上手で、いつも欲しい言葉をくれる。どこまでもスマートな彼だからこそ、時折その冷静さを欠いた姿を見たいとも思ってしまう。しかし、そんな自分の微かな企みさえ、彼にかかれば何倍にも大きな幸せにして返されてしまう。


結局、彼の一挙手一投足に胸を高鳴らせてしまうのはいつも自分の方なのだと、そんなことを考えながら、並んで本社ビルを後にした。





「……ナマエ、」
「なあに?」


二人で他愛のない話をしながら、自分の住むマンションに向かっていた。こんな時間でも街の明かりは消えることなく、二人の影を道に落としている。もうすぐマンションに着くという時になって、徐に名前を呼んだ彼を見上げた。先程までのやわらかい笑顔は隠れ、どこか寂しげに眉を落としている。


「実は、明日から少し出張に行かなければならないんです」
「えっ……? 出張ってどれくらい? どこまで行くの?」


突然聞かされた言葉に、思わず立ち止まってしまう。質問を矢継ぎ早に投げ掛ければ、彼はこちらを落ち着けるように手を強く握った。


「来月には帰ってきますよ。ジュノンに行って、あちらの都市開発部門と共同でジュノンの整備に当たることになったんです」
「来月……ってことは一か月……?」


彼はこちらの質問に丁寧に答えながら、再度繋いだ手に力を込めていた。それでも、突然の出来事に動揺をせずにはいられなかった。毎日とは言わないまでも、同じ布団で眠り、時には食事を共にし、少なくとも本社に行けば顔を合わせることが出来ていた。そんな彼と、一か月近く引き離されてしまうことに、寂しさが込み上げてくる。


「私も今日の昼に突然命令されたんです。もっと早くわかっていたら良かったんですが」
「そっか……」


それまで輝いて見えていた景色が、途端に薄暗くなってしまったような気がした。ほんの一ヶ月の辛抱だというのに、まるで駄々をこねる子供のように苦い顔をしてしまう。


「そんな寂しい顔をされてしまったら、私も後ろ髪を引かれてしまうのですが」


困ったように笑う彼を見て、そんな顔をさせたい訳では無いと、無理矢理口角を上げた。無情にもマンションのエントランスは目の前に近付き、彼との暫しの別れの時間も近付いていた。


「ナマエ、良い子で待っていられますか?」
「うん、頑張る」
「研究に没頭しすぎて食事を摂らない、なんてことはしないようにしてくださいね」
「努力はするよ」
「……それでは」


エントランスの正面で、彼はまた一度ゆっくりと唇を押し付けた。先程よりもやや長く、それでいて別れを惜しむような口付けに泣き出しそうになる。唇を離し「行ってきますね」と口にした彼に、涙を堪えて頷いた。





彼が突然出張に出ると言ってから一週間と少しが経っていた。久方ぶりの休日に、布団の上で溶けたように過ごしていた。こんな日に彼が居たらと、ふとした瞬間に寂しさを感じては、それを振り払うようにしてまた布団に入り込んだ。


「……ん」


再度眠りに就こうとしたとき、部屋のチャイムが微睡みの中まで入り込んできた。絶え間なく鳴らされるベルに、寝起きの頭でふらふらと玄関に向かう。


「はい……」
「お届け物です。こちらに署名お願いします」


若干不機嫌になりながら扉を開ければ、配達員が淡々と伝票を渡してくる。寝惚けた頭で署名をすれば、今度は小さな包みを押し付けるようにして去って行った。一体何の荷物だろうかと差出人欄を見れば、やや几帳面そうな文字で『Reeve Tuesti』と書かれている。その文字を見た途端に、寝惚けていた頭は一瞬にして目覚め、心臓はうるさく音を立てた。包みを持って部屋に戻ると、焦る気持ちを抑えて丁寧に包装紙を開けてゆく。


「……これ、」


中には、小さなアトマイザーに入った香水と、『Dearest. ナマエ』の文字が書かれたカードが並んで入っていた。そっと手首に香水を振り掛ければ、やわらかい花の香りに包まれた。まるで彼の腕の中にいるような懐かしさと、彼への愛しさが募ってゆく。


自分がすぐさま香水を振り掛けることも、甘い香りに包まれて彼の腕の中を思い出すことも、何もかもを見透かしたように、ただ一言からのメッセージが書かれていた。不器用な彼の精一杯の贈り物に、胸を高鳴らせながら小さくはにかんだ。


──With lots of hugs and kisses.──


ただいまNighty-Nightの葛義さんと小旅行の真っ最中です。お互い誕生日が近いということで互いのために作った夢小説を紙に印刷して交換するという催しを……したんですね……それで頂いたのがこちらでした……葛義さんからこんなものがいただけるなんて半年前の自分に言っても絶対に信じないと思いますね……いつもありがとう、大好きです。ありがとうございました……