交換日記


一時間後の会議のため、書類を読み込みながら廊下を歩いていれば、ぽすん、と突然、背中に小さな衝撃が走った。

「あっ、すみませんでした」
「……いえ、私は大丈夫ですが……貴女はそこで一体何をしているのですか?」

振り返ってにっこりと笑う彼女に思わず、そう問いかけていた。

――なまえ。話したのは今日が初めてだけれど、その姿には見覚えがある――科学部門の上級研究員。宝条の後釜とも噂されるほどの優秀な頭脳を持つという彼女は神羅カンパニー内でもちょっとした有名人だった。それは科学部門の数少ない女性であるということとその頭脳や業績の他にどこか、不思議な行動が目立つ人間だったから。今日も背中にぶつかった彼女は曲がり角を止まらずに駆けてきたらしいけれど、その両手には白いタッパーを握っている。なぜ自分がそんなことを問われるのかわからない、というような表情の彼女はこてん、と首を傾げながら口を開く。

「交換日記です」
「……交換日記?」
「はい」

もう答えは済んだというように歩き去ろうとする彼女の背中を慌てて呼び止めた。

「っ、なまえさん!」
「?はい、なんですか?」

振り返る彼女はまだ何か?と言いたげな表情を浮かべるけれど、まだも何も状況が何も理解できない私の頭は混乱するばかりで、彼女を理解しようとするのがそもそも間違いなのかもしれないとは思いながらも、呼び止めてしまったので続きを聞いてみることとする。

「そのタッパーの中身が交換日記なのですか?」
「そうですよ!」
「……これからそれを何処へ?」
「ヘリポートです、屋上の」

――交換日記を、屋上の、ヘリポートへ。ああ、タッパーを持っているのはそれが雨風に濡れないためでしたか。わかったことは増えたのに、まるで何もわからない。そもそも屋上のヘリポートは関係者以外立ち入り禁止のはずで、統括部長の私でさえ事前申請をしなければならないし、扉には鍵がかかっているはずだった。

「……ヘリポートへは入れるのですか?」
「入れますよ?わたし今日、ウータイ出張なので!」
「……なるほど」
「質問は他にもありますか?」

くりくりと大きな目を広げてそう尋ねる彼女に、その交換日記は誰と?と聞いてみればまた、にっこりと満面の笑みが返される。

「相手はまだいません」
「……はあ」

……そろそろ、諦めましょうか。
引き止めてしまってすみませんでした。そう告げれば彼女ははい、と頷いてくるりとまた背中を向ける。そのまま駆け足であっという間に廊下の向こう側へと消えていった。

噂通りの女性のようですね。それが私の、彼女に対する第一印象だった。
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