あかない鍵


「どうかしましたか?」
「ああ、リーブ統括、こんにちは」

宝条博士に用事があって科学部門のフロアを訪ねたその帰り道、なまえが困ったように扉の前に佇んでいた。声をかけてどうかしましたかと尋ねたのは私の方のはずだったが、「今日は宝条博士にご用事ですか?」と私の質問などまるでなかったかのように尋ねる彼女についついペースを奪われて、「三番魔晄炉の魔晄エネルギーの減少について論文をいただいてきたところです」と返してしまう。

「ああ、あれですね。原因結局あんまりわからなかったみたいですけど、大丈夫でしたか?」
「ええ、まあ……二番魔晄炉の余剰エネルギーを三番街に回すことでひとまずは」
「なるほど。まあでも、ずっと続くと困りますよねえ」
「そうですね……他の魔晄炉で同じ現象が起きてしまうと困りますし」
「うーん、わたしも、今のテーマひと段落したら調べてみようかなあ」

右手を頬に当てて首を傾げる彼女は、それからぶつぶつと魔晄エネルギーの流れの変化がとか、そういえばミディールの噴出口が、と聞き取れるか聞き取れないかの大きさで呟き始めた。頭の中ではきっともう研究のアイデアがいくつも浮かんでいるのだろうし、おそらくそれに気を取られて私がここにいることも頭から抜け落ちてしまっているだろう。そこでようやく、私の用事で彼女に話しかけたわけではないことを思い出して、彼女の肩をそっと叩いた。

「それで貴女はどうしてここに?」
「へっ? ……あ、ああ」

今日は肩を叩けば気づいてもらえた分いつもより少しマシかもしれない。まだ始めていない研究のことだからそこまで没頭していなかったのが原因でしょうか、とこっそり分析しながら彼女に尋ねると、実はカードキーがうまく動かなくて、と笑った。

「カードキーですか?」
「そうなんですよう。動いたり、動かなかったり、動いたり……」

ほら、といってカードをリーダーにスライドさせるが反応しない。なんでだろう?と首を傾げる彼女に「向きが反対なのでは?」とまず初めに思い当たることを聞いてみれば、「はん……たい……?」と、考えたこともなかった、と言いたげな反応。たしかに、と頷いた彼女がありがとうございますと言ってカードキーを、ひっくり返して。

「あの、ひっくり返す向きはそっちでは……」
「あれ、やっぱりうまくいかない」

思わず大きなため息が漏れた。
その黒い磁気の部分が読み取り口だと、知識としては持っているはずでしょう。なのにどうしてそちらの方向にひっくり返すんですかね。貸してください、と彼女からカードを受け取れば、案の定しっかりと矢印が書いてある。正しい方向にスライドすれば、ピ、と音がしてリーダーの近くの赤いランプが緑に変わった。それからすぐに、音もなく開くスライド式の扉。

「……おお、すごい」
「……私はたまに、貴女が賢いのかそうでないのかわからなくなりますよ」
「へへ、わたしは別に、賢くはないですねえ」
「……そんなことは、ないと思いますけどね」

もう一度ため息をついてカードを返せば、ぺこりと頭を下げた彼女がありがとうございました、と元気に言うのでどういたしましてと返してやる。扉の向こうは資料室だったようで、電気の消えた部屋の向こうに人の気配は全くない。

「じゃあわたし、ここで論文探してくるので」
「そうですか、頑張ってくださいね」
「えへへ、ありがとうございます」

それでは。扉はまた音も立てずに閉ざされて、廊下には私ひとりが残された。彼女、本当に一人で生活できているんでしょうか。彼女の日常をわけもなく心配してしまう。

「っと、私もここで休んでいる場合ではなかったな」

誰に言うでもなくそう呟いて時計をみれば、ここで10分もぼうっとしていたらしい。業務はまだ残っているし、早く仕事へ戻らなければ。もう暫く開くことはないだろう扉をチラリと見て、それからその場を離れることにした。やはり今日も、彼女のことはよくわからない。
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