エンディングはまだ遠く


カフェで話し込んでいる間に、降り続けていた雨は止んでいたらしい。街灯の白っぽい明かりがれんが色の地面に残る水滴を反射して、銀を散りばめたように輝いている。すう、と胸いっぱいに空気を吸い込むと、雨上がりの香りが鼻を擽った。


「雨、止んだんですね」
「みたい。よかった……歩いて帰れるよ」


突然降り出した土砂降りの雨から逃げるようにこのカフェへ駆け込んだ。びしょ濡れだった服も今はすっかり乾いて、もし降りやまなければタクシーを呼びましょうと話していた彼は、どこか安心したように屋根の下から手を伸ばして空を見上げている。雨上がりの夜に似合う、優しい笑顔を浮かべていた。


「そうですね。……行きましょうか」


その笑顔のまま差し出された左手に思わず口元を緩めてそっと、右手を伸ばす。少し硬い彼の手は暖かな部屋とコーヒーのお陰か、いつもより暖かい。わたしのそれよりも一回り大きな彼の指がわたしの指の間を通って、それから指の先が手の甲を撫でるように優しく触れる。同じようにわたしの指が彼のざらついた甲に触れると、リーブは緩くその手を引いた。


こつん、こつん、と歩き出した二人分の足音が人気の少ない夜の路地に響くと、それだけでどこか、映画の中に迷い込んだような錯覚に気分が高揚してしまう。


「……綺麗だね」
「この道がですか?それとも、」


貴女が?戯けたような声が尋ねた。


「リーブ、」
「はい。……とても綺麗です」


それは、何が。尋ねようと開いた唇を、彼の唇が掠め取った。一瞬だけ触れて、ふわりと離れた唇の温度もまた、いつもより高い。思わず立ち止まってしまったわたしの視界には、薄暗い街灯の下でぼんやりと浮かぶ彼の、照れたように瞳を逸らして、口元を緩める表情。


「すみません、似合わないことをしました」


あまり得意じゃあないんです、貴女も知っているでしょうけど。言い訳をするようにいつもより少し速い口調の彼の言葉が、湿った空気を震わせる。それが可愛らしくてふふ、と思わず声を上げて笑ってしまうととうとう、街灯が照らす彼の頬は薄桃色に染まった。今日はきっと、わたしとあなたがこの世界の主役だから、だからあなたのいつよりずっと甘い言葉も嬉しくて、愛おしい。なおも口を開いて言い訳の続きを始めようとする彼に、今度はわたしが背伸びをする。


キラキラと光る路上に映る二つの影は、音も立てずにまた、一つに重なった。繋いでいた手を離す代わりに両手を首の後ろに回すと、彼の両腕が腰と背中とに回されて、全身が彼に、包まれて。世界からぽっかりと切り離されてしまったような静けさの中でただ、彼の息遣いだけを感じる。決して深くも激しくもない触れるだけの口づけはけれど、いちばん彼らしいと、思う。静かで、優しくて、穏やかで。やがて唇が離れても保たれたままの距離で、とろけそうに甘い視線を絡めてうっとりと、ため息を吐いた。


「……すき」


吐息に混じって煙のようにぼんやりと吐き出したごく短いわたしの思いは、再び降り注ぐ唇の向こうにゆっくりと飲み込まれた。何度も何度も飽きずに交わす口づけに酔いしれて、触れた先から静かに溶けてゆく。心も、体も、彼の優しい、その熱に。