make you feel my love



この場所では時間はゆっくりと流れている。激しい争いを好まない名前にとっては特に、海に囲まれた孤島で過ごす時間は永遠にも感じられるようだった。それは平穏と静寂を彼女に、そして彼に齎した。波打ち際を裸足で歩く名前の青いミニスカートが風に揺れている。


「あまり海に入っていると風邪を引いてしまうよ」
「大丈夫ですよ、先輩。わたしはもう子どもじゃあないんですよ」
「でもそう言ってこの前も雨の中傘も差さずに歩いて、熱を出してしまったじゃないか」
「あの時は疲れていたんです。今日は大丈夫」


ため息をつく男なんて知らない風に、名前は笑う。白い砂浜には2人の足跡が残っている。陸の方から此処まで続く二つの足跡。ふと声が聞こえた気がした。キミも、ボクをおいて行ってしまうんだろう。何があったわけでもないのにそう呟いた彼に答えた、遠い昔の彼女の声。
ーー不安になったら、振り返ればいいんです。そこには必ず、二人分の足跡が残っているはずだから。


その約束を守り続けた名前を突き放したのは誰だったか。突き放されて、記憶さえも奪われても、愛を棄てなかった名前。5年前に入学したての新しい制服を着ていたころの名前。


「ああ、それなら先輩も一緒に海に入りましょう。そうすれば風邪を引くときも一緒だわ」


そう言って手を引いてゆく成熟した女性の瞳には、あのときと同じ自分の姿が映っている。
先輩、だなんて呼ぶけれど、今はもう彼女の方が学年は上なのに。ーーいや、あのときから、精神は彼女の方が成熟していた。彼女は彼がやっていたことを何も知らなかったし、それによって何が奪われるかも知らなかった。時折馬鹿みたいに怯える彼の手を今日みたいに取っては、外へ連れ出した彼女は、彼がそのとき何を思っていたのか聞き出そうともしなかった。けれど記憶と共に戻ってきた彼をあの時と同じ笑顔で迎えたのは名前だけだったろう。


ーーはじめから全てが、許されていたのだと知った。
そして、気づく。彼女が与えつづけたものに。自分が与えられなかったものに。共に歩くことを求めながら、自分から離れてしまったことや、それでも戻ってきた彼を受け入れる、彼女のそれを、愛と呼ぶことに。


「冷たい…」
「そりゃあね、秋の海なんて入るものじゃありませんから」
「知ってるよ、だから止めたんだ」
「先輩は引きこもってばっかりだからいろんなことを知るべきなんですよ、だって」


不意に唇にあたたかなものが触れるのを感じた。
瞳を開くと、視界いっぱいに広がった笑顔はあの時と変わらない。心を溶かして、全てを許して。隣を歩く、名前だけの笑顔。


「世界にはこんな風に冷たいものもあれば、こんな風にあたたかいものもあるんです」


それは彼の闇を言ったのかもしれない。
あの戦いに参加しなかった彼女は未だ彼の心に巣食うものを知らないし、やはり聞いてくることはない。けれど彼女は彼の行為を許すくらいに、彼の中に何か闇があって、それに飲み込まれそうになっていることを知っていた。そしてそれと戦おうとしてくれていた。今だって不安になる彼をそっと救い上げて、こうしてあたたかな場所へと連れてきてくれる。


浜辺に二つの足跡が残る。波打ち際にあるものたちは波が寄せると消えてゆくが、そこに足跡があったことを決して忘れることはないだろう。もう何も、忘れない。