Come and play




今でもたまに外が怖くなることがあるんだ。
大きな体を丸めて、最近始めたという一人暮らしのワンルーム、隅に置かれたベッドのさらに隅に。消えそうな声でそう呟く男に、名前は小さくため息を吐いた。鍵も掛けずに震える同僚が、過去に何を抱えていたのか、それを知っているので呆れることはないけれど。


「芹沢くんは、素敵なひとだよ」


優しい響きの声が、芹沢の背中の方に掛けられた。
ーーそんなことはない。ずっと引きこもって母ちゃんに迷惑かけて、あんなことをして、もっとたくさんの人にも迷惑をかけた。今は少し、ほんの少しだけ、仕事をして、社会に復帰しようとしているけど、つい1年前までの自分が、なかったことになるわけではない。


「わかってるよ。でも、わたしがこうしていつも君を迎えにくるのは、君が来ないと心配だからなんだよ」
「…うん…」
「ねえ、コーヒーでも飲もう?お砂糖をたくさん入れて、ミルクもたくさん入れるの。作ってもいいでしょ?」


名前は芹沢の答えを聞かずにキッチンに立ち、お湯を沸かし、ミルクを取り出す。インスタントのコーヒーと2つのマグカップ。少しだけ身じろぎをしている、相変わらず小さく丸まっている背中の方へ歩いてゆく。ベッド脇に置かれたテーブルにマグカップを置くと、後ろからそっと、その背中に抱きついた。


ーー大きな背中だな。
名前は思う。本当は、そうなんだ。一生懸命仕事をしている時、夜間学校の宿題を解いているとき。名前はずっとずっと、その背中をみていた。こんなに小さくならなくったって。


「…名字さん…」
「だいじょうぶだよ」


だいじょうぶ。そうなんども繰り返しながらぎゅっと縋り付く体に、芹沢はすこしずつ丸めた背中を動かして、そうして名前と向かい合うと、名前の背中に腕を回した。こうして小さな彼女にいつも頼りきりの自分が本当に情けなくて消えてしまいたい、そう思いながらも背中に回した手には少しだけ、力がこもる。そうしてしばらくの間、それ以上何をするでもなく、ただ互いの温度を感じていた。ゆっくりと心の中にあった何かが溶け出していく。


「…コーヒー、冷めちゃったかな」
「ぬるくなっちゃったかも。でも一緒に飲もう?」


おはよう。ちょっと甘すぎるかな?穏やかに笑う名前の声。こんな自分のことを諦めないでいてくれる、素敵な人だと信じてくれる、優しい声。


「飲み終わった?」
「ううん、あと少し」
「コンビニでご飯買って行こうか。わたし、サンドイッチが食べたい気分」


立ち上がった名前がカーテンを開くと、いつもより高く昇る太陽が小さなワンルームに差し込んだ。明かり一つ着いていなかった部屋に突然入り込んだ光の眩しさに目を細める。時計は11の針を指していて、ああ遅刻だな、なんて思って。消えたい気持ちも、怖い気持ちも、すべてが消えたわけではないけれど、少しだけ日常に戻ってきた気がした。


ーー大丈夫だよ。
そんな芹沢を見つめて名前は小さく呟く。芹沢はマグカップに残ったコーヒーを飲み干して、さっきよりも少しだけ背を伸ばしてベッドの脇に座っている。
本当は強い力も優しい心もまっすぐな言葉も持っている、素敵な人。いつも人の多いところでは居心地悪そうに縮こまるし、たまにこうして部屋からも出られなくなる。でも、そうやって自分を隠してしまうのは勿体ないくらい、目の前の彼が魅力に溢れた人だということを、名前は一番よく知っている。


「外の方がきっと、暖かいよ」
「うん…そうだね、着替えるよ」


ゆっくりと寝間着を脱いでシャツを身につける芹沢を横目にマグカップをキッチンへ運んだ。俺が洗うから水に浸けておいてくれたらいいよ、そう言う芹沢の声を無視してスポンジを手にとる。


「いいって言ったのに」
「わたしがやりたかったから。いいの。それよりも早く行かないと、霊幻さんが待ってるよ」


ーーうん。
まだ少しだけ自信のない顔をする芹沢は、それでもまっすぐに立っている。名前は穏やかに笑った。芹沢が一番好きな顔だった。