とっつきにくいこの性格を理解してくれる先輩や、周りの仲間たちにも恵まれ、大好きなバレーを思う存分出来ているのは、ある人のおかげだった。

「青根ナイス!」
「青根が前にいるとほんと助かるわー」
「明日も頼むぜ」

褒められる度に思い浮かぶのは、無邪気な彼女の笑顔だ。
自分と違って、人当たりの良い彼女のことだ。高校でもきっと楽しくやっているだろう。

「へい、青根、ハイタッチ!」

バヂーン!

「イダァァー!」

明日は、県民大会だ。
もしかしたら、彼女が観に来るかもしれない。
そう思うと、不思議と力が漲ってくる。どんなに強烈なスパイクも、この手ではね返せる気がした。

もしかしたらなんて、淡い期待は抱いていたけれど、まさか本当にいるとは思わなかった。
まだ冷える体育館内で、その空間だけが、ふわふわとした暖かな空気に包まれているようだった。
中学の頃よりも髪の毛は伸びて、服装のせいかやけに大人っぽく見えた。

「青根くん……?」

だけど、見間違えるはずがなかった。

「わ、凄いおっきくなったねぇ」

笑顔を浮かべて近づいてきた彼女は、青根を見上げて感嘆の息を漏らした。

「バレー、続けてたんだね」

微笑む彼女にコクリと頷く。
友だちの応援に来たという彼女は、まさか青根くんに会えると思わなかったな、
と、緩めた頬に紅を差し、少し興奮しているように見えた。
けれど、昔と変わらない、ゆっくりとしたその喋り方に、酷く安心した。
バレーを勧めてくれたのは彼女だ。
小さな頃から体が大きく、仏頂面のせいか、話しかけてくれる子は少なかった。青根もまた、自分の気持ちを伝えるのが下手だった。
そのせいで、小学校に入学した当初はクラスで孤立していた。でも、あまり気にしてはいなかった。本を読んだり、クラスで飼っている生き物の世話をしたり、ひとりで過ごす時間が好きだった。
大人しい子どもだった。
それに、ひとりだけ、話しかけてくれる人物がいた。

「青根くん、おはよう」

たまたま席が隣だった彼女は、毎朝欠かさずおはようと言った。頷くだけで、一度も声にして返事をしたことはなかった。それでも、彼女は変わらず、おはようと言った。
席替えをして隣でなくなってからも、ことあるごとに話しかけてくれた。
なんの本読んでるの? と聞かれ、本の表紙を見せる。わたしもそれ読んだよ、面白いよね、と笑う彼女にコクリと頷いた。
会話をするわけではなかった。
彼女は反応しやすいように話してくれるから、大抵頷くだけで事足りた。彼女がそれを意識してやっているのかどうかは分からなかった。
人と関わるのは苦手だったが、彼女といるのはとても楽だった。
三年生になる前の春休み、クラス替えの発表で、同じクラスに彼女の名前を見つけ、素直に嬉しいと思ったのを覚えている。
始業式の朝、教室に入ってきた彼女は座席表を確認して教室を見回した。青根を見つけると、ランドセルを揺らしながら近付いてきた。

「また隣だね。よろしくね」

コクリと頷くと、彼女も笑いながらうんうんと頷いた。
日直の仕事が回ってきた。青根が日誌を書いているのを、彼女はじっと眺めている。

「青根くんは手もおっきぃよねぇ」

言われて、自分の手を見つめる。比べてみたことがないから分からない。首を傾げると、彼女は自身の手を重ねてきた。

「ほら、こんなに違う」

なるほど、確かに彼女の手と比べると自分の手は大きい。包み込んでしまえそうなほど小さな彼女の手は、だけど、とても温かかった。

「あ、青根くん笑ったー」

重ねた手をまじまじと見つめていると、不意に彼女が顔を綻ばせた。
何故彼女がそんなにもニコニコとしているのか分からなかったけれど、彼女が笑っているとなんだか自分も嬉しかった。

「ねぇ、青根くんは部活には入らないの?」

五年生になった。最後のクラス替えも彼女と同じクラスだった。
この頃になると、青根を怖がる生徒はいなくなったが、友人と呼べる者もいまだにいなかった。
休み時間は相変わらず、本を読むか彼女と過ごすか、どちらかだ。
体を動かすのは好きだったが、自分がいることでチームのコミュニケーションが壊れるんじゃないかと思うと、中々一歩を踏み出せなかった。
視線を落とす青根に、お兄ちゃんがバレーやってて、試合良く観に行くんだけどね、と彼女は続ける。

「わたし、青根くんはバレーやったら凄いんじゃないかなぁって、思うんだ」

顔を上げると、彼女と目が合った。
今度一緒に応援行こうよ、と微笑む彼女に、青根はコクリと頷いた。

中学に入ると彼女とはクラスが離れてしまった。
だけど、バレー部に入ってチームメイトができると、クラスで孤立することもなくなった。
体が大きく、運動能力も高かった青根は、すぐに一目置かれる存在となった。一緒にスポーツをすると、それだけで仲良くなれるらしい。問題だった口数の少なささえ、チームメイトたちは笑いに変えてくれた。
バレー部を通して新しく友人もできた。少しずつ、他人との関わり方を知った。

「おはよう」
「試合頑張ってね」
「あれ、また背伸びた?」

クラスは違ったけれど、すれ違う度に、彼女は声をかけてくれた。
一度としてまともに答えたことはなかったけれど、彼女は頷く青根に笑顔を向けた。
そうして、そのまま卒業を迎えた。
青根は伊達工に進学することが決まった。彼女の兄が通っていた学校だ。あそこのバレーに魅せられた。自分がバレーを始めるきっかけとなった憧れの高校だ。

「えーっとね、『鉄壁』って言われてるんだって!」

スパイクを叩き落とすその堅固な壁に魅入っていると、誇らしそうに彼女が教えてくれた。
いつしか自分も鉄壁の一員になることを夢見て、三年間練習してきた。
そして、その夢が叶おうとしている。
強豪と言われるチームだ。レギュラーをとるのは容易くはないだろう。それでも、まずはスタートラインに立った。
最後に、彼女に伝えたかった。
しかし人気者の彼女は、大勢の人間に囲まれて、話しかけることも、進学先を聞くことも出来なかった。
いい思い出なんかじゃなかった。
どうしてあのとき、言葉にして答えることが出来なかったんだろう。
どうしてあのとき、一言話しかけることが出来なかったんだろう。
彼女との記憶は、いつだって自分の情けなさと後悔の念で埋め尽くされている。
気持ちを言葉にするのは得意ではない。だけど、ひとつだけ、伝えなければいけないことがあった。
青根は短く息を吸うと、その思いを全て、声に乗せた。

「ありがとう」

いつも言えなかった、感謝の言葉を。

「ずっと、言いたかった」

彼女はきょとりと目を開いた。数回瞬きを繰り返し、青根を見つめる。言葉の意味を考えているのかもしれない。
見つめられている間、青根は決して目を逸らさなかった。
そうして、たっぷりと時間が流れた後、彼女が昔のように無邪気に笑った。

「青根くんが楽しそうで何よりです」

その笑顔を見た瞬間、また前みたいに近くにいてほしいと思った。

「また、そばにいてほしい」

準備していた言葉ではなかった。
思ったことをそのまま口にできたのは、多分初めてだった。自分でも驚いて足元がぐらついた。
だけど、それ以上に彼女は驚いたみたいで、瞬きすら忘れたように固まった。
それでも、先にその意味を理解したのは彼女だった。

「はい」

彼女ははにかむように笑って、自分の言動に戸惑い、狼狽えている青根の手をとると、自身のそれと重ねた。

「おっきい、青根くんの手がね、昔から好きだったんだよ」

いままで見たことのないその表情に、体の芯が、ぼんやりと光るように甘美に疼いた。
彼女が教えてくれたのは、バレーだけではなかったのだと、いまやっと気付いた。
彼女との思い出は、青根自身にとっては後悔の連続で、やり直したいと何度も思った。だけど、そんな苦い思い出さえ、懐かしさに胸を膨らませる日が来るかもしれない。
あの頃はできなかった、彼女の小さくて温かなその手を、優しく包み込んだ。
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