左肘をついて、顎を手のひらに乗せる。視線は窓の向こうに広がる青に注がれる。これが授業を受ける時の私の基本姿勢だ。黒板を見ていないと怒る先生の授業以外は大抵この体勢でいることが多い。言うまでもなく、今現在もこの体勢だ。今日は風が強い。そのせいでせっかく咲いた桜がはらりはらりと宙を舞っている。儚いなあ、でも綺麗だなあなんて思っていたらトントンと背中を突かれた。振り返らなくても誰がやったかは分かるのだけど、一応後ろを見る。予想通りの人と目が合って、思わずため息を吐いた。
「何、笹谷」
授業中だからあまり大きな声が出せない。掠れた小さな声を、机にベターッと倒れこみながら私を見ている笹谷に投げつける。でも笹谷は何も言わないでニコニコ、…いや、ニヤニヤと笑いながら私を見つめ続ける。おっさんかよ。で、そのおっさんはどうせ「何でもない」ほらね、絶対にこう言うんだよこの人おっさんは!人のことを呼んだくせに!絶対にこう言うんだよ!腹立つな!
「何でもないならやめてよ」
「えーどうしようかなー」
なァにが「えーどうしようかなー」だよ。可愛こぶるんじゃないよこのおっさん。悪態を込めながら睨み付ければ、笹谷はヒラヒラと両手を軽く上げた。もうやらないとでも言っているのだろうか。私は信じないぞ。どうせまたやるんだ。その証拠に顔が相変わらずニヤニヤしている。くそうほんっと腹立つな。何なのよもう。大切なマイレストタイムを邪魔しないでほしい。ヒラヒラと動いていた手が止まって、笹谷が机に突っぷ寝したのを確認して、私はとりあえず前を向いた。意識は常に背中にやって。でも、5分経っても10分経っても、笹谷は二度目の悪戯をしかけてこなかった。恐る恐る後ろを振り返ってみた時には笹谷は爆睡していた。私は心の中で手を叩きながら、マイレストタイムを楽しんだ。そう、授業が終わる10分前までは。
「ヒッ!?」
授業があともう少しで終わるなあなんてぼんやりと考えていたら、突然背中に淡い痺れのようなものが走り、みっともない声が出た。ガバッと後ろを振り向けば、いつの間に起きたのだろう、おっさんこと笹谷がしてやったり顔をしていた。う、っわ、もうほんっとに最悪だ。何てことをしてくれるんだクソジジイが。どうせあれだ、背中を指でスイーッとやったんだろう。最低すぎる。変態かよ。セクハラで訴えるぞ。というか変な声出ちゃったし。って、うわー先生こっち見てるよ最悪だよ。
「す、すみません」
眉間に皺を寄せて私を睨む先生にとりあえず謝る。というか何で私が謝っているんだ?私何も悪いことしてない気がするんですけど。全ては私の後ろの席に座っているクソジジイのせいなのですが。先生がまた黒板に視線を移したのを確認して、私はもう一度後ろを振り返った。しかし、あろうことかクソジジイはまた机に突っぷしていたのである。やり逃げである。最低すぎる。文句の一言でも言ってやろうかと思ったのだが、ここで私が笹谷に絡めば、悪戯は加速するだろう。ここは大人な私が一歩引くべきだろう。募る苛立ちやら恥ずかしさを深呼吸で丸め込み、私は前を向いた、
「、」
のだが、背中に先程と同じ感覚が走った。予想はしていたけれど、本当に最低だと思う。しかしここで振り返ってもクソジジイを刺激するだけだ。落ち着け私。唾をごくりと呑み込んで、必死に授業に集中力を注ごうとする。無論、今まで授業をまともに聞いていなかったので、授業終了10分前にそんなことが簡単に出来るわけなどないのだが。しかしそうでもしていないと、また変な声が出そうになる。
「、!」
唇を噛み締めながら我慢をしていたら、クソジジイの指が不可思議な動きを始めた。でも、何をしているかはすぐに分かった。あれだ。背中に文字を書くやつ。この遊びに名前があるのかは知らないけれど、まあそれだ。それをやり出したのだ。クソジジイの指が背中でいろいろな方向へ動くから、鳥肌が立つ。ぞわぞわする。でも、そんな状況に追い込まれていても、クソジジイの指の動きを頭の中で文字に変換しようとしているあたり、私もとんだ馬鹿野郎だと思う。
「?」
数文字書いたところで、笹谷の指の動きが止まった。そして笹谷の指が背中から離れていった。ということは、もう書かないということだろうか。そうだとしたら、何を書いていたのか微妙に分からない。最初の文字は分かった。多分「す」だ。2番目の文字が分からなくて、3番目は「だ」だった。画数が多すぎてすぐに分かった。それで最後は「よ」だった。ということは「す○だよ」って単語を書いたというわけだ。「○」の文字が分からない。首を傾げながら笹谷の指の動きを思い出す。左から右に2回、それで上から1回。で、その後に半円のようなものを書いていたような。
「!?」
「○」の中に入る言葉を、五十音順に入れていってすぐに気が付いた。そして、同時に心臓がドクドクと音を立て始めた。本当はこの遊びは、何て書いてあるか分かったら、振り返って答えを言うのだが、それが出来ない。当たり前である。こんなの、そんな、え、何で。頭の中に浮かび上がる疑問は、まるでサイダーのようにパチパチと音を立てては消えた。
授業終了まであと5分。私の心臓と思考回路は、果たして保つのであろうか。
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