どうしようどうしよう。遊園地のお化け屋敷よりも、ジェットコースターよりも、学校で有名な鬼教官よりも、怖い。私の人生は今日が峠なのかもしれない。そもそも、何故この日に限って学級委員の仕事が長引いたのか。いや、私がそうでも、あちらとしてはいつものことなのだろう。ジャージを着ているあたり、運動部か。チカチカと眩しい電車の白い床に、目の端の方で見える暗めの緑は、とても映えていた。
 
 反射する向かいの窓ガラスを見る。時刻は七時過ぎで外は暗く、鏡の役割を十分に果たせるようだった。映っていたのは、鞄を胸に抱いて、心なしか小さく縮こまる少女。その左隣には、スポーツバッグを肩にかけて背筋を伸ばす、大きな体の青年。
 大きな体というが、尋常じゃない。とにかくデカイ。百五十五センチしかない私が隣にいると、彼のおかげで私は更に小さく見える。そして綺麗な白髪であるが、顔が怖い。所謂、強面というやつだ。
 白髪で長身という事は、ロシア人? いや、日本に、ましてや東京から離れた宮城にそうそういるものか。せめているとしてもアメリカ人とかオーストラリア人あたりだろうし、せいぜいロシア人がいるのは、日本最古の町並みを保つ京都くらいだろう。あー、修学旅行の時食べた八つ橋美味しかったなー……。

 別の席に移動するのも、相手になんとも失礼な行為だ。……そうだ! 電話がかかってきたフリをして、それで移動するっていうのも……。電車の中で電話なんてマナーの問題だ。もし別車両に移ったとして、別の乗客に勘違いされたら堪ったものではない。

 確かここら辺で不良校があると聞いたことがある。ちょうど去年に、体験入学の話題で上がった学校だ。何だっけ、えっと……お、おー……。
 そうだ、扇南!! 不良校で有名なのは、あそこしかない!
 ということはますますやばい状況にある訳だ。窓ガラスで通して見てるってバレたら何てドヤされるのだろうか……。
 どの道、恐ろしすぎる。次の駅で降りてしまおうか。そうしよう。隣の人には申し訳ないが、目的ではない駅で降りよう。

 そう思って五分程経っただろうか。停車して、音を立てながら開く扉を確認すると、なるべく歩いているように見せながら、電車を降りた。
 電車からおりても尚、前だけを向いて歩き続ける私の後ろで、電車は再びレールの上を走って次の駅へ出発した。

 どうやら隣の人は、ここで降りる人ではなかったようだ。本当に良かった。喉がカラカラだ。自販機で何か飲み物でも買おう。
 少し離れた所に赤い自販機の筐体が佇んでいるのが見える。そういえば、ファンタのふるふるシェイクだか何だか言うやつ。あれ、また販売しないのかなあ……。結構好きだったのに。
 自販機の目の前で、制服のポッケから財布を取り出す。えーっと、百円玉と五十円ー……。

「あの」
「はいぃ!?」

 財布は無残にも、地面に綺麗に落下していき、口から小銭が吐かれた。鈴の様な音が辺りに響き、こちらに注目する者もいた。しかし、そんな事は蚊帳の外に追いやる。財布を落とした事にだけテンパってしまい、間抜けな声を上げながら、財布諸々を回収していた。

「ああああ!!」

 しゃがみ込んで小銭を回収していると、もう一つの手が見えた。なんて優しい人が、この世にいるのだろう。
 一通り回収して、そのままの体勢で金額の確認をしていると、残りの小銭を渡される。それを受け取ると同時に、顔を上げた。

「ありがとうござっ……イマス……」

 電車で、次の駅に向かっている筈の彼が、目の前に。いつのまに、いや、私が気付かなかっただけなのだろう。もう少し周りに気を配らなければ。

「ご、ゴメイワクをお掛けしましたごめんなさい」

 リアルカツアゲ? 手伝ってやったんだから金出せ? お金を出す準備は万全です。早くそのセリフを、どうぞ。

 しかし、展開は私が予想していたものとは斜め上だった。彼は、私と同じ体勢のまま、ジャージの上着ポッケに手を突っ込む。何かを掴んだ形の手が出てきて、私に見せるように手を開いた。そこに乗っているのは、目玉が飛び出て、正直生き物ではないだろうと思われる色をした、グロテクスな動物。ゾンビベアーのストラップだ。私も、同じものをバッグに付けている。この人もゾンビベアーが好きなのだろうか。

 ……あれ、ゾンビベアー?

 恐る恐るバッグを確かめると、仲良く三匹並んでいる筈のゾンビラビット、ゾンビピッグ、ゾンビベアー……が、いない。ゾンビベアーだけが忽然と消えている。もしかしたら、チェーンの部分が外れてしまったのだろう。

「えっ!? 嘘、あ、ありがとうございます!」

 慌ててそれを受け取ると、その人は立ち上がったあと会釈だけして、ベンチの方へ戻っていく。彼も此処で降りるような駅じゃなかったようだ。ど、どうしよう。凄く良い人だった……。

「ちょ、ちょっと待って!」

 彼のあとを追って、スポーツバッグを勢いよく引っ張ってしまった。すみません。本当に重ね重ね失礼します……。彼は、こちらを驚いた顔で振り向いた。
 彼と目が合う。やっぱり顔は怖いし、思わず怯んでしまいそうだった。でも、初めの頃とは幾分か柔らかく見えて、私は学友と話すかの様なリラックス感を得ていた。

「あの……何か飲み物……」
「え」
「あの、お金とか、ゾンビベアー拾ってくれたから……! ていうか貰って!」
「いや、でも……」
「ゾンビベアー! 大切なものだったから!」

 半分本当で半分嘘だ。勿論ゾンビベアーは大切なものだが、私の誤解が、申し訳ない。ここでお詫びしなかったら罪悪感に悩まされる自信がある。
 半ば無理矢理だが、ここで断り続けるのも失礼だと思ったのか。心優しき彼は、縦に首を振ってくれた。本当に良かった。

「よ、良かった……。あっ、私はお茶にするけど、何に……」

 自販機の前に戻り、リクエストを聞く。彼は、少し間を開けて「同じので」と答えた。私は百円玉三枚をぶち込み、お茶のボタンを二回押す。それに従い、同じものが二本、ボトルが凹んだりしないのだろうかと不安になる音を連れて落ちてきた。

「はいっ、どうぞっ!」
「……ありがとうございます」

 お礼を言うのは私の方だ。あれ、私お詫びをしてるんだっけ? お礼をいうのは違うか。

「降りる駅ってここじゃないの……って、私が落としたのを届けに来てくれたから、ここなわけないか、ははは……」

 二人一緒にベンチへ向かう。流石に自販機の前で駄弁るのは邪魔くさいし、感心出来ない事だろう。

「あの、名前は」
「えっと、みょうじなまえだよ! 舘森高校一年!」
「みょうじ……さん。青根高伸。伊達工二年」
「うぇっ!? 先輩だった!」
「大丈夫」

 さっきから馴れ馴れしく、しかも見るからに体育会系なのに、良いのだろうか。そういう所は厳しいと思っていたけど、やっぱりこの人の懐が深すぎるのか。とにかく、大丈夫と言ってくれたし、タメで良い……よね?
 私達は、ベンチに隣同士で座った。空をよく見ると、星が輝いている。あとでカメラに納めようかな。

「みょうじさんは、この駅な……んですか」

 俯いたまま、年下と言っても、全くの赤の他人である私に対して丁寧に発言する青根さん。多分この人、先輩とかに「〜ッス」って言わないタイプの人だ。

「あっ、いやー! 喉がカラッカラで耐えきれなくてー! あ、私もタメで良いよ」

 まさか「貴方にビビって逃げようとしてましたー!」なんて言える馬鹿じゃない。確かに高校最初のテストは少し酷かったが、そういった類いの馬鹿じゃない。凄く良い人と判明したあとだと、益々申し訳なくなる。言っても許されるくらいの時が経ったら白状します(ありえない話なんだろうけどね)。

「ジャージ着てるって事は、運動部か何か?」
「バレー部に」
「そうなんだ! スタメン?」

 青根さんは、両の掌の中でお茶を弄びながら頷く。改めてよく見ると、手が大きい。ペットボトルの大きさは変わらないのに、何だか私の持つペットボトルがさっきの青根さんで、青根さんが持っているのがさっきの私みたいだ。

「大会っていつ?」
「六月二日」
「え、じゃあもう一週間後!? 組み合わせって、もう出たの?」

 またしても青根さんは頷く。青根さんって、結構無口な人だな。

「そうかー……。じゃあ、私は伊達工を応援しようかな!」
「え」

 まあ、当たり前だよね。普通は自分のとこを応援する筈だからね。

「私、バレーとか何処が強いか、なんて全く分かんないし興味無いし。うちの学校は、目立って強い訳でもないから」

 まあ気紛れなんだけどね!
 そう言って、私はペットボトルのお茶を開封して、喉を潤す。やっぱり日本人の味覚には、お茶が合う。

「もしかして、迷惑だったりする?」
「……いや、ありがたい」

 青根さんは「ありがとう」と呟いて、再びこちらを見た。これで二回目。すぐに逸らされてしまうが、そのかわり、何らかのスイッチが入ったのか、今までの彼にしては、饒舌に語り始めた。

「先輩たちは、今度の大会で引退する」
「え、そうなの!? 何で?」
「それは知らない。……けど、強いあの人達が抜けてしまうのが想像できないし、まだ一緒に、戦っていきたい」

 その為にも、勝ち進んで、全国に行きたい。

 覗き込んで見た青根さんの目は、さっきの恐ろしさよりも、闘志を燃やす普通の選手だった。ただ勝ちに貪欲なんじゃなくて、他に、先輩の為に。その心情は、多分私にはこれっぽっちも理解出来ていないかもしれない。

「そっか。じゃあ私も精一杯応援しなくちゃね!」
「そうしてくれると、あの人達も喜んでくれる」

 思わず、二人で肩を揺らしてクスクスと笑う。何も可笑しい内容を話している訳では無いのに、笑いがこみ上げてきて、少し不思議だ。
 電車の眩いライトの光が目に入り、「あ」と声を漏らす。青根さんも、私の様子で気付いたのか、重い音が響く電車の方へ目を向けた。

「来た来たー! 本当に、ゾンビベアーの事とか、お金の事とかありがとう! って、一緒にあれに乗るから、まだ早いけど……。そうだ! 私のことで聞きたいことある? 私、青根さんの事聞いてばっかりだったから!」
「聞きたいこと……」

 聞けと言われても、何も思い付かないからか、困惑している青根さん。一足先に立ち上がって、扉の前から青根さんを呼んだ。青根さんが慌てて立ち上がり、私はそんな彼の腕を掴んで、何を聞かれるのだろうと楽しみにしながら、帰りの電車の中へ二人同時に、足を踏み入れた。

――――

「そ、それが青根先輩とみょうじの馴れ初めってやつか!」
「うん。青根さん、本当にあの時はごめんね」

 表情は変わらずに、横に首を振るのを見る限り、許してくれているのだろう。私は青根さんの、こんな優しすぎる所に惹かれて、今や晴れてカップルなんだよな。その時のゾンビベアーは、今も私のバッグに、それはそれは大切に付けている。でも、あの後すぐの青根さんも、忘れられない出来事だ。

「いいから黄金川、はよアイス食え。溶けるぞ」
「あっととと」

 黄金川君は話に夢中で、半分程しか減っていないアイスキャンディーを思い出したかのように再び口へ運ぶ。私のガリガリ君は既に食べ終えており、ハズレ棒だった事に落胆したところだ。

「ほんっと青根、俺を置いてきぼりにしってってさー。スピード恋愛ですかウラヤマシイデスネー」
「あれ? でも、そっからどうやって恋人同士になったんだ?」

 嫌味を言う二口さんとは裏腹に、黄金川君は凄く純粋な疑問を投げ掛けてくる。

「うーんと……そうだなあ。長くなっちゃうよ?」
「は、話さなくても……!」

 どうやら、あの事を思い出したのか、私の話を阻止しようとする青根さん。じゃあ、今回の話のすぐ後の話でもしようか。あの青根さんはとても格好良かった。
 多分、青根さんが思い出しているのは、本当に別の、まだ最近の話だろう。あの青根さんも可愛かった。どちらを散々話すか悩んだ挙げ句、私はこの話をしようと、口を開いた。

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