クラスメイトの笹谷から告白されたのは、3年の教室にもなじんだ5月の半ばのこと。

「俺、みょうじのことが好き」

放課後の教室で一人日直の仕事の締めくくりとして日誌を書いていた。その私の前の席の椅子に後ろ向きに座り、口を開くなり言ってきた言葉がそれだ。
突然のことに日誌を書く手が止まる。恐る恐る顔を上げてみる。純粋に、笹谷がどんな顔でそれを言ったのか気になって。

椅子の背に両手を組み、そこに顔を乗せこちらを見つめている笹谷。その黒目がちな垂れ目が私を捕らえていて目が合ったまま離せない。
薄く微笑みを浮かべた、からかっているとも本気ともつかない読めない表情だった。まだそんなに暑い時季ではないのに背筋に汗が流れ落ちるのを感じる。

「…今日の出来事の所に『笹谷くんから告白されました』って書いていい?」
「別にいいけど…、返事とか何かないの?」

かろうじて絞り出した冗談に、笹谷は不満気な顔をして組んでいた手を解き頬杖をつく。

「…ごめん、さらっと言われたから、からかわれてるんだと思ってた。…告白ならもうちょっと、緊張してる感じとかないの?」

質問に質問で返すのは嫌がられるだろうけど、本気なのかどうなのかわからないのだから返事のしようがない。

「あー…俺、あんま顔に出ないからなー」

そう言いながら天を仰ぐと、すぐにパッと何か思いついたように向き直り、私の手首を掴む。

「え?ちょ、ちょっと、何?」

有無を言わさない力で笹谷のブレザーの中に私の手が導かれ、彼の左胸に押し付けられた。手のひらの下、ワイシャツ越しに笹谷の体温を感じる。
笹谷の体の厚みや固さが薄い布越しに伝わり、自分の体と違う「男の人の体」ということを思い知らされきゅっと心臓が縮こまり、顔が熱くなる。
確かに、指先へとくんとくんと規則正しい鼓動が伝わってくるけれど、じきに自分のどっくんどっくんという脈拍にかき消されていく。校庭では既に部活動がはじまって結構うるさいはずなのに、鼓動の音以外何も聞こえない。
戸惑いつつ恐る恐る笹谷の胸から顔の方へ視線を上げると、見たこともないような優しい表情でこちらを見ている彼と目が合ってしまい、また心臓が高鳴る。誰このイケメン。心臓に悪すぎる。
私の顔が赤いのに気付いたのか、口の端をあげ楽しそうに言う。

「ほら、結構、バクバクいってんだろ?」
「い、いや、あなたの心臓より私の脈の方が何だかおかしいことになってて、正直わかんない…」

しどろもどろに返すと、急に笑みを消した真顔になる。口をへの字に曲げ、見るからに機嫌を損ねたとでも言いたげな風に。

「…そのちょくちょく出る不満顔はなんなのよ」
「いや、ここは『私の方がドキドキしてるよっ!(はあと)』って、俺の手をみょうじのおっぱいにもってくながれだろ!常識的に考えて」

真顔を崩さずそこまで言い、にやっと笑う。
…何だろう、この私の方がわからず屋だとでも言いたげな展開は。やっぱりからかわれているのだろうか。ちょっとときめいてしまった自分が腹立たしい。

「このエロオヤジが…」

小声で毒づいてみた。きっと本気で考えてしまった私がバカなんだろう。握られていた手をそっと振りほどき日誌へと向き直る。
もうとっとと書いて、さっさと帰ろう。今日の授業の記録や出欠の記録は書けた。あとは、今日の出来事と感想……。

「…こう見えて、結構緊張してたんだけどなー」

独り言のような声と深い溜息が聞こえ、思わず目線をそちらに向けてしまった。笹谷はそこを動かず、机上に組んだ手に顔を載せ下からじっと上目づかいに私を見つめている。まっすぐな視線が痛い…。
答えるまで逃がしてくれなさそうな気配がして、今度は私が深い溜息をつく。根負けした私はシャーペンを置き、言葉を選んだ。

「笹谷のことは…、友達として好きだけど…。正直、そういう風に見られてると思ってなかったから、かなり戸惑ってる」
「知ってる。だから、これからそういう目で見てみろっての」
「…失礼ですが、私のどこが?何で?いつから?」
「そんな恥ずかしい事、お前が『付き合う』って言ってくれたら白状するよ」

挑発的に口元だけ笑って私の質問を受け流す。告白してきたのは笹谷からのはずなのに、テンパってるのは私の方ばかりなのがムカつく。
その余裕を崩してみたくて、ちょっと怒ったふりをする。

「恥ずかしい事なの?!…さては、体目当てとか、一発やりたいとか!そんなのなんでしょ!」
「まあ、本音ぶっちゃければ間違ってはねぇけど、さ」

そう言いながら口角を上げて続ける。っていうか間違ってないのかよ。そこは嘘でもまだ否定しとこうよ。

「お前の、そーいう、伊達工に毒され過ぎてるところも案外好きよ」
「……」

…予想外の高評価に次の句が出てこなかった。
『一発云々〜』は、今こんなコトを言ったら醒めてくれるだろうと、いつもの調子を取り戻すべくあえて伊達工男子風に言ってみた、ある意味自虐的な策だった。
でも、そこを飲み込んで、『好き』と攻めてくる笹谷は、案外本気なのかもしれない。え?本当にいいの?こんなんで?

「…こんなのでいいの?」
「こんなんがいいの!」

思わず声に出してしまった弱気な疑問に、笹谷は力強く肯定で返し、妙に色気のある垂れ目を真っすぐにこちらに向けてきた。
きゅうと心臓が、鷲掴みにされたように痛い。まさか笹谷からこんなに想われているなんて思っていなかったから。
急にここで言われた言葉が実感を伴って染みこんでくる。ポーっと顔に熱が集まり、目の前の笹谷の輪郭がぼやけてくる。

「おい、ちょっと、どうした?」

笹谷と出会ってから、彼にこんなに色気というか男を感じたことあったっけ?
確かに、仲のいい方の男子だ。私が男だらけのクラスに溶け込めるよう、気遣ってくれている。
何で、今、こんなにドキドキしているんだろう。好きって言われたから?それとも……

「おーい、なまえちゃん」
「な、なに?」

ずいっと眼前いっぱいに割り込んで来た笹谷の顔にはっと我に返る。ち、近い。逃げるように椅子の背もたれぎりぎりにのけぞり、やっとのことで距離を置く。

「好きな子が、赤い顔で目をうるうるさせて見つめてきたら、期待するんだけど」

そう言いながら立ち上がり、先ほど私が保った距離を詰めて来る。

「近いよ、笹谷…。…ごめん、あんまりそーいう免疫ないんで…。…勘弁してくれませんか」
「『一発』とか言っちゃう女が、免疫ないとか。最高だね」

消え入りそうな声で伝えると、笹谷の瞳が妖しく私を捕らえる。勘弁してくれるどころの話ではない。

「俺で免疫つけりゃいーじゃん」

さらに笹谷の顔が近づいてくる。「やっ」と情けない声を上げ反射的にぎゅっと目をつぶる。すると、額に柔らかい感触がぶつかった。
恐る恐る目を開けると、まだ至近距離に笹谷の顔がある。黒曜石のような瞳の中に目を丸くして驚く私が確認できるほど近い。今の何?笹谷の唇??キス???
パニック気味の私を見て満足げに、目をきゅっと細めて笑う。

「耳まで、真っ赤」
「なっ、何したの?」
「んー?免疫つけるための、笹谷ワクチン?」
「……ワクチンって、注射でうつんじゃないの?」

ポーっとした頭で発してしまったアホな疑問に、なぜか笹谷の顔に赤味がさす。

「『注射』って…お前な…」

え?なんでここで照れてるの?意味わかんない。
疑問符を浮かべているであろう私の顔を見、ふっと苦笑しながら内緒話をするように顔を近づける。

「そういうのは付き合ってからだろ?」
「〜〜っ!!!」

耳元で甘く笹谷に囁かれ『注射』が暗喩してしまったものに気づき、カーッと顔に熱が集まる。
私も伊達に伊達工でもまれてるわけじゃない。3年にもなれば男子のそういう話に顔を赤らめるなんてことは既にないし、万一巻き込まれても適当にかわしたり返り討ちにするぐらいできる。

でも、今、この状況で、それは、ムリ。

「バカ!変態!エロオヤジ!さっさと部活行け!!!」

上ずった声で叫びながら手を振り回す私の攻撃を、笹谷は笑いながら余裕で避ける。

「ちょっ、怖っ!…じゃ、みょうじ、ちょっとは意識しろよ〜」

椅子を戻し、隣の机に置いてあったエナメルバッグを持ち上げると私に手を振りながら軽快に教室を出て行った。
呆然とその姿を見送りながら、笹谷が唇で触れた額に手のひらを当てる。熱を持ったように熱い。

「……ばか」



それから日誌に記すための『今日の出来事』を思い出す作業に没頭しようとした。
…ダメだ。「笹谷くんに告白された」「笹谷くんの胸に触った」「笹谷くんにキスされた」以外の今日の出来事が思い出せない。
入学してからイヤでも身に着いた『伊達工男子的思考』に潜在的に持っていた『乙女思考』が混ざりに混ざって、頭の中がとんでもないことになっている。
さっきの言葉を思い出し胸がきゅんとするやら、笹谷に抱かれるシーンを想像してしまって壁に頭を打ち付けたくなるやらで大忙しだ。

意識するどころか免疫をつけるどころか、完全に感染してしまった気がする。
何に?恋の病?…何、ソレ。
確かに、ビョーキだよこの状態は!

「もーっ!!!責任とりなさいよ……!」

日誌を放り投げ、机に突っ伏し、既にここにいない笹谷に向かって叫んだ。

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