「じゃあ、また!」
「元気でなー」
「同窓会やろうぜ」

卒業式を終えた伊達工業高校の校庭は、そんな光景であふれている。
同級生同士、先輩と後輩、先生と生徒。
それぞれが名残を惜しみ、高校生活最後の言葉を交わしているのを横目で見ながら、私は走る。

私は、まだこの高校で、やり残したことがあるから。

息を切らせて走り切った先に「バレーボール部」の部室。
きっと、彼は、ここにいる。

私をバレー部に誘ってくれた恩人
私と一番仲のいい男友達

そして、私の3年間の片思いの相手


◇◇◇


「やっぱり、ここにいたんだ、茂庭」

部室のドアを開けると、中にいた人物が振り返る。
ブレザーのボタンをきちんと留め、ネクタイも緩めず、胸には卒業生に配られたコサージュ。式典そのままの格好でいるのが茂庭らしくて、ちょっと笑ってしまう。

「みょうじか…」

これからの季節を思わせるような穏やかな笑顔。私の視線で気づいたのか、「ああ、」と照れ笑いを浮かべてネクタイを緩める。

「学校で一番思い入れがあるのはやっぱり体育館だけど、その次はここだから。最後に寄りたくて二口にカギ借りたんだ」

茂庭は壁に貼られていた『伊達の鉄壁』の横断幕とインターハイのスタメンで撮った写真を見つめながら言った。
写真の真ん中で屈託なく笑う茂庭。『この代、そんなに成績よくなかったよな』と言われるかもしれないけど、ここに飾られている集合写真の中で、一番、いい笑顔の写真だと思う。

「みょうじは、どうして部室に?」
「は、はい?」

写真に気をとられてたところに急に振られて言い淀む。
『あなたに告白しに来ました』なんて、まさか言えない。『茂庭がここにいると思って』でもいいかもしれないけれど、きっと茂庭は『どうした?』と聞いてくる。そうなると……ちょっとまだ心の準備が足りない。咄嗟に目線を泳がせ部室を見回した。

「……私もさ、最後に掃除でもしようかな、と思って来たんだけど、この様子だと大丈夫そうだね…」

後輩マネの舞が上手いこと部員をしつけてくれたのだろう。部室内は意外と整っていた。同期の散らかし屋二人の顔を思い浮かべる。あいつらは使用済のタオルをため込んだり、ロッカーの隙間にエロ本を隠したり、まあ、いろいろやってくれた。そのたびに茂庭と二人で叱りつけていたことを思い出す。

「ああ……。笹やんと鎌ち、ひどかったからなー」

同じ事を思い浮かべたのか、茂庭の顔が険しい。久しぶりに見る、悩める主将の顔。

「ちょ、茂庭、顔すごい、眉間のシワ!」
「あーっ、なんか思いだしちゃったよー」

顔を伸ばすように叩く茂庭を見て、たまらず吹き出すと茂庭もつられて可笑しそうに笑う。

ひとしきり笑ったあと、思い出した。ここに来た目的を。
ふと、視線を茂庭に向けると、彼の表情は静かだった。微笑んでいるのに、視線が鋭い。

「あの、さ……。今までちゃんと言ったことがなかったんだけど」
「え?何?」

いきなりの茂庭の切り出しに、ドキッと心臓が脈打つ。急に手のひらに汗がにじんでくるのを、ぎゅっと握りこむ。

もしかして、私と同じ……?

早くなる鼓動を感じつつ平静を装い、言葉の続きを待つ。
不意に茂庭は視線を外し、はーっと息を吐いた。そうして虚空を睨み首を振ると、私の方へ向き直る。

「…みょうじがバレー部で、マネージャーでいてくれて良かった。ありがとう」

かみしめるように紡ぎ出された言葉と差し出された右手。これは、きっと握手だ。

「……」

震えそうになるのを抑えて茂庭の手を掴む。私の手は彼の手に柔らかく包みこまれた。その温かさに胸が痛くなる。

…こんな風に言われてしまったら、告白なんて、できない。
ちぎれそうになった気持ちを隠して手を握り返し、何とか言葉を絞り出す。

「私を…、マネージャーに誘ってくれてありがとう。この3年間はかけがえのない宝物だよ」

これも私の茂庭に対する本音。だけど、私の気持ちはこれだけじゃない。
手を解くと一瞬間を置いて「覚えててくれたんだな」と呟いているのが聞こえる。忘れるわけなんてないよ。
正面から微笑む茂庭に、きゅうっと胸が締め付けられる。

もし、ここで。茂庭に抱きつける度胸でもあれば、何か変わるのかもしれないのに。告白すらできない私は、茂庭とはここまでなのかな?
じわじわとあきらめの気持ちが広がるのを抑え、無理やり笑顔を返す。

「……」

歪んだ表情になっているのだろうか。何か言いたげな顔で茂庭が私を見る。沈黙の中、緊張を孕んだ視線が交錯する。耐えきれず、先に目を逸らしたのは私の方だった。

「…私、茂庭のことが好きだったよ」

耐えきれなかったのは視線だけではない。ぽろりと溢れ出てしまった言葉。驚いて目を丸くしている茂庭に向けて、精一杯、微笑む。ううん、過去形じゃない。この人が大好き。私の気持ちを伝えずにあきらめることなんてできない。結果はどうだっていい。
だから、もう一度。
茂庭の顔を見つめ、ダメ押しのつもりで告げる。

「茂庭のことが、すごく好き……」

言葉を発した瞬間、涙がこぼれ落ちた。泣くつもりなんて、これっぽっちもなかったのに。
告白して泣く女なんて最低だ。自分の気持ちをぶつけて脅してるみたいで。潤んだ目を隠すように手で覆っていると、ふわっと、茂庭の匂いがした、と感じたのと同時に体を引き寄せられる。

「も、にわ?」

よろけるように茂庭の腕の中に飛び込むと、ぎゅっと強い力で抱きとめられた。細身だと思っていた彼の意外な体つきの逞しさを感じてしまい、場違いに顔が熱くなるのを抑えられない。

「……ゴメン」

耳元で囁かれる謝罪の言葉。

ストンと、ふられたんだ、と理解する。
茂庭なら正面からきっちりふってくれる覚悟はしていたけど、こんなに優しく抱きしめられたら期待しちゃうのに。なんなの、茂庭サンったら、これはずるい。
ぐちゃぐちゃになった気持ちが涙腺をゆさぶる。

そこで茂庭が深呼吸した。すぅっと空気を吸い込んだ胸の動きが私の体にも伝わる。

「俺も、みょうじのことが好き、もう、ずっと前から」

思わず顔を上げた。ほど近い位置に茂庭の顔がある。痛いほどにまっすぐな優しい瞳。彼の手が私の目元に伸びて涙をぬぐうと、目を細めてもう一度私に告げた。

「好きだよ、なまえ」

初めて……茂庭から名前を呼ばれた。
自分の名前が甘く耳に響き、体の奥が震えた気がした。嬉しさと戸惑いで流れる涙が茂庭の手をまた濡らす。

「……『ゴメン』って謝るから……、てっきりふられたのかと思ってた……」

やっとの思いでそう伝えると、微笑みながら眉を寄せ、バツが悪そうに答える。

「ふるわけないよ。俺も好きなのに。みょうじに先に言わせちゃった上、泣かせちゃったからな」
「……だって…、卒業式なのに……。今日でも言ってくれないなら、脈なしだって思うじゃない……」

私だって、さっきまで告白に踏み切れなかったんだからとやかく言えたものではない。主将とマネージャーという、一番近い異性のポジションが心地よすぎて手放せなかったんだから。
茂庭はまた「ゴメン」と言うと、私の頭を優しく撫でながら続けた。

「…今までの関係が壊れることがすごく怖かったから、……言えなかった」

一緒だ。「私も同じ…」と顔を上げ小さく呟くと、彼は目を細め唇の端を上げ、ふわりと微笑んだ。私の好きな、いつもの笑顔で。
茂庭はそっと私の体を離し、両肩に手を置き直す。茂庭の小さめな黒目が私を映す。試合の時のような真剣な表情に射すくめられて動けない。

「これからも俺のそばにいてくれないか?」

射抜かれて、声も出せない。茂庭のそばにいたい私が一番欲しかった言葉。
私は彼の顔を見上げてうなずいた。そのまま見つめ合っていると、ゆっくり茂庭が瞬きをした。次に目が合ったときには茂庭の顔が近づいてくる。
ちょちょ、ちょっと待って。慌てて目を閉じると、唇に柔らかい感触がぶつかる。

初めてのキスは触れるだけの優しいキスだった。

心の準備ができないまま、唇が離れていく。
なんなの、もう。告白はなかなかしてくれなかったくせに、なんでこうも簡単にキスはできるの。しかもこんな一瞬。
茂庭に触れた唇が追いかけるように甘く痺れてくる。その感触がたまらなくなって、思わず口を抑えてうつむく。

「……もう、ホント、やだ」
「えっ?あ、その。…ゴメン」

違うよ、茂庭。嬉しい。すごく、嬉しいんだけど、なんだか茂庭に振り回されている気がしてちょっと悔しいだけ。
私はあたふたして離れようとする茂庭のブレザーの裾を引く。

「……あんなに待ったのに、これだけ?」

まだ近くにある茂庭の顔を、精一杯、下から睨みつけて言ってみる。ちょっとした反撃のつもりだったのに、顔が熱い。みっともないほど赤くなっているのに違いない。
茂庭は、丸く目を見開くと、ほっと息を吐き、困ったようにふっと微笑んだ。

「まったく、もう……」

そうして後頭部にすっと右手を差し入れ私を引き寄せる。
思わぬ彼の行動にびっくりして見上げた先の茂庭は、今までに見たどんな表情より、一番、男の人の顔だった。

「俺も、これだけじゃ足りない」

こんな茂庭は知らない。…でも、この茂庭のことも、きっと私は、どうしようもなく好きになる。
痛いほど心臓が高鳴った反動のままに、茂庭の背中に手をまわす。

それから、私たちは互いの片思いの時間を埋めるように、長い口づけを交わした。

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