「ああ、なまえ、帰ってきた!叶歌の試合始まっちゃったよ!」
「う……、うん」
「どうしたの?なまえちゃん、そんなに汗かいて?」
「え、そ、そうかな?」
「顔すっごく赤いよ!?」
「な、なんでもない!」

 体育以外に走ることもない私が全力疾走で戻って来たのを見て友達たちが驚いている。理由を言い淀む私を不思議そうに見たものの、すぐに彼女たちは目の前の試合の応援にうつった。
 呼吸を整えながら、私はさっきの出来事を思い出す。

 ……どうしよう。私、あの人のこと好きになっちゃったかもしれない。

◇◇◇

 スパイクって打たれたらほぼ決まっちゃうんだ……。それが初めて見た男子バレーの感想だった。

 天ちゃんの応援で来た県民体育大会会場のS市体育館。隣のコートでは同時に男子の試合も行われている。

 男子の試合ってすごい。全体的に大きい人が多いし迫力が違う。パワーが違う。
 歓声も女子の試合とは全然違う。朝からもう長いこと聞いているのにこれには慣れることができない。
 そしてブロック。高校女子の試合ではあまり見ないから、隣のコートのチームがガンガン決めているのに驚いた。

 高い高い壁がボールを弾き返す。

「ヨッシャーー!!!」「ヴォォーイ!!!」

 中学から女子校で育ってしまった私には非日常な風景すぎて少し怖い。ここにいる友達たちも似たり寄ったりなはずだけど、そんなコト言ったらバカにされると思う。私が人一倍臆病なだけかもしれない。
 でも、はじめは怖かったけど、ブロックが決まると気持ちいいことにも気づいてくる。
 そっか。スパイクは「ブロック」で防げるんだ。と、隣の『伊達工業』のプレーを見て自然と理解する。
 隣の試合も気にしつつ、私は天ちゃんに向かって声援をおくった。

◇◇◇ 

 天ちゃんのチームは難なく初戦を突破した。
 けど……隣のコートの迫力に圧倒され疲れてしまった。いったん外の空気を吸いたい。友達たちに断りを入れて一人でちょっと外に出させてもらうことにした。
 体育館の外はのんびりとした空気が漂っていた。周辺の広場では試合前後の選手たちが黙々と軽めの練習やストレッチをしているが、中での熱気とはうってかわってリラックスした雰囲気だ。私はほっとして、広場から周囲を一周する。
 そろそろ体育館の中へ戻ろうとしたとき、入口へ向かう曲がり角の水飲み場で一人の選手が頭から水を被っているのが見えた。
 もうすぐ四月、とはいえ宮城はまだ肌寒い。
 大丈夫なのかな、と思いながらその横を通ろうとした。
 緑のパンツ、あのジャージはさっきのブロックがすごかったチームの人かな?

 彼は水道の水を止め、髪の毛から水が滴り落ちるまま、手を伸ばし何かを探すように水道の上の部分をぺたぺたとたたいている。

「やっべ……タオルねー……」

 ため息交じりでつぶやく声が聞こえてきた。

 ……あー、わかる。それは困るよね……。
 バッグは友達に預けてきてしまった。なんとなくポケットを探る。ハンカチなら入っていた。心もとないけど拭かないよりはマシかな。でも、突然、知らない人に渡されてもイヤかな……。
 そんなことを思っているうちに、彼は水浴びをしたての犬みたいにブルブルっと頭を振る。それだけではとても十分ではなさそうで、彼はなんとか水を切ろうと四苦八苦している。

 やっぱり、行こう。風邪ひいたら大変。
 私は彼に近づき手元にハンカチを差し出した。

「あ、あの、これでよければ……」
「ん?お、サンキュー」

 彼はいきなり話しかけられてびっくりしたようだったけれど、ひったくるようにハンカチを取り、乱暴に顔を拭いて前髪付近をぐるっとぬぐう。

「うわ、これ、全然水吸い取らねー」
「す、すいません」
「ウソウソ、ゴメン、すっげー助かってる」

 そう言って、まだ水を滴らす髪と一緒に顔を上げた。
 形のいい薄い唇が弧を描いている。長い指が水を含んだ茶髪をかき上げると、きれいな額が露わになり閉じていた瞼が開く。
 こちらを向いた鳶色の瞳。それとバチっと合った瞬間、私は雷に打たれたように立ち尽くすしかなかった。

「ハンカチってちょー久しぶり」

 そう言って彼の目元が甘く緩んだのをスイッチに、体中に電流が流れ出したみたいにどくどくと脈打つ。

 ……こんなキレイな男の人、見たことない。

「わりぃ、これ、ぐっしょぐしょだわ」

 口調の乱暴さとのギャップが凄まじいけど、それがかえって彼が天使でも王子様でもなく生身の高校生男子だということを思い知らせてくる。
 ……今の私には刺激が強すぎてキャパオーバーだ。
 不思議そうに私を見る彼の視線に耐えられず、働かない頭の代わりに口が勝手に動く。

「あの、や、これ、いいです、すいません!」

 それだけ言うと、私は彼を残して脱兎のごとく駆け出していた。

◇◇◇

「どうしたの、なまえってば、ずっとぽーっとして」
「あ、う、うん……」

 天ちゃんは大活躍で今日は危なげなく全勝し、明日へと進むことができた。
 友達たちは「叶歌カッコよかった!」「リベロの先輩もすごいよねー」と口々に試合の感想で盛り上がっているけど、私はさっきのあの人の事が頭から離れなくて上の空で歩く。と、その一瞬後、友達たちはもちろん、私も驚愕すべき事態に遭遇した。

「あ!見つけた!みょうじなまえ!」

 ロビーに出て来た白地に緑のラインのジャージの集団、その中の一人の男子がこちらを指さして叫んでいた。
 あ、さっきの……でも何で、私の名前を?

「ひっ!わーっ、ごめんなさい!」
「何?どうしたの?なまえ」
「先、行ってて!」

 そういえば、あのハンカチは小学生の頃から使ってるものだから記名してある……。
 突然のことに驚いている友達の声を振り切って私は駆け出した。
 逃げ足には自信がある。真っ直ぐに走って建物の外に出て右に曲がる。
 でも、現役バレー部の部員(しかも男子)との追いかけっこに勝てるはずもなく、体力不足もあいまって、曲がって数秒後、あえなく首根っこをつかまえられた。

「お前、逃げんなよ……意外と足早いからビビったわ」

 私に逃げる気力も体力も残ってない事を見て、彼は私から手を離す。
 こちらは腰を折ってゼイゼイと荒い呼吸を繰り返しているのに、彼は息一つ乱していない。

「何で、逃げた?」
「……だって……追ってくるから」
「そりゃ、返したいのに逃げられたら追うだろ」

 あきれたように指先で私のハンカチを器用に回す。

「色々考えたんだぜ、ハンカチ、ケチつけちゃったの悪かったなとか、ビショビショにしたから怒ってんのかな、とか、汗臭いって思われたなとか。あんな必死に、しかも2回も逃げられると俺だってショックなんだけど」
「ご、ごめんなさい。そんなことは思ってないです、あ、あの……」
「ん?なんだよ」

 誤解を解かないと、で、でも正直に言っていいのかな。
 ちらっと彼を見ると、こちらを睨みつける顔ですら整っていて、余計に鼓動が速くなる。
 ……もう、どうにでも、なれ!

「……レイだったから」
「は?」

 彼のハンカチ回しが止まる。

「あなたの顔が、キレイだったから!」

 やけくそ気味に叫ぶ。こんなコト、言われ慣れてるんだと思うけど、ごまかすための言い訳は思いつかなかった。
 バカにされるのも覚悟していたけど、彼の顔はみるみる赤く染まっていく。

「……そんなん、言われたの初めてだよ」
「う、嘘ですよね」
「嘘じゃねーよ、工業なめんな」
「だって……男の人と話すの、すごく久しぶりだったんです」
「いや、そんなこと言ったら俺もだよ」
「うそ……」
「だから嘘じゃねえって」

 意外なリアクションが信じられなくて疑ってしまう。
 彼は照れ隠しのように自分のこめかみを掻くと、何かに気づいた顔で私に言った。

「女子高?」
「あ、はい新山女子です」
「『女王』かよ……、じゃあ、明日も来るよな」

 有無を言わせない感じの言葉に、私はこくこくとうなずく。

「俺、伊達工業の二口堅治。勝ち進んだから明日もここで試合。で、そん時ハンカチ返すから」
「……ハイ」
「ちゃんと洗って、アイロンして返す」
「あ、そこまでしなくても大丈夫です!」
「家庭科でやったことあるから大丈夫だって、あ、焦がすと思ってんだろ?」
「いえ!そんなことは……」
「あ、そうだ……!」

 彼は名案を思い付いた、という感じでポケットからスマホを取り出す。

「お前バックレるといけないから、連絡先聞いていい?」

 流れるような話の展開に、思わず緊張がとけて笑ってしまう。

「……女子慣れしてるじゃないですか」

 そう言うと、心外だと言わんばかりにキレイな顔を歪ませて彼は言い放つ。

「距離感わかんねーんだよ、つーか、チャンスは逃さない主義なだけだって!」

 チャンスって……。
 彼の言葉にドキッっとして固まっているのを、連絡先を教えるのをためらっているように見えたのか、彼はあっさりとスマホをしまう。

「連絡先はいいや。返してほしかったら、ちゃんと来いよ。新山女子の『みょうじなまえ』」
「……わかりました。伊達工業の……『二口堅治』」

 彼にならって覚えたての名前を言うと、彼は眉を下げて照れ臭そうに口をゆがめる。

「……また明日な」

 そう言って彼……二口くんはひらひらと手を振り去っていった。


 春の嵐のようだった。

 きっと、私は。
 明日、たとえ天ちゃんの試合がなかったとしても、絶対彼に会いにここへ来てしまうんだろうな、と思った。

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