「っだぁー!海に行きてぇ!」

鎌ちが首を締め付ける制服のネクタイを緩めながら叫んだ。

季節は夏。
本番は秋とは言え、いよいよ就活に向けての面談対応やら会社説明会等が本格化してきた俺らにとって、決して暇なわけではない。

「鎌ち、去年も同じこと言ってなかったっけ?」
「言ってた言ってた。蒸し風呂のような体育館で叫んでたの覚えてるわ。」

俺の疑問に答えたのは、鎌ちと同じようにネクタイを緩めてパタパタと手で風を送り込む笹やんだ。
汗で貼り付くような制服のシャツがどんだけ不快でも、今脱ぐわけにはいかないから、俺もそれに倣って涼をとる。
そんな俺らの反応が気に食わなかったのか、鎌ちがますます苛立たしそうに顔をしかめた。

「お前らはそれでいいのか?!俺ら、このままじゃ高校での夏の思い出何もないだろうが!」
「…うーん。夏合宿とか?」
「そういうんじゃねーよ!!」

やっぱりダメか、と俺は苦笑いを浮かべる。
確かに6月に引退するまでバレー漬けの毎日だったから、この二年半、夏どころかイベントらしいイベントを過ごした覚えはあまりない。

しかし鎌ちのこれは、どちらかというと就活からの現実逃避なんじゃないか、と思う。
乗ってもいいものかちょっと迷って首をひねっていると、意外にも笹やんが少し乗り気な声をあげた。

「まぁ言いたいことはわからなくもねーな。」
「えっ?笹やん、いいの?」
「一日くらいいいだろ。茂庭だってたまには息抜きした方がいいぜ。」
「よっしゃ!決まりだな!」

まだ何も答えていないのに、いつの間にか決定事項になっていた。
善は急げとばかりにちょうど三人とも空いてる日に無理矢理予定を組み込まれる。
それを見て小さくため息をつきつつ、どこか心が浮き足立つのを感じた。

釈然としない思いは残るものの、俺だって行きたくないわけじゃないし、それを楽しみに思うのは当たり前だった。



真夏の青空の下でチリチリと肌で感じる太陽の熱は、あの体育館での暑さとはだいぶ違う。

めいっぱい海で遊んでから陸にあがってみれば、思った以上にズシリと体が気だるくて。
引退してから2ヶ月も経っていないのに、すでに体力が落ちてきてしまったのかと地味に落ち込みそうになるが、鎌ちにあれだけ散々付き合わされて泳いだのだから当然だと思い直すことにした。
海であんなに本気で泳ぐ人(しかもバタフライ)なんてなかなかいないだろう。

砂浜に3人で並んで座り、買ってきたコーラをグビリと飲んだ。
疲れた体に炭酸が染み渡る。
もう一口、と缶を傾けた時、風に流されたビーチボールが視界に入った。
テンテンと砂浜を転がってこちらに向かってくるそれを取ろうと腰を浮かしかけた時、もう一度吹き抜けた風でボールが少し軌道を変え、左側から早歩きでやってきた男がパッと掴んだ。

「すいませーん!」

ボールが転がってきた方向から女の子の声が聞こえて。
それを手にした男たちがニコやかに「君たち3人だけ?なら一緒に遊ぼうぜ」なんて軽く声をかけているのを見ながら、俺は伸ばした手をそのままに静かに浮かした腰を下ろす。

「…アンラッキーだな。茂庭。」

笹やんがニヤニヤと笑いながらそんなことを言った。
別にそんなつもりはなかったけど、何となく行き場を失った手が恥ずかしくて、俺は誤魔化すように持っていたコーラを飲み干す。

「よし。笹谷、ナンパしてこい!」
「はぁ?やだわ。そう言うなら鎌ちがすりゃいーじゃん。」
「俺にできるわけねーだろが!じゃあ茂庭だ!」
「えぇ?!」

急に何を思ったのか、鎌ちがそんなことを言い出した。
そんな、ナンパなんて、できるはずがない。

「いや、でも好きでもない子に声かけるなんて、悪いよ。」

慌てるようにそう言えば、何故か二人にふきだされてしまって。

「相変わらずまっじめだなー、俺らの主将は!」
「まぁ茂庭らしいわ。どっちにしても俺らにゃ向いてねーだろ。」

笑いながら立ち上がった二人に合わせて俺も立ち上がる。
三人で、空になった缶を捨てるために暑くなった砂浜に足跡をつけて歩き始めた。

(そんなにおかしいこと言ったかな…?)

まだ笑い続けてる二人に首を捻っていると、向かいから女の子たちが歩いてきた。
少し道をあけるように右に体を寄せれば、すれ違う瞬間、チカッと反射したような光が目に入ると共に、砂浜にポスンと何かが落ちたように見えて。
パッと条件反射のようにそちらに視線を向ければ、砂の上から小さな輝きが漏れている。
腰を屈めて拾ってみれば、細い鎖にキラキラと光るチャームがついたブレスレットのようだった。

(今すれ違った子の物、だよね…?)

振り向くと、三人で並んで歩く女の子の後ろ姿がまだ近くにあった。
俺は慌てて声をかける。

「あのっ、すいません。」
『?はい。』
「「??」」

同時に振り向いた顔は、みなキョトンとしていて。
その中の中央に立つ女の子に向けて、俺は右手を差し出した。

「これ、違いますか?今落としたように見えたんだけど…。」
『え?−あっ!』

俺の掌の中と自分の左手首を交互に見たその子が、慌てたような声を出す。

『あのっ、確かに私のです!ありがとうございます!』
「わっ、マジでなまえのなの?普通海で無くしたら絶対見つからないよ!拾ってもらえてよかったね。」

右隣にいた子が、受け取った子の手元を覗きこんでブレスレットを確認してから俺の方を見上げた。
遠慮のない視線に、何故か焦ってしまう。

「あ、うん。たまたま目に入った、から。」
「超いい人!神!」
「えっ?!神って…!いや、本当にたまたまだし…!」
「っていうかアクセは外した方がいいって言ったじゃん、なまえ。」
『外したつもりでいたんだよー。お気に入りだったので、本当に嬉しい。ありがとうございます。』

少し大袈裟ともとれる女の子同士の会話の勢いに圧されていると、くしゃりと嬉しそうに笑った真ん中の彼女が深々と頭を下げた。
海で反射した太陽の輝きを受けた笑顔が、チカチカと眩しいくらいで。
そんな彼女の予想外なくらいの丁寧なお辞儀に、俺もつられて「や、そんな…」と頭をさげてしてしまう。
互いに頭を下げあう俺らを見て、彼女の両サイドにいた女の子たちがまたおかしそうに笑った。

ようやく二人とも頭をあげ、困ったようにポリポリと頬を掻きながら顔だけ振り向けば、いつの間にか足を止めてこちらを見守る鎌ちと笹やんが何か言っているのが見えた。

「…なんであいつはあーゆーのには物怖じしねんだ?」
「ま、下心がねーからだろ。」

…会話までは聞こえないけど、どうせ何かよくないことを言われてる気がする。
じとっとした目線を二人の方に送る俺に、「あの…」と声がかけられ、俺は首をまた前に戻した。

『今度、お礼させてもらえませんか?』
「…へ?」
『これ、本当に大切にしてたんです。だから…、』
「えぇっ?!いや、俺は全然何もしてないし!」

彼女の言葉を理解して、俺は慌てて首を振る。
そんな俺の目を真剣に追いかけるように見つめる女の子の「っでも、」という声をかき消すように、彼女たちの背後から苛立ったような声が聞こえた。

「なまえー、何してんだよー。早く来いって!皆待ってんぞ。」

俺の前方の方に立つ男が、遠目でもわかるくらい俺を恨めしそうに睨み付ける。
その声に振り返って「ごめん、今行くー」と彼女が言葉を返した。
それを見て、彼女の友達たちがこそこそと言葉を交わすのが目の前で見えた。

「アイツ、うちら見えてるのかねー。なまえの名前しか呼ばないし。」
「皆じゃなくて、待ってるの自分のくせにね。ね、お兄さん。ひどいと思いません?」
「はは…。」

冗談ぽく俺にも話を振ってきた二人に、俺は苦笑いしか返せなくて。
もう一度、こちらを向いた"なまえ"と呼ばれる女の子に、「じゃあ」とだけ声をかけて、俺は俺を見守る二人の方に足を向けた。
まだ何か言いたげな声が耳に入ったけど、俺は"気にしないで"という気持ちを籠めて笑顔だけ返した。

(彼氏が、いたのか。)

ニヤニヤする鎌ちたちに小突かれながら再び歩き出した時、ふとそんな風に思った。
別に何かを期待していたわけではなかったのに、そんな思いを抱いた自分に少し驚く。
それと同時に、なまえちゃんと言う子のあの笑顔とか慌てた顔とか、丁寧に頭を下げた時のつむじまでもが思い浮かんで、俺は何だか胸が温かくなったように感じる。

(…確かに、アンラッキーかもね。)

今言われたわけではないのに、笹やんの言葉を思い出して一人小さく苦笑を漏らした。


海に入って出て飲み食いして、をもう一度繰り返した頃、海の家が密集している方で何か人が集まっているのが見えた。
昼時は過ぎたから、ご飯時の混雑というわけではなさそうだ。

「何かのイベントか?」
「ちょっと覗いてみるか。」

好奇心そのままに人だかりに吸い寄せられていくと、建てられた看板にはでかでかと"ビーチバレー大会"の文字があった。
簡単なルールも書いてあるのでついでに見てみると、3人交代制らしく、まだ参加者募集中らしい。

「「「……。」」」

思わず無言で顔を見合せると、鎌ちがぺろりと舌を舐めずり、ない袖を捲るような仕草を見せた。


「−んで。俺らは結局、こうなるわけね。」
「これが一番楽しいんだから、仕方ねーわな。」
「ははっ、同感。」

ぽたぽたと砂浜に落ちる汗をぬぐって、決勝進出の喜びを分かち合うために手をパンと合わせた。
初めてやるビーチバレーは、今までやってきた普通のバレーボールよりもキツく感じる。
でもやっぱり楽しかった。

水分補給をしている間に運営の人たちから、決勝の相手が決まったことを伝えられる。
少し休憩時間を挟んでからコートに戻ってみれば、対戦相手のうちの一人に見覚えがあることに気づく。
目が合った相手も一瞬目を見開いたから、気のせいってことはないみたいだ。

「…さっきなまえをナンパしてたヤツだろ、あんた。」
「あ。」

忌々しそうに言われたその言葉で、つい先程の出来事を思い出す。
そうか、彼女を呼んだ男だ。なまえちゃんの、彼氏。

(−って、ナンパなんてしてないし!)

なんだかあらぬ誤解をされているらしい。
何か言おうかと思ったが、その男の目線が気に食わなかったのか、鎌ちが中指を立てようとしているのがわかって慌てて止めるのを優先した。

「あぁ?テメェ何か…、」
「鎌ち、ストップ!」

俺の声とほぼ同時に、笹やんが笑顔のままガシッと鎌ちの指を押さえた。相変わらずナイス。

そのままコートまで鎌ちの背中を押していくと、なるほど、水着姿のギャラリーの中に彼女の姿を見つけた。
目が合うと、少し驚いたように目を見開きつつもペコリと会釈をしてくれる。

…そうだよね、彼氏の応援、するよなぁ。

(ますますアンラッキーかも…。)

まぁでも、申し訳ないけどそれでも負けるつもりはない。
引退した奴らなんて皆、優勝したところ以外は全員最後は負け試合の苦味で終わってるんだ。
ここで優勝したからといって、あの日の悔しさが薄まるわけでもないけれど、それでもやっぱり勝利の味は忘れられないし格別なんだ。

所詮お遊びと言われても、負けたくない。
決勝戦を前に、3人で肩を組んで気合いを入れた。



「っしゃあぁっ!!」

笹やんが拾って、鎌ちが決めた。
吼える鎌ちの声につられるように、熱気のこもったギャラリーが声をあげる。

これでついにマッチポイント。
ローテーションでコートに入る時に、交代で抜けてく笹やんと高くあげた手を叩いた。ビリビリとくる痺れすら気持ちいい。

少し勝手は違うけど、やっぱりバレーは楽しかった。

腰を落として相手を見つめる。
熱すぎる空気の中に、ポツリと背筋が冷えるような緊張が落ちる。

コートで相対する男が、チッと小さく舌打ちしたのが見えた。

ボールがくる。
よく見えたそれを、両手をたたんでキレイにあげた。
鎌ちがセットアップモーションに入りながら叫ぶ。

「茂庭!」

あまりオーバーは得意でないはずの鎌ちがあげたボールが、高く跳んだ俺の手元にあった。

相手のコートが見えた。
必死に食い下がる表情が見えた。
自分の手で打ったボールが、ひしゃげるのまでが見えた。

砂浜に着地するのと同時に、試合終了のホイッスルが聞こえた。


優勝が決まると、観ていたギャラリーの声が波のように大きくなった。
鎌ちがそれを煽るように右手を挙げた。
相変わらず、ダイナミックなプレイで観客を引き込むタイプだなぁと、荒い息を整えながら思う。

「お疲れさん。」
「笹やん。」

コートに入ってきた笹やんも、嬉しそうにニヤリと笑った。
並んで互いに礼をすると、相手がまた舌打ちをするような素振りを見せる。

「…こんなんで本気になるなんて、バカらしー。」
「くだらね。行こうぜ。」

…負け惜しみなんだと思っても、さすがに少しイラッとした。
さっきまで彼らだって本気だったと思ったし、自分たちが楽しかったから、彼らに感謝に近い気持ちを持っていたからかもしれない。

ちょっとささくれだったような気分になりながら、コートを去ろうとすると、視界の中で見覚えのある姿がこちらに向かってくるのを確認する。

−彼女だ。

『あの、"茂庭"さん!』
「えっ!な、何で名前…?」
『あ、ごめんなさい!試合中にお友達の方が何度も呼ばれていたので…!』
「いや、全然いいんだ、けど…。」

別に嫌なわけじゃないから構わないけど、何となくそれだけでドキドキしてしまう自分がいた。
目の前に立った彼女が言いづらそうに目線を何度か動かした後、気合いを入れたようにバッと顔をあげる。
その顔は、日焼けしたように赤くなっていて。

『あの、かっこよかった、です。』
「え、えぇっ?!」
『私、どんな時でも全力で頑張る人って素敵だと思…。っじゃなくて!あの、私、みょうじなまえって言います。えっと、やっぱり今度お礼をしたいんで、連絡先を教えてもらえませんか…?』

最後にはおずおずと声が小さくなっていくのを、必死に耳で追った。
そのおかげで「お礼、というのも建前なんですけど…」と言う声が付け足されたのもしっかりと拾っていて。

「えっと、みょうじ、さん?でも、いいのかな?彼氏さんが嫌がったりとか…。」
『…?いえ、いませんけど…?』
「えっ?」
『あの、今日はクラスの皆で来てるので…。今度遊びませんか?あの、よければお友だちも誘って…。』

彼女の言葉に驚きながら、そのまま連絡先を交換する。
嬉しそうに頬を染めたみょうじさんの姿を見つめながら、もう一度声をかけようとしたら、また遮るように彼女を呼ぶ声が聞こえた。

『今行くから!−あの、茂庭さん。絶対、また連絡します。』
「あ、うん。俺もするから。」

俺の言葉に肩を跳ねさせてからコクりと頷いた彼女が、再度呼ばれて駆けていく姿を、信じられない思いで追う。

夏の太陽がチリチリと肌を焼いていく。
それでももっと眩しい後ろ姿を見つめていたら、もう一度くるりと振り向くからびっくりした。
太陽を背負ったままにっこりと笑って手を振ってくれたから、肌どころか視線を通して心臓まで焦げそうだ。

そんなみょうじさんがたどり着いた先で苦々しげに振り向く男に、鎌ちがまた中指をたてそうになっているのがわかったが、一瞬止めるのが遅れてしまった。
やりたくなる気持ちをちょっと理解してしまったのだ。

「−茂庭。」
「え?」
「全然お前、アンラッキーじゃねーじゃん?」

つい頬がゆるんで笑みを浮かべる俺を見てか、両サイドからエルボーが飛んでくる。
もう夕方も近いと言うのに、何だか気温がさらに上がっているように感じた。

アンラッキーボーイズ、の逆襲。

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