青い空。涼しくなった風に部活にいそしむ下級生たちの声がのる。…いいなー、君たちは。まだ進路のことで悩むとかないんだろうな。

「はぁーっ」

窓枠に両手を投げ出し、今日イチの深いため息を吐き出すと、背後に人の気配がした。私が振り返るより先に両目を塞がれる。

「だーれだ?」

からかいを含んだ低音。私にこんなことするのヤツしかいない。

「……笹谷でしょ」
「当たり」

彼はそう言いながら私の肩を後ろから抱き寄せる。そのままぽすんと私の体は笹谷の腕の中におさまった。

「なーに、ため息ついてんだよ。幸せが逃げるぞ」
「……」

だからそういうの、付き合ってないんだからやめてって。男女比の偏りがひどい我が校では話してるだけで『イチャツイテタ』と騒がれるんだから、こんな現場を見られようものなら『ヤッテタ』ぐらいの誤変換をされかねない。なのに笹谷はたびたびこうやって私に過度なスキンシップをはかってくる。後々が面倒だからいつもなら蹴り飛ばしてるけど、今は暴れる気力もない。おとなしく笹谷の体温に甘えさせてもらう。

「……珍しいな、逃げないなんて」

されるがままの私を不思議に思ったのか笹谷が顔を覗き込んでくる。

「疲れた。いやされたい」

そう。もう考えすぎて私は疲れてる。ぐったりと体重を笹谷に預けると、一瞬狼狽えたように腕がゆるむ。日頃のセクハラの仕返しができたとほくそ笑んだのもつかの間、力の入った笹谷の腕がさらに私を引き寄せる。

「いやらしいことされたい?」
「っ!!どんな変換機能ついてんの、バカ!」

無駄に甘い声に背筋がザワついた反動で飛び退く。疲れてるとか言ってる場合ではない。このままでは貞操の危機だ。心拍数の異常な上昇と熱くなった顔を気取られないようセクハラ男の体をはがす。

「なんだ、やっとデレたと思ったのに」

私で遊ぶなこの野郎。必死に心臓を落ち着かせながら笹谷を睨むと、反省の色が少しも見えない顔で胸の前に両手を上げる。

「そうそう、次、進路指導みょうじの番だろ?担任一服したいからちょっと遅れて来いって」
「……りょーかい」

一気に現実が戻ってきた。ああ、ほんとヤダ。ため息をつきながら閉めた窓の枠に力なくよりかかる私に笹谷が眉をしかめる。

「つーか、お前、何でそんな死にそうな顔してるんだよ」
「んー……」
「進路指導、そんなイヤか?」
「イヤってわけじゃないけど……」

工業高校は意外と成績至上主義だ。進学推薦だけでなく就職の学内推薦にだって成績がものをいう。私も一応、真面目にやってきてたから推薦の話もある。けど……。どうしても「これで食っていける」と思いきれない。実習系の科目ではどうしても男子との差を感じる。学内ですらなのに、このまま社会に放り出されるなんて怖くてたまらない。

だから、もう少し。別の可能性を探るために進学したいと思うのは甘えだろうか。

「笹谷は……すごいね」
「何が?」
「だって、ちゃんと、学校でやったこと生かして就職決めてるじゃん」
「ま、俺、勉強嫌いだからな」

『興味ないこと勉強させられるぐらいならさっさと食える方法見つけるわ』との宣言通り、就職に照準を定め本当にさっさと決めた笹谷はすごい。今日の進路指導も内定の報告だけだったのだろう。未だに迷いがある私とは全然違う。

「私は、もう全然自信がないや。何がしたいのかもわからなくなってきたし」

何度目かわからないため息をつきながらうつむくと、隣に立った笹谷が私の頭をポンと手のひらで包んだ。

「お前は、俺じゃないんだから、俺と一緒じゃなくていいんだよ」

上から降ってきた言葉に思わず顔を上げて彼を見る。笹谷は私と目が合うと目尻を下げた。

「自信なんて、はじめは誰もねーよ。将来のことでそんな思いつめた顔すんなよ。なんでもいいんだよ。こんな家に住みたいとか、こんな家庭を作りたいとか」

そう言って軽く私の頭を撫でる。

「楽しい未来を想像してみろよ」
「……たのしいみらい?」
「そ」

笹谷はうなずくと、私の前髪をすっと分けて手を離した。こめかみにかかった髪の毛がくすぐったい。楽しい未来。なんだろう。私はどうしたいんだろう。進学する。社会に出る。その先に何が欲しいんだろう。

笹谷の言う通り、考えてみる。
今できる中で一番楽しい想像。

原っぱでボールを追いかける男の子と女の子。2人の後から「待てよー」なんて言いながら走って来るお父さん。
こっそり脳内でお父さんを笹谷にしてみる。ポロシャツ、ハーフパンツ姿のベタなお父さん笹谷。なんだろう、制服よりしっくりくるのは気のせいか。

「何ニヤニヤしてるんだよ」
「えっ?」
「さっきのツラが嘘みてえ」

あきれたように笹谷が笑う。慌てて脳内からお父さん笹谷を追い出す。

「うん、……何となくなんだけど、さ、将来、子供は二人欲しいなって思うんだよね。男の子と女の子」

雑にごまかした唐突すぎるその答えを、笹谷は「すげー飛んだな」と笑ってくれた。

「その前に結婚とか相手とかあんだろ」
「それはまあ……、おいおいってことで」

まさか目の前のあんたで妄想してましたとか言えない。うやむやに濁すと、妙に真面目くさった顔で考え込んでいた。

「……。じゃあ、名前はヤスシとカナメで決まりだな」

ヤスシ?カナメ?どこかで聞いたことあるような。
そうだ、カナメはクラスの茂庭くんの名前だ。ってことはヤスシって……ああ、Aの鎌先くんか。2人とも笹谷の部活仲間だ。

「手近なところから持ってきすぎ。笹谷のせいで男の子が金髪になっちゃったじゃん!」
「……お前の想像力、ムダにすげーな」
「それにさ、カナメって女の子の名前アリなの?」
「アリだろ。俺、最初に名前だけ聞いたとき、カナちゃん系の女子だと思ったし」
「…茂庭くんに、怒られるよ」

茂庭くんに同情しつつ脳内の子供2人に平仮名の名札をつけてみる。
あ……、これは……!

「ふふっ、ダメダメ、どっちもナシ!」
「は?いい名前だろーがよ?」

突然笑い出した私に、不可解そうに笹谷は顔をしかめる。

「ササヤヤスシって変でしょ!かなで書いた字面がおかしいし『ササヤヤ寿司』絶対まずそう!」
「……」
「カナメちゃんもダメだね。『ささやかな目』って、思春期恨まれるよー」

そう言いながら、自分の大きいとは言えない目を指差す。笹谷もそんなにデカ目じゃないよね?と彼の顔を見ると何故か目を丸くしていた。

あ、笹谷、
意外と黒目大きい。

「どうしたの?」
「いや……、言われてみればごもっともなんだけどよ…」
「ん?」

珍しく口ごもる笹谷に首をかしげると、彼は一転、ニヤリと擬音がつくほどの悪どい笑顔で私に言う。

「なあ、お前、何で子供に俺の苗字つけた?」

え?……あ……っ!

「そそそ、そんなの……!」

無意識だった。顔からさーっと血の気が引く。『お父さん笹谷』は妄想内で留めようとしてたのに。でも、理由なんて言えるか!

「なっ、なんでだろうね?」
「へー……。『おいおい』っつってったのに、相手決まってんのかー」
「い、いやそれは…」

言い訳を考えながら目を泳がせていると笹谷がさらに意地悪く笑う。

「お前の子のパパが、俺だとはな」
「だからこれは……、だって!先に、笹谷が、私の子供に名前つけるから!」
「2人かー。俺も頑張んないと」
「ちょっと、待って、元はといえば……」
「うっかり3人目できちゃったら、その時はケンジかユタカな」
「うっかりって何?!」

どうせまたバレー部から持ってきた名前なんでしょ。どうでもいいけど、バレー部、古風な3文字の名前多くない?
そんなことより、

「待ってって!だから、何で、私の子供の名前を笹谷がつけるの!」

私の一点張りの悪あがきに、憎たらしいほどの涼しい顔で笹谷が答える。

「んー?お前と同じ理由だと思うけど?笹谷さんちのお子さんなんだからな?」
「お、同じ理由?」

子供の苗字に無意識に笹谷とつけてしまった理由は、あれだ。もう白状すると私が笹谷を好きだからだ。笹谷が私の子供に名前をつけた理由って何?同じ理由?

え…?笹谷……そうなの?

息をつめて笹谷を見上げると、あきれたように笹谷がため息をつく。

「やっと気づいたか……。結構、愛情表現はしてたんだけどなー」
「そ、そんなそぶりあった?あっ!もしかして、あのセクハラの数々は……」

ようやく口から出た軽口にペースを取り戻そうとすると、笹谷が半身を起こして、私の顔の横の窓に手をつく。い、いや、笹谷さん、顔近い!

「……好きでもない女触るほど見境なくないつもりなんだけどー」

耳元で囁かないで!あんなの、からかわれてるとしか思わないって!つーか、付き合ってない女にそれはダメです、つーか、心の声で何で敬語なの、私。
血の気の引いたはずの顔が赤くなっていき、言い逃れをするには分が悪すぎる。ニヤニヤと迫る笹谷から逃れるべく私の泳ぎっぱなしの目が壁の時計を捕らえた。

「も、もう、15分も経ってる!そろそろ行かないと!」
「あー、そう。じゃ、俺待ってるから」

笹谷は先手を打つようにそう言うと、背中を窓に貼り付かせて動けない私に手を差し伸べる。

「まだ見ぬヤスシとカナメのために頑張ろうぜ?」
「だから…それは、ナシだってば」
「笹谷なまえちゃん?」
「……」

もう、ほんとに…。私はわざとらしく深いため息をつく。
でも、そういう未来も幸せかな、と思いながらゆっくり彼の手をとった。

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