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『…もういい。帰れ』

とても静かな口調でだった。私は戸惑いながらあの場を後にしたのだ。そのあとすぐに海馬邸に向かって今に至る。
大きすぎる天蓋付きのベッドの上に仰向けに寝っ転がり、はぁ、と小さくため息をついた。

私は彼を、怒らせてしまったのだろうか。もしそうだとしたら、やっぱり男子生徒の名前を言わなかったことに原因があるのだろうか。
けどあの場面で「ぶつかったのは◯◯君です」なんて素直に答えられるはずもないし、どうするのが正解だったのだろう。


「…もう寝よう」

ひとり呟き、布団をかぶる。
けれど深夜の1時を回っても眠気は一向に襲ってこなくて、頭の中は最後に見た海馬君のあの表情でいっぱいだった。

最後に見せた表情には、たしかに落胆の色が浮かんでいた。思い出すだけでちくりと胸が痛むのを感じる。
何か私はがっかりさせるようなことを言ってしまったのだろうか、と海馬君と交わした会話を思い返してみても、やはり心当たりはない。

そんなことをずっと繰り返し考えていると、微かに足音が遠くの方から聞こえてきた。そして僅かに「お帰りなさいませ、瀬人様」という使用人さん達の声。

「(海馬君が帰ってきたんだ…)」

忙しいというのは聞いていたけど、毎晩こんなに遅い時間に帰ってきていたのだろうか。
私はベッドから身体を起こして、スリッパに足をくぐらせた。そしてカーディガンを軽く肩に羽織るとそのまま部屋を出た。



薄暗い廊下。海馬君の部屋の前で、私は立ち止まる。ノックをしようと扉に手を近づけたけど、ためらいが生じて静止する。こんな夜中に、会って何を聞こうというんだろう。

「もしかして怒らせた?がっかりさせた?」
などと、そんなことを聞いて自分はどうしたいんだろう。それでどんな返事を望んでいるんだろう。

ノックする事ができずにそんなことを悶々と考えていると、不意に目の前のドアが音を立てて開いた。この部屋の主である海馬君が、少し驚いた表情を浮かべて私を見下ろしている。


「!ユリ…」
「海馬君!」
「…こんなところで何をしている。寝たのではなかったのか」
「…ね、眠れなくて…海馬君こそ、何してたの?」
「…オレは今から風呂に行こうと思っていたところだ」
「…そ、そう…」

そのままお互いに沈黙する。そして1秒過ぎるごとに、自分の顔がどんどん顔が赤くなっていくのを感じた。私はこんな夜中に海馬君の部屋に押しかけて、一体何がしたかったのだろう。

「…っ、なんでもない!疲れてるのにごめんね!おやすみ!」
「おい、待て」
「…!」

沈黙に耐えられなくなって、逃げるように踵を返したその時、強い力で肩を掴まれた。そしてあっという間に私は海馬君の手によって、部屋に引き込まれていた。


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