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少しの間手をついたままの体勢で私を見下ろしていたけれど、やがて海馬君は踵を返して机の方へと戻っていった。

「このあと会議がある。先に家に行っていろ」

家に。もしかして私が住んでいるあのアパートに帰してくれるという事だろうか。きっとそういう事だろう。

「(そうだよね、突然お前を金で買っただのオレの物だの意味が分からないもんね)」

などと淡い期待を抱いていたけど、それは一瞬で打ち砕かれた。

「磯野が下で待機している。ちなみにお前が住んでいた家はもう空き家だから帰っても無駄だ。荷物も全て運び出してある」

生活に必要な家具はこちらで用意したからあの家にあったものは捨てておいた、と淡々とした口調で海馬君は続けた。もう色々と行動が並外れすぎていて何を言えばいいのか分からずに、私は言葉に詰まったままその部屋を後にした。



「お待ちしておりました。参りましょう」

外に出ると磯野さんと先ほどの車が待機していた。私の姿を見ると磯野さんは後列のドアを素早く開けた。するとそこにちょこんと座っている1人の男の子が目に入って、私はあっと声を上げた。

「モクバ君!」
「よー、ユリ!久しぶりだな」

海馬モクバ君。海馬君の弟で、彼とも同じ施設にいた関係だった。「早く乗れよ」と隣の座席をぽんぽん叩くモクバ君につられ、私は車に乗り込んだ。


「どうしてモクバ君が?」
「兄サマに言われてさ。いきなり一人で家に向かわせるよりは、オレがいた方が少しは気が楽になるだろうって」
「そう…」

モクバ君の姿を見て、確かに一瞬気が緩んだのは事実だった。海馬君が一応は私に気を使ってくれたという事なのだろうか。

「あの…海馬君は私の人生をお金で買ったって言ってたけど、本当なの?どうして急にこんな事…」
「ああ、本当だぜぃ。兄サマはあの施設を出た時からユリを迎えに行くって言ってた」
「え…」
「少なくとも気まぐれとか自己満足とかじゃないぜ。ちゃんとした理由はオレに話してくれた事はないけどさ」
「そう…」

人の人生をお金で買うという事実に見合う理由なんて存在するのだろうか。滑るように走る車の中で、私は落ち着かない気持ちで外の景色に目を向けた。

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