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一人残され、部屋の中をぐるりと見渡す。こんなにも広い部屋の中でこれからを過ごすことになるのかと思うと、胸がそわそわと落ち着かない。

とりあえずはモクバ君から手渡された鍵をポーチの中にしまい、それをカバンの中に入れる。そして一番近くにあったクラシック調の椅子に座り込むと、ぼうっと思案を始めた。


かつて、私は養護施設で育った。そこにいたのが海馬君とその弟モクバ君。もちろん何度か会話は交わしたと思うけど、私と彼らはとりたてて仲が良いという記憶はなかったように思う。あくまで同じ施設の一員、という位置付けが相応しいように思えた。

それなのになぜ、私という、言ってしまえばなんの面白みもない人間の人生を、お金を出してまで買う必要があるのだろう。
その理由を探し出そうと、施設にいた頃の記憶をなんとか絞り出してみるけど、思い当たる節はまるでなかった。それに加えてまだ自分が10歳そこそこの時の記憶なんてとてもおぼろげで、判断材料になんてなりはしなかった。


ひたすら頭を捻ることしかできないでいるうちに時間は刻々と経っていたらしい。コンコン、という軽いノックの音に、私は顔を上げた。

「ユリ様、お食事の支度が整いました。食堂へお連れします」
「えっと…はい…」

ユリ様、だなんて、そんな呼ばれ方はなんだかむず痒くなってしまう。それでも、やめて欲しい、だなんてその場で言う勇気もなくて、私は黙ってドアを開いた。


上品なデザインの給仕服をまとった女性の後についていくと、やがて扉の前で立ち止まった。軽いノックをして「お連れしました」と言うと、内側から扉が開かれてモクバ君の顔がひょっこりと覗いた。

「おー、来たなユリ!ホラホラ早く!」

私を見て嬉しそうに表情を綻ばせると、モクバ君は手をぐいぐいと引っ張って室内へと誘導した。中央には長テーブルがあり、その上には色とりどりの料理が並んでいる。そして端の席ににモクバ君が腰を下ろす。その向かいに海馬君が指を組みそこに顎を乗せた姿勢で座っていた。

そしてちょうどその二人の中央に位置する席、そこが私の席ということなのだろう。海馬君の視線に促されながらおずおずと椅子を引いてそこに腰掛けると、海馬君が口角を僅かにあげた。

「来たか。では食事にするとしよう」
「そうだよユリ!兄サマは忙しくてなかなかこんなに早く帰ってこれないんだけどさー、今日はユリのために仕事切り上げて来てくれたんだぜ」
「…そう、なんだ…」

ちら、と海馬君の顔を伺うけど、彼は相変わらず表情ひとつ崩さずに、フォークを手に取り前菜を口に運び始めていた。聞きたいことは山ほどあるけど、この場の空気に従って私も少しずつ料理をいただく事にした。


「…どうだ、美味いか」
「!…う、うん。すごく美味しい。こんなに豪華なの食べたことないってくらい」

正直な感想だった。どれも本当に美味しくて、行ったことがないから想像でしかないけど、高級なレストランの味というのはきっとこんな感じなんだろう。

「そうか」

海馬君はその一言だけを放った。けれどその表情には優しい微笑みが浮かんでいて、私は思わず固まってしまう。
ーなんて柔らかい表情をするんだろう。街中やメディアで見かける彼からは想像もつかない。
私は動揺をごまかすようにして、手元にあったグラスの水を煽った。



食事を終えると、モクバ君は部屋に戻ると言って足早にその場を去っていった。海馬君と二人で残され、何を話していいかわからずにいると、彼はすっと椅子から立ち上がってこう言った。

「話がある。ついて来い」
「…あ、でも後片付けは…」
「そんなものは使用人がやる。放っておけ」
「…は、はい」

そうだった。ここは世界に誇る海馬コーポレーションの社長の住まいで、私が今までいたような質素で平凡な場所とは文字通り次元が違うのだった。普通だったら、食べ終わったら食器を片付けるというのは、自分の生活の中では当たり前の流れなのに。

「(…ごちそうさまでした)」

心の中でそう呟いて両手を軽く合わせると、私は慌てて席を立って海馬君の後についていった。


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