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海馬君は歩くのが早い。その長い足で風を切るように廊下を進んでいくため、私は自然と早足でついていかなくてはならなかった。やがて私が与えてもらった部屋の前で立ち止まるとドアノブを捻り、中へと入って行った。

促されるままに後に続くと、後ろでバタンとドアを閉める音が響いた。広い空間の中に似つかわしくない静寂が流れる。


「座れ」

部屋の中央寄り、ベッドの手前にあるソファを示されて私は言われた通りにそこに腰を下ろした。海馬君は後に続き、少しの空間を置いて私の隣へ足を組んで腰掛けた。

「この部屋はどうだ。気に入ったか」
「えっ…と」

天蓋付きのベッドや、アンティーク調の家具や上品な絨毯が置かれた広い室内に視線を走らせる。今まで住んでいたアパートのおよそ10倍以上の広さはあるだろう。こんなに広い空間の中でどう過ごせばいいのか検討もつかなかった。

「不満か?あるなら素直に言え。すぐに替えを用意させる」

私の反応に、海馬君の片眉がぴくりと上がったのが見て取れた。もしかして怒らせてしまったのだろうか、と思った私は慌てて謝罪を述べた。

「そんな事ない!ただ私には、もったいなさすぎるかな…って…ほら、今まではワンルームの狭いアパートに住んでいたから」
「…ふん。なるほど」

腑に落ちたように海馬君は目を閉じた。

「心配はない。ここで暮らすうちにじき慣れる」
「…」

暮らすうち。そうだ、本当に私は目の前にいる海馬君に人生を買われてしまったのだ。未だにそのことに対しての実感が全く湧かなかった。

「…あの、海馬君」
「なんだ」
「どうして…私のこと…その、お金で買ったりしたの?」

一番訪ねたかったことだった。それに加えて使用人のように扱うでもなく、こんなにも優遇されている理由がこれっぽっちも分からなかった。

「欲しいものを買うのに理由がいるのか?」
「欲しい、もの…」
「オレはずっとお前が欲しかった。ユリ」

腕を組んでいた海馬君がそれを解き、ゆっくりと私の両脇に手をついて私の顔を覗き込んだ。端正な顔立ちが目の前に広がる。冷たくも見えるけど、その中に情熱を宿した瞳が私の視線を捕らえて離さない。

「…ど、どうしたの?海馬君」

問いかけるも返事はない。そのまましばらく至近距離で見つめられていたけれど、やがて海馬君はそっと口を開いた。

「誰のものにもならなかっただろうな」
「…どういう、こと…?」
「施設を出た後、オレの知らぬところで他の男に心を許してはいないだろうなと聞いている」

海馬君の低い声が静かな室内に響く。つ、と長くて綺麗な指が伸びてきて私の頬から顎を撫でていく。その感覚に背筋がぞくっと粟立ち、どくどくと心臓が高鳴るのを感じた。

「答えろ」
「…っ、してない。誰かと付き合った事があるのかっていう意味なら…、一度も、ないよ…」
「…そうか。ならいい」

海馬君は私の答えを聞くと満足げに口元に笑みを浮かべた。もはや海馬君の目を見ていることができずに斜め下の方を俯いていると、ぐい、と顎を持ち上げられて再び視線を合わせられた。

「その胸によく刻みつけておけ、ユリ」
「…っ」
「お前はオレのものだ」

そして奪われるように重ねられた唇。そこから伝わる熱は意外にも高くて、私は静かに融かされていくような不思議な感覚を覚えた。

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