夢か現か
三日月が部屋から出て行った後、鈴は、ぼぅ、と天井を見上げていた。
今はもう、天井の木目すらはっきりと見る事ができる。
それだけ、目を覚ましてからこの暗闇に目が慣れた事を物語っていた。
暫くすると、鈴はゆっくりと体を起こし、辺りに散らばった服を掻き集め、それを身に着けると、なるべく物音を立てないよう静かに部屋から出ると、灯りの消えた本丸を歩き、誰も居ない浴室へと入った。
温かさの消えた浴室は、ひんやりとしており、少し身震いした。
先程、身に着けた服を脱ぎ、ぴちゃん、と天井から落ちる雫が鈴の肩に落ち、その冷たさにぴくん、と肩が跳ねた。
それに身震いしつつも、シャワー台の方へ行き、シャワーコックを捻るとお湯を出した。
熱いお湯が体にかかると、知らないうちに強張っていた体が解れていくのを感じ、ふにゃり、と体から力が抜けたのを感じた。
暫くシャワーを浴び、鈴は床にぱたり、と座り込み、脚を大きく広げた。
そして、秘部に指を這わし、ナカに挿れるとぬるり、としたモノが指先に当たり、それに咄嗟に手が引けたが、それをぐっ、と堪え、それを外へ出すよう掻き出した。
掻き出しては、シャワーで流し、また掻き出し、シャワーで流し。
それを何回も繰り返すと、その感触は無くなり、指をずるり、と引き抜いた。
最後に秘部に直接シャワーを当て、流すと鈴は、曇った鏡にぼんやりと映る自分を見て、その曇りを取り払うと、そこに映った自分の情けない表情に泣きたくなった。
こうなったのは、自分の責任ではないか。
ちゃんと三日月を拒否していれば、こうはならなかった筈だ。
全てが自分の責任ではないかもしれないが、こうならないように回避できた筈なのではないか。
そんな事が頭の中をグルグルと回り、頭が今にもパンクしそうだった。
これ以上深く考えては、自分を保てなくなる。
そう感じた鈴は、シャワーを頭から被り、その考えを振り払うかのように頭を振った。
シャワーを浴びて温まったところで、シャワーを止め浴場から上がり、柔らかなタオルで体を拭くと幾分か気持ちの整理がついたような気がし、何となく体も軽くなったような気がした。
病は気から。
この場合違うような気もするが、そう思わないと深い沼に嵌まっていってしまう。
手早く服を着て、音を立てないよう、そろり、そろり、と静かに、でも、足早に宛がわれた自室へと戻った鈴は、はぁ、と息を吐いた。
自分みたいな、武芸の心得がない人間だと、あんな歩き方でさえ、研ぎ澄まされた神経を持つ刀剣男士の彼らには、分かっている事だろう。
何も訊かないでいてくれると助かるのだが、何か悪い方向へと考えられても困る。
かと言って、ちゃんと先程の事を説明出来るか、と訊かれれば、難しいのだが。
先程の出来事は、説明出来ない。
自分の身に起きた事、自分の思った事は口に出来る。
だが、三日月の思った事は、自分では説明出来ない。
こればっかりは、三日月が口にする以外、完璧な説明をする事が出来ないのだ。
先程の行為の名残で、布団カバーには染みが出来ており、体温が触れていないせいで、濡れていたそこはひんやりと冷たくなっていた。
鈴は応急処置に、と、着替えを詰めたバックの中からタオルを取り出し、その部分を隠すように敷いた。
これで、多少はマシになるだろう、とその部分を押し当てても湿り気が伝わらない事に安堵し、その上へ横へなり、少し天井を見つめた後、ゆっくりと目を閉じた。
目を閉じると先程の三日月の表情が浮かんだ。
どう表現したら良いのか分からない、そんな表情の三日月を思い出すと胸が苦しくなった。
三日月にされた行為は、ただ驚くばかりで自分の身に何が起こっているのか分からないまま、終わってしまった。
正確に言えば、何をされたのかは、ちゃんと覚えているし、どんな行為なのかも分かっていた。
だが、何と言えば良いのか。
分からない、その言葉が鈴の中でしっくりきた。
その三日月が頭にこびりついて、離れない、三日月の言った言葉も離れなかった。
自分はそこまで三日月を追い詰めていたのか。
確かに初日の一件があり、三日月に対して気まずい感情を持ってはいたが、そこまで邪見にしたつもりはなかった。
この本丸を立て直す為に積極的に動いてくれているし、感謝もしている。
自分の態度はそこまであからさまだったのだろうか。
考えても答えは見つからず、それこそ、沼に嵌まっていってしまう。
考えても見付からない答えがあるのなら、それを今は考えるべき事じゃない。
鈴は気持ちをリセットするように一度、深呼吸をするとさっきまで色々考えていた筈なのに不思議と睡魔が襲い、鈴の意識は深く沈んだ。
鈴は眠りに就いた筈だった。
だが、何故か鈴は今、何処かの一室にぽつん、と立っていた。
い草の香りがする、和室の部屋に一人、立っていた。
生活感のあるこの部屋は、今、自分が使っている元前任の部屋に似ていた。
殺風景な元前任の部屋と違い、この部屋は色々と物が置いてあり、生活感があった。
だが、生活感があると言っても、この部屋で寝泊まりをしている感じではしなく、執務室、と言った方がしっくりくる、そんな感じの部屋だった。
暫くこの部屋の中を見渡していると、机の上に飾ってあった少し大きめな写真立てに目が行き、それを手に取ると、そこには一人の女性を中心にして、その女性の周りに刀剣男士がおり、その表情は皆、輝いた笑顔で写っている写真だった。
その写真の中には、今、この本丸に居ない刀剣男士もいた。
今剣が嬉しそうに笑みを浮かべ抱き付いてるその刀剣男士は、今剣に縁のある者なのだろう。
その写真に写る姿は、とても輝いていて、今の現状からは想像も出来ないモノだった。
その写真を複雑な感情で見詰めた後、鈴はその写真をそっと静かに机の上へと置いた。
そして、そのまま視線を外へ向け、障子戸が開けられたままだったからか、外へ吸い寄せられるように廊下へと出た。
空には青空が広がり、真っ白な雲が穏やかに流れ、日差しがとても心地良かった。
荒れ果てている庭しか知らない鈴は、当然、庭に驚いた。
鮮やかな緑が覆い茂り、小さな池には美しい鯉が生き生きと泳いでいた。
配属された荒れ果てた本丸しか知らない鈴は、見間違う程のこの本丸に、ただ、ただ、驚くばかりだった。
時間を忘れたかのように、この美しい景観を眺めた鈴は、周りを見渡した。
だが、自分以外の他に気配はなく、鈴はもう一度部屋の中に戻ると、再び写真を手に取った。
先程、この写真を見た時、何か鈴の中で気になる部分があった。
その時は、気のせいか、とも思ったが、やはり気になってしまって、少し時間が経った今なら何か気付くかもしれないと思い再び手に取ったのだ。
手に取った写真をもう一度良く見ると、はた、と、ある事に気付いた。
この写真に写っている刀剣男士は、鈴が就任した”この本丸”の刀剣男士だと気付いたのだ。
刀剣男士は、本霊を元に審神者に喚ばれ、分霊として降りてくる。
故に数多ある本丸に刀剣男士がおり、同じ分霊だから刀剣男士は、皆、元は同じで当然、背丈も体格も顔も同じだ。
だが、それなのに。
それなのに鈴は、この写真に写る刀剣男士が、この本丸の刀剣男士だと気付いた。
どうして、そう思ったのか。
どうして、そんな確信を抱いたのか。
それは鈴の直感的なもので、到底説明出来るモノではなかった。
鈴は昔から、鋭い直感を持っていた。
世間では、第六感と言われるモノで鈴の直感は良く当たる、と家族の中では評判だった。
鈴は決して、その第六感を外で使う事はなかった。
これは、他人に簡単に言っていいモノではない事を幼い頃から、誰に言われるでもなく、知っていた。
鈴がそれで知り得た事は、家族にしか言わなかった。
それは、正しい判断だった。
こんな事を簡単にペラペラと他人に話してしまったら、気味悪がられたり、それを利用しようとする者が当然現れる。
だから、それは家族にしか言わなかったし、当然、家族も他人に一言も言う事はなかった。
そんな第六感を持つ鈴。
その鈴が、そう感じた、気付いたのだから、この写真に写る刀剣男士は、鈴が就任した本丸の刀剣男士なのだろう。
すると、ふと、鈴の背後に何者かの気配がした。
それに鈴が気付いたのと同時にその者がこう言った。
“主”
と。
それに驚いた鈴が振り向こうとした瞬間、鈴の視界が急にぐらつき、浮遊感に襲われ、水底から引き上げられる感じがして、目を覚ました。
目に映るのは、眠る前、目に焼き付く程見た、天井の木目だ。
そして、障子戸から洩れる淡い光は、夜明けを示しており、鈴は何故か安堵の息を吐いた。
先程見たモノは、一体何だったのだろうか。
余りにも鮮明に思い出せる内容に鈴の頭の中はぐちゃぐちゃだった。
起きた瞬間、見た夢は、朧気になる。
靄がかかったように鮮明には、中々思い出せない。
部分的に思い出せても、見た内容全てを思い出す事は出来ないのだ。
それなのに鮮明に、全てを覚えていた。
それ故に”今”が現実なのか、”あの夢”が現実なのか、分からなくなった。
それだけに眠った気がしなかった。
短時間でも眠れば、頭の中はすっきりして、体も軽くなる筈だ。
だが、今の鈴の頭は重く、体も大きな岩を背負っているかのように怠く重かった。
すっきりしない目覚めに、鈴は、はあ、と重い溜め息を吐き、顔を覆った。
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