夜も更けてそろそろ日付が変わろうかという頃、食堂に集まってだらだらと雑談をしていたリヴァイを除くリヴァイ班の面々はようやくのろのろと自室へと戻る準備を始めていた。

「今日のエレンの鍵閉め当番はオルオだからね、ちゃんとしてよ」

全員分のカップをまとめて洗う役を申し出たペトラがすでに自室に帰ろうと忍び足でその場を離れようとしたオルオに釘を刺す。

「チッ…めんどくせぇなぁ〜」

好きで手錠をかけられる訳ではないエレンの方が思わず恐縮して下を向くと、隣でテーブルを拭いていたウェスタが小さく、「あ」と声を漏らした。

「オルオ、私するよ」

「え?いいんですか?」

「ウェスタさん、そういう面倒なことはオルオにやらせちまったほうがいいですよ」

あっさり厄介ごとを押し付けようとするオルオにまたもペトラがちょっと、と小言を挟もうとしたところをウェスタはやんわり静止すると、

「班への合流が私だけ遅かったからか当番に組み込まれなかったみたいなの。今日は私で明日はオルオ、ね、これでいいでしょペトラ」

「う…それは…。まぁ、そうですね…」

にっこり微笑むからペトラもそれ以上何も言えなくなって歯切れ悪く返事をして引き下がった。

(兵長はたぶん意図的に外した気がするんだけど…)

上司の機微を細やかに観察している彼女は、リヴァイの視線を追った先にウェスタがいることにずいぶん前から気づいていた。
そしてここ最近、視線の先にいるその人に何かとついて回って歩くものだから自然と一緒に視界に入ってくる人物がいることも。

ちらりとエレンを見ると案の定期待を隠さない目でそわそわとウェスタとオルオを交互に見ている。

「そんじゃ頼みますねウェスタさん」

「はーい。じゃあ皆おやすみ。エレン、歯磨き行こう」

「はいっ」

ペトラの心配もどこ吹く風で欠伸混じりに伸びをするオルオはエレンの喜色に気づかない。

「お、おやすみなさい…エレン、ウェスタさんを困らせちゃ駄目よ!」

黙って歯を磨いて黙って鍵をかけられて速やかに寝ろ!という念を込めて言うとエレンはにこり、というよりはにたり、という笑みを浮かべ「おやすみなさい」と返して先に行くウェスタを小走りで追い掛けていった。
返事がない!と憤慨するペトラを一人残して。


ガチャリと冷たい音が地下室に響く。
ウェスタが手錠の準備をしているのをエレンはベッドに入って大人しく待っていた。

「んん〜…なんかこの手錠噛み合わせ悪いなぁ…古すぎるのかな?」

年季の入ったそれは鍵を回してもどこかで引っ掛かってすんなり解錠しない。

「ウェスタさん…あの」

「んー?」

「鍵を閉めたらすぐに行かれますか…?」

「んー…どうしたの?エレン。眠たくない?」

一度施錠してしまったら、明朝解錠しようとした時に開かなくなるのではと危惧するほど、錆び混じりの小さな錠前は言うことを聞こうとしない。
鍵に悪戦苦闘しながら優しく問い返したが、返事がない様子にウェスタが顔を上げるとエレンはベッドから上半身を起こして物憂げに俯いている。

「眠たい…です。でもここに来てからあまり眠れてなくて…」

「あぁ、そうだよね。こんなものつけられちゃゆっくり寝られないよね」

「はい…仕方がないことだとは理解してますが」

錠前を諦めて一旦手錠ごとサイドテーブルに置くとウェスタがじゃあ、と言葉を続けた。

「エレンが寝るまでここにいようか?寝付いてからなら手錠つけても大丈夫でしょ?」

エレンが顔を赤くしたのは、ただ単に照れからなのか自分の期待通りに話が進んだからなのか。
「近くに私がいる方が落ち着かないかな」と眉を下げるウェスタに、にやける口元を片手で上手く隠しながら「お願いしたいです」と答えた。

「あ、その前に」

「ん?」

長居をするならと一旦牢を出て椅子を取りに行こうとしたウェスタをエレンが呼び止めるとベッドの右端に体を寄せてからポンポン、と空いたスペースを叩いた。

「その格好だと寒いと思うので…どうぞ」

「えー、それエレン落ち着いて寝られる?」

「大丈夫です!」

地下牢はさっきまでいた食堂と違って冷たくて寒い。
元々施錠をしたらすぐ自室に戻るつもりだったウェスタはリネンのワンピースのみの姿で、確かにエレンの言うとおり長くここにいたら体が冷えきってしまいそうだと思った。

「じゃあお言葉に甘えて…」

靴を脱いで遠慮がちに潜り込む。
狭いベッドの中に体を落ち着けてふと上を見るとエレンが思っていたよりも近い距離でこちらを見つめていた。

「……ほんとに寝れる?」

「大、丈夫です…ウェスタさん、なんかいい匂いしますね…」

「そう?」

「安心します」

「よかった」

二人分の体温を蓄えた布団は温かい。
嬉しそうに目を細めて笑うエレンが普段より幼く見えて可愛くなって、ウェスタは上半身を起こしてずりずりとヘッドボード側へ上がってから片肘をついた。
ちょうど目線の先に胸が来るような位置でエレンはあからさまに動揺するが、ウェスタは気づかない。
背中を向けるように寝返りをうったり仰向けになって天井を見つめてみたりしばらく落ち着かない様子のエレンだったが、ウェスタがそっと焦茶色の髪に指を通すと戸惑うように彼女の方にもう一度向き直ってから大人しくなった。

「気持ちいいです…」

「ふふ。髪の毛触られるのって安心するよね。…おやすみエレン」

ようやくうとうとと瞼を下ろしたエレンに声をかけると、それに応えるように右腕をウェスタの腰に回した。
面食らってその腕をそっと退けて剥がそうとするもぐぐ、と逆に引き寄せられて叶わない。

「……ここにいてください」

気だるげに片目を上げてそれだけ言ったエレンはまた眠りに落ちる。
小さな声で名前を呼んでも彼が返事をすることはなかった。

静かになってからウェスタはここに来た目的をはたと思い出す。
手錠をかけなくては。

一旦エレンに背を向けてサイドテーブルに置いた手錠に手を伸ばすが今の体勢からはとても届かない。
しっかりと腰に巻き付けられた腕は寝入った後も緩められる様子はなく、ウェスタは諦めたようにため息をついてエレンの方に向き直って横になった。

いつも張り詰めた表情をしていても寝顔を見ればまだ子供の様相を呈している。

幼い内に母親を亡くし、巨人討伐に並々ならぬ執念を燃やす彼も一兵士である前に15歳の少年なのだ。
不安や心細さは当然あるだろう。

兵団に入るよりもずっと前、自分が生まれ育った孤児院で幼い子達と寄り添って不安を分かち合った夜を思い出して、この子供はここにきてから毎晩一人で何を思っていたのだろうかと想像を巡らせてウェスタは一人目頭を熱くする。

(せめて手錠だけでもなしにしてあげたい)

リヴァイをどう説得しようか頭を悩ませている内、温かさに段々と思考を奪われて瞼が重くなってくる。
何かが頬に当たるのを感じたが、それが何なのか確認する気力もなくウェスタは意識を落とした。


「おやすみなさい」



その声は暗闇に融けてウェスタには届かなかったけれど、それでもエレンはその寝顔を見つめて満足そうに笑った。



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やだなぁ、すきなひとが隣で寝ててすやすやできるわけないじゃないですか


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