「髪伸びたね」 午前中の訓練が終わって昼休憩にさしかかる頃。 解散の号令がかかって皆が思い思いに動き出した後もぼんやり立ってたら、ナナバにサラッと後ろから髪を撫でられた。 「あぁ、そうだね。伸ばし始めてからもう3年…ぐらいかな」 「その前はずっと私と同じぐらいだったよね。もう切らないの?」 「ん…」 ナナバに言われて、髪を短く切るという選択肢自体が自分の中にここ数年はなかったことに気づく。 それはつまり当時の辛い記憶を思い出さなくなって久しいということで、それが良いことなのか悪いことなのか私は判断がつかずに返事を適当に濁した。 ーーーーーーー 「ウェスタ、落ち着いて聞け。……あいつが死んだ」 入団してから2回目の壁外調査で私の恋人は死んだ。 訓練兵の同期の中では上位の成績を誇っていた彼もあっけなく巨人の餌食となってしまったらしい。 私がそれを聞かされたのは調査から帰還したすぐ後で、彼の死に際に居合わせた先輩が真っ先に伝えに来てくれた。 「何も持ち帰ってやれなくてすまない」とも。 帰還は明け方だったけれど、自室で体が干上がるほど泣いて、気絶するように眠ってから次に目を覚ました時には日没の直前だった。 彼が死んだ事を知った同期が起こしにきて弔いの篝火がそろそろ始まるからと手を引いてくれたけど、「その前にしたいことがあるから終わらせた後に向かうよ」と起こしてくれた事に感謝してからやんわりと先に行くよう促すと、本当に心配そうに私の腫れた両目を撫でてくれた。 その優しさにも、涙がこぼれた。 戦闘中に命を落として体すら回収できなかった者以外に帰還中に志半ばで息耐えた者も多く、篝火は彼らの体も包んで大きく燃え上がる。 思い思いに炎を囲んで皆、同志の死を悼んでいた。 「ウェスタ…!」 「思ったより時間かかっちゃった」 同期を先に行かせたあと、私は自分で髪の毛を切った。 恋人が好きだと言うから長く整えていた黒髪。 適当なハサミを使ってぼやけた視界のまま切った頭は無様だったかもしれない。 それでも誰も何もいうことなく篝火への道を開けてくれたから、私は左手に掴んでいた髪の束をそこへ一思いに投げ込んだ。 それからはずっと短い髪のままだった。 狂ったように訓練に没頭して、 巨人の討伐数が同期の中では飛び抜けた数になって、 髪が少し伸びてきた頃に恋人が私を呼ぶ夢を見て飛び起きて、 そういう日々を重ねている内に私は兵団の中でも実力者が揃うと名高いリヴァイ班に身をおくことを許されるようになった。 「ウェスタ」 「ひっ。はい」 「また切ったのか」 「え?」 厩舎の掃除で随分と汚れてしまったので、水浴びをしに向かおうかと考えていた時に食堂で紅茶を飲んでいたリヴァイ兵長に唐突に話しかけられて肩を竦める。 水浴びに向かうには食堂の中を通り抜けるのが近道ではあるけど、汚れた姿でこんなところを通るなと咎められるのかと思ったが表情を見るとどうにもそうではないらしい。 「髪だ。」 「あ…あぁ…。そうですね、伸びてきてたので」 「男みてぇだな。後ろ姿だけ見りゃあナナバそっくりだ」 「邪魔なので」 「クソメガネみたいに結べばいいだろ」 「まぁ…そうかもしれませんが」 今日の兵長はよくわからないことをよく喋る。 会話の要領を得られなくて首を傾げて見せると、兵長は椅子にもたれ掛かって足を悠然と組んでからため息をひとつついた。 「昔お前は長い髪をしていたと聞いている」 「だ、誰にですか」 「それは今の話に関係ねぇ。 …ウェスタよ。ここ数年でお前は急激に討伐数を増やしているが、俺の班に入ってから見ていて納得した。お前は命を擲つような戦い方をしている。いつか本当に死ぬぞ」 それこそ本当に今関係ないのでは? 髪の話から唐突に込み入った話へすりかえた兵長への不信感はとうとう眉間のシワという形で表れた。 「俺が言いてぇのは、誰かへの弔いのために自分を犠牲にするなということだ。命も、髪もな」 「………」 さっと血の気が引く音が聞こえる。 この人は、気づいていたのだろうか。 昨晩の悪夢が脳裏にちらついて吐き気がこみ上げる。 口許を抑えて蹲る私の様子に、兵長は珍しく大きな音を立てて椅子から立ち上がりこちらに駆け寄った。 「ウェスタ。ここで吐くな」 「わか、わかってます…大丈夫です…」 私の背中をさする手は暖かい。 吐き気が遠退いていく代わりに目と鼻が急激に熱くなっていくのを感じる。 「夢を…」 「…」 「夢を、見るんです。髪が伸びて、きた…ら。なにも言わず…ずっと、こっちを見てる。忘れるなって、たぶん言ってる」 嗚咽混じりに長年見てきた同じ夢を告白すれば涙が一緒に溢れた。 年月を経てそれなりに面変わりした私とまだ少年らしさを残す彼が対峙して、彼は黙って私に手を伸ばす。 それだけでは私へは届かない距離。 手を取ればもう戻れなくなる気がしてただただ見つめていると、空をさ迷う腕はゆっくりと下ろされて彼は何も言わず去っていく。 待って、と声をあげたいけど金縛りのように体が動かない。 何も言わないのはどうして。 今でものうのうと生きている私を恨んでいるの? 夢を見る度に生き続ける事への償いとして髪を切り続けた。 忘れることは罪悪だ、と語るような静かな彼の瞳が恐ろしかった。 「ウェスタ」 兵長に呼ばれて返した返事は掠れてひどい声だ。 背中をさする手はそのままに、抱き込まれていることに気づいて慌てて兵長の顔を見るとすぐ間近で目が合った。 「お前の勝手な妄想でそいつを亡霊にしてくれるなよ。一兵士として心臓を捧げた以上はそいつも当然覚悟をしていたはずだ。 …俺たち生き残った者がするべき事は死んでいった奴らへの謝罪じゃない。託されたものを背負って生きて戦う事だ」 止めどなく私の頬を伝う涙を優しく親指で拭いながら兵長は「ただ」と続ける。 「それは強くねぇとできねぇことだが、どうやらお前はそこまで強くないらしい。 だから俺がお前の代わりに全部背負ってやる。死んでいった奴の無念もお前の罪悪感もな。代わりにウェスタ、お前は俺のために生きろ」 「兵長の、ために」 「俺が生きている限りは今までのような死ににいくような戦いをするな。生き抜け」 真っ直ぐなリヴァイ兵長の瞳がとても綺麗だと思った。 強いけれど、どこか不安に揺れるような翳りに捉えられて目を離せない。 それでも切れ切れになんとかお礼を言うと、兵長は私の手を引いて立ち上がった。素直に一緒に立ち上がる私を見るともう一度ため息をついて、今度はじとりと睨み付ける。 その瞳の中にさっきの翳りはもう見られない。 「汚ぇな。服も顔も見られたもんじゃねぇ。洗ってこい」 兵長の背中が見えなくなるまで眺めていたけど、彼は振り向くことなくそのまま去っていった。 |