救われた子


そいつを見て最初に思ったのは、美しい髪の女であるということ。


その年は例年に比べると調査兵団への入隊希望者が多く小柄なそいつは人の波にいつでも埋もれがちだったが、その中でも光を反射して長く艶やかに光る黒髪は俺の目をよく引いた。

成績上位だったにも関わらず憲兵団を蹴って調査兵団に来たという話題の男と一緒にいる姿を見ることが多かった。恋人なのだろう。

そいつらが入って2回目の壁外調査の後、男の姿を見ることはなくなって、女は長かった髪をこざっぱりと切っていた。
まるで男が女の髪を持って死んでいったかのようだなと思った。

ここでは珍しくない話だが女は気を病むこともなく淡々と兵団に残り続けているようだった。






「リヴァイんとこ、この前欠員出たよね。補充どうする?」

先日の調査で俺の班から一人死人が出た。
人員補充の提案に来たハンジが差し出した候補者のリストに軽く目を通す。
全員それなりの討伐数をこなしていたが一人飛び抜けて数が多い奴を見つけて、ハンジに「こいつは?」と聞くと紙を覗きこんでからあぁ、と声を漏らした。

「その子ね、98期生だったかな。見たことある?ショートカットの」

「…昔は長い髪だった奴か」

「それは知らないなぁ。もしかして入団の時から目つけてたの?リヴァイってば意外と人を見る目あるんだね〜」

「………」

「そんな睨むことないじゃん。ま、声かけてみたら?こんだけ意欲がある子ならリヴァイのご指名も喜ぶよきっと」

俊巡してから初めて知ったソイツの名前に丸をつける。

「ウェスタ・フェニックスを俺の班へ」

「ほい、了解」

紙を渡すとハンジは軽い足取りで踵を返す。
無精で伸ばしっぱなしの髪を適当に纏めた頭を見て、あいつはもう髪を伸ばす気はないのだろうか、と短髪の後ろ姿を思い出した。




俺の班に入ってからもウェスタは討伐数を伸ばし続けている。
生傷を絶やさないし時には命を顧みない手段に出る姿に、何がこいつにそうさせるのかと気にかかって観察する時間が増えた。

髪はずっと短いままだ。
最初は壁外調査の度に弔いの意味で切っているのかと思ったが、なんの前触れもなく唐突に短くなっていたこともあった。
ある時「後ろ姿が男の子みたいだよ」とハンジに言われて「短い方が好きなので」と返していたのを聞いたが、短い毛先を指で遊びながら答えたその顔はとてもじゃないが自分の趣味とは言い難い様子でもしやあれは一種の自傷行為なのではないかと考えるほどだった。



「俺が言いてぇのは、誰かへの弔いのために自分を犠牲にするなということだ。命も、髪もな」



そしてそういう予見ほどよく当たる。


蹲って泣く姿は今まで見たこともないぐらい弱々しい。
短くなる髪の真実を聞いてどうしようもなく守りたくなった。
珍しく考えるよりも先に手が出て、恋人の記憶に縛られている女に「俺のために生きろ」などと言っても戸惑わせちまうだけかと不安に思ったが、「ありがとうございます」と切れ切れに言われて杞憂だった事に安堵する。
我ながららしくない綺麗事を言ったと自覚して背中が痒い。
それでも微かに微笑んだ顔を見てこいつが笑うならそれも悪くないと思った。





ーーーーーーー






壁外調査の前日はいつもより早くに食堂は閑散とする。
皆が自室に帰って誰もいない食堂は寒々しいけど、私はそこで立体起動の調整をするのが恒例となっていた。

食堂での出来事から3年経ったけど、あの時の体温は私の中で今でも色褪せていない。
私が抱えきれないもの、全部背負うと言ってくれた兵長に少しでも報いたくて私は今でも彼に仕えている。
昔のように無茶な事をするのも夢を見て髪を切ることもやめた。
討伐数は伸び悩んだけど、反比例して増える討伐補助数を見た兵長に「それでいい」と言ってもらえて本当に嬉しくて、このあとの人生は全てこの人に捧げようと思った。

「頑張ろう」

「死なねぇ程度にな」

「!…いつから」

「ついさっきだ」

独り言への思わぬ返事に反射的に振り向くと、兵長が立ったままマグカップに口をつけながらこっちを眺めていた。
心に描いていた本人の登場に思わず心拍数が上がる。

「眠れねぇのか?」

「いえ…壁外調査の前はいつもしてるんです。習慣みたいなもので」

私の隣まで来た兵長は、広げられた立体起動装置を丹念に観察している。
不備があったらと気が気でなかったけど、そうか、と言って椅子に腰掛けた所を見ると問題はないようだったのでこっそりと息を着いた。


「あの夢をまだ見ているのかと思った」

「いえ…兵長に叱られて目が覚めた思いです。もう長いこと見なくなりました」

「そうか。髪も随分と伸びたな」

壁外のトラウマに苦しむ兵士なんて少なくないだろう。
たくさんの部下を見てきたリヴァイ兵長にとって私なんて数百人の内の一人という扱いだと思っていたから、覚えていてくれたなんてそれこそ夢にも思わなかった。


「…明日も兵長のために戦います」

「あぁ、俺のために生き続けろ」


これからもずっと。



傍にいられたらそれで幸せだったけど、兵長も私のことをほんの少しでも「特別」に見てくれるだろうか。
鼻で笑われる事も覚悟で遠回しの告白をしたらこの人は期待していたよりも何十倍も嬉しい言葉をいとも簡単に私に与えてくれる。

持っていたカップを離して、私の胸まで伸びた髪にさらりと触れた兵長はあの時ぐらい近くて。


「ずっとこの姿を見たいと思っていた」



ちっぽけな私の心臓を捕らえたまま放してくれないのだから、いっそこのまま奪い去ってほしいと思った。





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