※13巻、ピクシス・ハンジ・リヴァイとエルヴィンが話をした数日後ぐらい ノックもなしに女がするりと入り込んでも、部屋の主は特に動揺しない。 「ひどい格好になっちゃってまぁ」 同情や憐憫の感情を一切持たない声の方を見て、ベッドで上体を起こしたまま読書をしていたエルヴィンは薄く微笑んだ。 「ウェスタ。来てくれたのか」 ユニコーンを背負う彼女が扉を少々乱暴に閉めると大股でエルヴィンに歩み寄ってベッドに腰かける。 「調査兵団団長様に呼ばれて来ないわけには行かないでしょ」 「その呼び方はやめてくれ」 視線を本に落としたままの彼のはらりと落ちた前髪を一房、手を伸ばして人差し指でかきあげてからウェスタはフン、と鼻をならした。 ウェスタはエルヴィンの幼い頃からの友人であり、今は憲兵団の副師団長を勤める人物だ。 破竹の勢いで昇進した彼女は、若くして既にエルヴィンの友人であった時間よりナイル・ドークの腹心である時間を長く生きている。 調査兵団と憲兵団、それぞれ所属する立場として対峙することは多々あれど、ここまで近い距離で彼を見るのはいつぶりだろうか、そう思ってしみじみと見つめたエルヴィンの顔は最後に会ったときよりもずっと疲労の色を濃く残しているように見えた。 「…何かでかいことをやらかす奴なんだろうなと思ってたけどまさかこんなことになるとはね」 「惚れ直しただろう?」 「なにそれ」 髪を撫で付けた手を引こうとしたところをエルヴィンが大きな掌でそっと捕まえて握りこんだ。 ウェスタはなにも言わないが、僅かに息を詰めたのをエルヴィンは敏感に感じ取っている。 「だがこれはまだ飽くまで通過点なんだ。私にはまだやらなくてはいけないことがある」 「そう」 「それにはこの体では少し不便でね」 「だろうね」 「文字通り右腕がいるのさ、ウェスタ。私と一緒に調査兵団に来い」 「……。自分で何言ってるかわかってる?」 「勿論だ」 真っ直ぐ射抜く蒼い目はどこまでも澄んでいる。 ウェスタからすればおおよそ狂っているとしか考えられない事も、彼にとっては至極真っ当な提案なのだろう。 目的のために手段は問わない、この男はそういう風にできている。 「私、副師団長なんだけど」 「そうだな。ナイルは有能な部下をなくすことになる。とはいえ、ろくでもない酔っ払いばかりの憲兵団の中にウェスタがいること自体私は無駄だと常々思っていたからいい機会さ」 「口が悪いねエルヴィン」 昔はそんなんじゃなかったのにね。 言葉裏に含んだ意図を読んだエルヴィンが唇をきゅうと引き上げてお互い様だ、と囁いた。 握られた自分の手。 それより更に大きな手が包んで、情に訴えるかのようにエルヴィンの親指が自分の掌をなでる様をウェスタは見つめながら無意識で苦笑いを溢した。 エルヴィンより数年遅れで訓練兵団を卒業したウェスタが調査兵団に志望することを明かした時、ウェスタの親よりも反対して見せたのは彼だった。 “憧れで命を捨てるな” 憧れでは決してない、強い意思をウェスタは持っていたが、いつもいつでも彼とぶつかった時には巧く丸め込まれて勝てた試しのなかった彼女が調査兵団を諦めたのは当然の流れとも言える。 エルヴィンの言葉に打ちのめされたウェスタは失意の中、本来であれば諸手を挙げて入団する者ばかりであろう憲兵団を選ぶこととなった。 「一回追い払ったくせに」 「あの時はあれが最善手だったのさ」 「覚悟はあったんだよ」 「若い頃は覚悟だけではどうにもならないことが多かった」 「今ならどうにかなるって?」 「団長は私だ。なんとでもする」 ふざけるな、と言いたかった。 冷たい目で過去自分の覚悟を蔑ろにしたこの男は、今憲兵団であるウェスタを昔と同じ顔で蔑ろにする。 どんな意図で、どれだけの苦汁を舐めてウェスタが今の地位を勝ち取ったのか、エルヴィンは察することができるはずなのにそうしようとはしない。 そしていともそれを簡単に捨てることを強要するのだ。 (バカにしてる) それなのにたまらなくほだされる自分に腹が立った。 「愛しているよウェスタ」 「都合いいんだから」 「昔から変わらない気持ちさ」 ウェスタの手を包んだ大きな掌にもう片方の手をそっと乗せながらエルヴィンの紡いだ告白に悪態をつくが、それでも嬉しそうに微笑む彼には勝てずにウェスタはため息を洩らす。 「………知ってる。」 老け込もうが口が悪くなろうが昔からこの蒼い目だけは変わらない。 それを覗きこむと幼いエルヴィンがかつての笑顔で「世界のひみつを見に行こう」と言った気がした。 ーーーーーーー 「掃き溜め」とは言わずもがな憲兵団の事です。 少しでもエルヴィンの近くで仕事をしたくて掃き溜めでも清廉潔白さを失わなかったウェスタちゃんと、 その努力を知った上でキャリアの総てを捨てさせて死地に誘うおにちくお兄さんエルヴィン。 でもこういうイメージなんです団長。 好き。 |