「いやだ。時間が惜しい。」 「いい加減素直に言う事聞いてくださいよ…」 ハンジの研究室にノックなしでするりと滑り込むと懐かしい小競り合いが聞こえてきて思わず微笑む。 机にかじりついたまま何かに没頭するハンジとその姿を見て肩を落とすモブリットの後ろ姿にこんにちはと声をかけると二人揃ってこっちを振り返って同じタイミングで破顔するものだから、ウェスタはとうとう堪えきれず「あは」と笑い声を漏らした。 「おつかれ様です」 「っあーーー!ウェスターー!会いたかったぁーなになにいつ本部に戻ってきたの!?」 「ぅわ!お昼過ぎです。団長に報告が終わって真っ直ぐここに来ましたよ」 勢いよく立ち上がったハンジがそのままウェスタに飛び付くと、抱き締めた彼女の頭に頬擦りをした後ミケのごとくくんくんと耳の後ろあたりのにおいを嗅ぎだした。 「俺が何言っても置物みたいに動かなかったくせに」とのモブリットの恨めしそうな呟きもハンジの耳には届かない。 研究以外の事は部下の手を借りないと一切ままならぬこの人は今度は何を嫌がって部下の頭を痛めさせていたのだろうか。 ウェスタがモブリットへ視線をやると、先ほどのように彼はまた肩を落として「風呂」とだけ言った。 「そうなんだよウェスタ!モブリットったら、昼日中から私に風呂に入れって散々うるさいんだ!このあと外出する予定もあるのに今風呂に入れだなんて非効率的だと思わないかい!?」 「それはあんたが昨日風呂に入ってないから言ってるんですよ!それに今晩は巨人の観察に行くって言ってたでしょう、ならチャンスは今の時間しかないじゃないですか!」 「ああ…それは…今のうちに入っておかないとしばらく持ち越しになってしまいますね」 ハンジは女性だし、研究室にこもりっきりなら1日風呂に入らないぐらいで大して匂うことはない。 しかしだからといって自由にさせておくといつまでたってもその時間をとろうとしないので班にいた時にはウェスタが口うるさくハンジに身綺麗にするよう言っていた。 一番の問題として潔癖症のリヴァイにハンジが風呂を怠ったことがバレると会合の出席を拒否されるという危険性があるので、打ち合わせのために集まることが増える壁外調査の直前には特に神経を尖らせていたものだ。 「ただでさえ風呂なんて面倒なのにウェスタが遊びに来たならますますそんなことしてられないよ!」 「もー、兵長にバレたらまた怒られますよ」 「え!リヴァイも一緒に来たの!?なんで!?」 「自室に行かれたみたいなので一週間分のお掃除じゃないですか?」 そういえば旧本部に戻る時間も集合場所も決めてなかったけどどうしようというウェスタの独り言を聞いてハンジは少し思案してから、満面の笑みでモブリットに「風呂の支度お願い」と言った。 「ウェスタ一緒にお風呂入ろうよ!ちょっと早いけどさ」 「えっ、いいですけど…」 「決まり!モブリット早く早く!」 ハンジに抱かれたまま私がやりますよ、とモブリットに申し出るも「その人の気が変わらないようにそこにいて」と言い置いて早々にバスルームに引っ込んでしまった彼の姿に、いかにハンジの言動で日々振り回されているかを読み取ってウェスタは肩を竦める。 「ねぇ、久々にあれやらせてよ。ウェスタがいなくなってから私発狂しそうなんだよ」 「まだ1週間しか経ってませんよ」 苦笑するウェスタを一旦解放してハンジは先ほど飛び上がった時に蹴倒した椅子を起こしていそいそと座ると、「発狂しそう」な割には余裕ある笑顔で両手を広げた。 ウェスタがジャケットを脱いでカットソー1枚の姿でその左手を取ると、ハンジは逃がさないとでもいうようにするりと指を絡めて強く自分の方に引き寄せる。 ウェスタを広げた両足の間に立たせるとぎゅうと強く抱き締めて、ハンジは顔面を彼女の胸元に埋めた。 ぐりぐりと左右に振られる頭をウェスタがいつものことのように眺めながら目の前のパサついた髪を優しく撫でると深く深く二度ほど呼吸してから顔を上げた。満面の笑みで。 「はぁ〜〜…たまらないねこのおっぱい…」 「楽しいですか?」 「楽しいね!すごく楽しい!ウェスタのおっぱいに触れるとこの世の幸せとか優しさとかそういうものを感じるよ」 「何言ってるんですかもう」 くすくす笑うウェスタを上目遣いで見て「ほんとなんだけどな」と至って真面目な顔で呟いてから、鼻先をまた彼女の谷間に埋めて深呼吸をする。 1週間ぶりの彼女の香りは相変わらず甘くて優しい。 可愛がっている部下以上の愛情をウェスタへ抱くハンジにとって、それはひどく安心できるものである一方、この香りも、この香りの持ち主も全て自分のものにしてしまいたいという独占欲を掻き立てられるものだった。 モブリットはまだ戻ってこない。 「ねぇウェスタ、ちょっと脱いで」 「?お風呂の支度まだみたいですよ」 「だからじゃん」 徐に立ち上がったハンジをきょとんと見つめるウェスタにまたズクズクと心のどこかを刺激されてハンジは目を細めた。 「離れてる間にリヴァイが悪さしてないかチェックしておかないとね」 「ん、あっ」 するりとハンジの手が服の中に入る。 腰から背中にかけてするすると撫でられながら耳朶を食まれてウェスタは小さく声を漏らした。 「いい度胸だなクソメガネ…」 「ちっ。いいところだったのに」 突如聞こえた地の底を這うような声にウェスタが小さく飛び上がる。 彼女の体を抱き込んだままハンジが横目で扉を見ると、青筋を立てた「人類最強」が腕組みをしてこちらを睨み付けていた。 いつものトーンもどこへやら、ハンジも競うように低い声でつぶやくのでウェスタは小動物のように縮み上がる。 「あはは、リヴァイの顔怖いよねぇ。大丈夫だよ〜私が守ってあげるからね」 「どのツラ下げてほざきやがる奇行種が…削ぐぞ。ウェスタから離れろ」 「分隊長〜、準備できましたよ」 「あ?」 「あ」 「お」 「え?何…へ、兵長!?」 怪訝そうに眉をひそめるリヴァイ、 すっかり風呂のことを忘れて鳩に豆鉄砲のウェスタ、したり顔のハンジ、にずらりと見られて戸惑ったモブリットが順番にこちらを見る顔を確認してーー最後にもう一度リヴァイを見て慌てて敬礼の姿を取った。 「そういうのはいい。なんの準備だ?」 「風呂です、分隊長の」 「そう!そういうわけでウェスタは今から私と楽しいお風呂タイムだからリヴァイは先に帰っててよ!大丈夫この子のことなら私がちゃあんと責任持って体の隅々まで洗ってご飯も食べさせてお布団に入れるところまで見守るからね!あ、明日のウェスタの予定は全部キャンセルでよろしく!」 モブリットにリヴァイが気を取られた一瞬を逃さずハンジはウェスタの手を引いて奥の部屋へ向かって走り出した。 え、とかあの、とか言い淀んだまま連れていかれたウェスタの様子に、ハンジがまくしたてた今日の予定は同意を得たものではないと察したリヴァイが怒気も隠さずに「あの野郎」と呟いて、今度はただ1人残されたモブリットが小鹿のように震える番だった。 ーーーーーー かわいそうなモブリット(好き)。 |