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 家の階段で足を踏み外した。
 ごろりごろりと転がり落ちる最中、段鼻で頭を強く打った影響か、落ち終わって廊下に横たわる今も視界がチカチカと明滅する。チカ、チカ、と光が走る度に、その向こうになにかが見えた。
 チカ、チカ。道路に転がっているのか、間近にアスファルトが見える。
 チカ、チカ。投げ出された私の腕が、おかしな方向を向いている。
 チカ、チカ。赤い、赤い血が目の前の地面に広がって流れていく。
 チカ、チカ。自動車がすごい速度で走り去っていく音が聞こえた。
 チカ、チカ。誰かが私の隣に膝をついて泣いている。
 誰だっけ?ねぇ、君は誰だっけ?


_ _ _
 五歳最後の日の冬、家の階段を上から下まで転がり落ちた影響で前世をちょっと思い出した私である。まったく嬉しくない。
 おかげで額には三針縫った跡が残った。まぁこれは担当した医師の腕が悪かったのもある。それに次の日の誕生日は入院した上に寝ていたからお祝いしてもらい損ねたし、入学した小学校では幼児のテンションに馴染めずボッチになった。お陰様で不登校児まっしぐらである。頭が痛いと言えば心配して学校を休ませてくれるお母さまはとっても優しい。
 利点は、小学生程度の学習ならわざわざ勉強しなくても理解できることだろうか。

 享年はおそらく高校生。秀才や優等生ではなかったけれど、初歩中の初歩の小学生の勉強で躓くほどおバカではないらしい。
 それならと試しに本屋で中学高校の問題集を眺めてみたけれど、まぁ中学までなら普通に出来そうではあった。でも高校は学び直した方がよさそう。そんな程度のオツムの出来だ。

 それから、何やら不思議なぱわぁが使えるようになったらしい。
 棚の上の物を取ろうとして幼児の手では僅かに届かず、いっそそっちからこっちに来いよ!と理不尽なことを願えば本当に向こうからこちらの手元に動いてきた。すわ超能力に目覚めたか!?と誰も見ていないことをいいことに、そのまま物を動かしたり浮かせたりと家の中で遊ぶこと数分。

「なにしてるんだい?」

 廊下からひょっこり顔を出す堀の深い顔立ちに浮かべるのは、造形の無駄に整ったにんまり笑顔。
 珍しく離れから母屋に来ていたらしい大伯父がそこにいた。
 思わず思考も身体も固まり浮かせていた物たちが次々に床へ落ちて、その内の母お気に入りの花瓶が無情にもパリンと一際大きな音を立てて割れる。いろんな意味で“やっちまった”と冷や汗をかく私に、伯父は耐え切れず噴き出した。笑い事じゃないんだが??

「はは。いや、確かに驚かそうとは思っていたけど、まさかそこまで驚いてくれるなんて思わなくてね。
 あーあー花瓶なんて割っちゃって、琴子に怒られるよ?」

 琴子とは母親の名前だ。まぁそれは今のところ横に置いておくとして。
 言われて意識を戻し、改めて部屋の惨状を認識してやらかし度合いに血の気が引く。どうしてもしもを考えずに不思議パワーのお試しなんてしてしまったのか!自室なら何を壊そうが自己責任で済んだのに。
 あぁ、どうしよう……。
 冷や汗どころか涙までじんわり浮かんできた私の頭に、伯父の大きな手が置かれる。見上げた先の顔はいまだに笑みを浮かべているが、意地悪気なそれではない。どちらかと言うとイタズラをしでかす前の子どものような笑みだった。

「知っておくといい」

 そう前置いて、いつの間にか手に持っていた木の棒をくるりと振るう。

「その力は超能力じゃなく、魔法というものだ」

 木の棒の先から光の粒子が飛んで、部屋の所々に落ちている物たちを包み込む。割れてしまった花瓶も同じく光を受けて、そうしてみるみるくっ付きさっきまで割れていたのが嘘のように元の形に戻った。

「そうして、そんな魔法が使える僕たちは魔法使い、“魔法族”と呼ばれる種族なんだよ」

 ああ、君の場合は魔女だね。
 そんななんてことない風に言葉を締めくくりながら、木の棒、もとい魔法の杖をもう一振りして、すべての物を元の定位置へ戻す。
 はぁ、なるほど。魔法。魔法族。へぇ。

「……私が魔女……?」
「おめでとう、君は“こちら側”だったね」

 にっこり。
 一層深められた嬉しそうな笑顔に、本当に無駄に造りがいい顔だな、と関係ないことを思い浮かべた。……ええ、現実逃避ですけど、なにか。


_ _ _
 夏真っ盛りの小学生最後の夏休み。海越え山越え野を越えて、そしてさらに樹の生い茂る山に飛び込んで、一羽のフクロウが我が家の郵便ポストに封筒を一通投げ込んだ。
 私が実際に見たのは封筒を投げ込むシーンだけだけれど、十分衝撃的な映像だった。

「なにこれ」

 呆気にとられながら放り入れられた封筒を取り出して、玄関に戻る間ひらりひらりと表面と裏面を眺める。
 全体的に古めかしい洋封筒。裏面にはどこかで見たことのあるような印章と真っ赤なシーリングスタンプが押されている。表面にはもちろん我が家の住所が書かれているわけだが、珍しいことに緑色のインクを使って英字で書かれており、宛名はなんと私だった。
 ……嫌な予感がする……。
 この第六感は信じた方が良い。このまま破いて捨ててしまおうかとも思ったが、それもそれで大変なことになりそうだと第六感さんが言っている。
 ならばどうすべきかと悩んでいると、横合いから手が伸びてきてヒョイと軽い調子で封筒を奪い取られた。

「ああ、もうそんな時期かい」

 伸びてきた手の主はここ数年で離れでの引きこもりをやめた大伯父で。封筒の裏面の印章を認めて首肯する。
 何が何だか分からないが、大伯父の様子からどうやら魔法関連の何からしいと察した。察したところで、第六感による嫌な予感がするアラートは地味に鳴り続けているのだけど。出来ることならこのまま何も知らぬ存ぜぬでいたいところ。
 ……まぁ、大伯父が宛主である私を放置して勝手に封を開けてしまった時点で無理な話である。

「なんて内容ですか?」
「ん?あぁ、入学許可証さ」
「入学許可証……?」

 私の知る限り日本に重要書類を鳥に任せるそんな文化はありませんね……。

「おめでとう僕のかわいい姪孫。晴れて地獄のホグワーツ魔法魔術学校へ入学だ!」

 たいへんいい笑顔の大伯父が広げて見せてきたのは、宛名と同じく緑色のインクによる英文が書かれた便箋。
 普通の小学生であれば「なんだこれは分からん!」と投げ出すところだが、あの自分が魔法族と知った出来事からおおよそ五年の間に、なぜか大伯父によって行われた魔法レッスンと並行して叩き込まれた英会話レッスンのお蔭で、英語圏内で暮らしても困らない程度には英語を身につけた。……読み書き聞きまでなら。会話はあともう二三歩である。
 まぁ今必要なのは英文を読む能力なので問題はない。
 便箋を大伯父から奪い返し、自身の手で広げて改めて読んでいく。


──We are pleased to inform you that you have been accepted at Hogwarts School of Witchcraft & Wizardry.
Students shall be required to report to the Chamber of Reception upon arrival, the dates for which shall be duly advised.
Please ensure that the utmost attention be made to the list of requirements attached herewith.
We very much look forward to receiving you as part of the new generation of Hogwarts’ heritage.

Draco Dormiens Nunquam Titillandus

PROFESSOR McGonagall

HOGWARTS SCHOOL of WITCHCRAFT & WIZARDRY
Headmaster: Albus Dumbledore, D.Wiz, X.J.(sorc.), S. of Mag.Q.


 ……なるほど?つまりホグワーツに入学していいよ!という内容である。なるほどね?

「……やっぱりハリー・ポッターの世界かよ……」
「なんだって?」
「何でもないです」

 片手で頭を抱えながら唸るように零した再確認は、幸か不幸か大伯父の耳には届かなかったらしい。

 ホグワーツ魔法魔術学校。近代児童文学にあたるファンタジー小説、ハリー・ポッターシリーズに出てくる、主人公たちが通う学校の名称である。
 まぁ、この五年の間の大伯父による魔法レッスンを受けながら、なんとなく「そうかも?」とは思っていたので。特に呪文を唱える時とか強めの既視感があった。でもまさか本当にそうだとは知りたくなかったな……。

「(行きたくねぇ〰〰〰)」

 正しくは、行きたいが行きたくない。
 前世では原作をサラッと履修した映画のファンだったので、生のホグワーツには非常に興味がある。しかし年代的におそらく原作に被ってしまうことを考えると、我が身可愛さから近付きたくない。誰が好き好んで毎年死の危険と隣り合わせな学校生活を送りたいと思うのか。
 後はリアルに考えて、将来の問題。大人になっても魔法界でそのまま生きるなら良いかもしれないが、非魔法族の中で母と一緒に生きていきたい私としては学歴の問題が浮上する。履歴書に書けない学校はちょっとな……。並行して通信教育を受ける?私の頭で付いていけるか?無理じゃないですかね。

 手紙片手にうんうん一人で唸っていると、バッサバッサと先程とは違う羽音が聞こえてきてそちらに目を向ける。羽音の主は大伯父が飼っている白色の梟、シベリアワシミミズクのミネルだった。いつ見てもデカい。大伯父の左腕は彼の為に鍛えていると言っていい。

「……何してるんですか?」
「なに、旧友の子どもに連絡をね。確かあちらも今年入学する子がいたはずだから」
「だからなんで連絡するんですか?」
「なんでって。今まで一度も魔法界に触れてこなかったかわいい姪孫を、まさか一人で入学準備させるわけにもいかないだろう?」
「入学することは確定なんですか??」
「え、入学しないのかい?するだろう?僕の母校だよ?」
「…………、しますぅ……」
「だろう?」

 悩みに悩んだが受け入れた。将来の苦労よりも興味関心に比重が傾いた結果である。ついでに大伯父からの分厚過ぎるプレッシャーのせいでもある。

「あ。でもそうなると私、小学校中退になるのでは?世の中の外国に転校する子どもってその点どうしてるんでしょうね?」
「そこは上手くやればいいさ。僕ならどうとでも出来る」
「はぁ、どうとでも……」
「そう。……まぁ、任せておくれよ僕の可愛い姪孫」

 無駄に良い顔にイイ笑顔を貼り付けて、私の頭を撫でる大伯父は本当にいい性格をしている。

「……。ん?そう言えばさっき“地獄の”ホグワーツとか言いませんでした?」
「えぇ?気のせいじゃないかい?」
「いや絶対言いましたよ!そんな所に“可愛い”姪孫を入学させるつもりなんですか!?」
「可愛い子には旅をさせよと言うし、千尋の谷に突き落とすものだろう?」
「そんな場所に例えられる学校に突き落とされる子どもの気持ちも考えていただけますか???」

 掴みかからん勢いで詰め寄るが、大伯父はにこにこと笑うだけでそれ以上何も言わない。しかしそれで私が納得するわけもなく、口で戦えないならばと足を出すも魔法で防がれて痛い思いをしたのは私だった。この大伯父ちくしょう。

 私が一人相撲をしている間に手紙を書き終えたらしく、手紙の入った筒を持ってミネルが真夏の青空へと颯爽と飛んで行く。暑い中ご苦労様なことで。

「伯父さん、ミネルはどこまで行ったんですか?」
「イギリスだよ。由緒正しい魔法族の家さ」
「ふーん。誰さんですか?」
「旧友は残念ながら数年前に病死してしまったからね、その息子、ルシウス・マルフォイ君だね」
「ふーん。…………まるふぉい??」
「ルシウス・マルフォイ。その更に息子がドラコ・マルフォイ、だったかな」
「え?……え!!??」

 まさかのマルフォイ家に言語野が死んだ。何度もバリエーション豊かな「え?」を、最初は大伯父も「今日も姪孫は元気だね」と笑えていたものの遂には「シレンシオ」と唱えられるくらいには繰り返した。
 え??なんでここでマルフォイ???
 なんで大伯父がマルフォイ家と関わり持ってるの??
 今更ながら、大伯父って何者……???
 ぐるぐる頭の中で考えて、答えが出ないまま改めて大伯父を見る。私の視線に気が付いた彼は、愛想のいい笑顔を私に向けた。本当に無駄に顔が良いなこの人。

「(あ!と言うことはがっつり原作に被ることになる、ってこと!?)」

 やだなぁ!本当にやだなぁッッ!!
 嫌なことに気が付いて半泣きになる。今からでも入学見送れないかな?無理かな?大伯父が乗り気だから無理そうだなぁ!

「返事が来次第日程を決めて、イギリスで入学準備をしないとね。残念ながら僕は行けないから、マルフォイ家の人間を頼るんだよ?」
「え!?ちょっと待ってください、私一人で行くんですか!?どうして伯父さんは一緒に行けないんですか?」
「……結婚を機にイギリスを離れる時、友人たちから戻ることを止めらたんだ。いつか招待出来るようになったら、と約束したんだけれど、しかしその前にみんな亡くなってしまった。
 それでも、……約束は約束だからね」
「そう、ですか」

 昔を懐かしむように遠くを見、眉尻を下げて寂し気に微笑む大伯父に、それ以上詳しく訊ねることは出来なかった。訊いたところで、大伯父もそれ以上答えるつもりはないだろう。大伯父に秘密が多いのは今に始まったことじゃない。
 僅かに感じる心細さを溜息と共に吐き出して、腹をくくった。

「……分かりました。じゃあ、これからの予定は手紙の返事を待ってと言うことですよね?その前に出来ることはありますか?」
「そうだなぁ……」

 顎先に人差し指を添えてうーんと悩む大伯父の、次の言葉を待つ。
 海外に行くというならパスポートは必要だ。ビザ?も必要だろうか。でも魔法界ならそんな物は必要無かったりするかもしれない。そもそもどうやって移動するのか。まさか箒だなんて言い出さないよね?ね??
 またぐるぐると思考を渦巻かせていれば、「ああ、一番大事なことを思い出したよ」と大伯父が口を開いた。

「君があちらでも安心して過ごせるように、みっちり、英語を仕込まないとね」

 天使のような容貌で善意に溢れた言葉を吐きながら、私にとっては地獄に等しい未来を告げる。

「……今のままでも安心して過ごせますよ……?」
「読み書きはね?会話はまだ不慣れだろう?」

 バレてら!
 しかし嫌なものは嫌なので、往生際悪くぐずりぐずりとあれやこれや言い訳を考えて大伯父の英語教育から逃げようと画策する。

「えぇと、だからですねぇ、これ以上は……ねえ?わざわざ学ばなくてもどうにかなるんじゃないかなぁって思うんですよぉ。……はい、ね!」
「うんうん。──頑張れるよね?」
「…………、頑張りますぅ……」

 まぁいくら逃げようにも、最後は大伯父の顔面の圧に負けるんですけどね。ハハッ!



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20240709



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