大早に雲霓を望む。
 なんやかんや言いつつ私は、君が私の元へ訪れるのはまるで今まで誰にも靡かなかった黒猫が懐いてくれたようで満更でもなかったんだ。
 顔を合わせる理由が例え、より強い歴戦の猛者と戦いたいけれど彼自身と匹敵する程の強者が身近に居らず、彼の憂さを晴らす為の欲求不満の捌け口となる事だったとしても。
 私はいつしか、彼と武器を交える瞬間を心待ちにするようになっていた。


 最初は興味本位だった。
 かねてより親好のある跳ね馬ディーノがじゃじゃ馬と揶揄する少年。腕っぷしは中々のものだが人と群れることを厭い、いつ如何なる時でも孤高を貫く一匹狼。
 私より一足先にボンゴレX世と会い見え、ジャッポーネから帰ってきたディーノから印象を訊いた時はまさに雲の守護者を体現した人物じゃないかと嘆じたが、実際本人と対峙してみてその性質、習性の厄介さを体感した。
 「奴の前ではくれぐれも気を抜くな」と耳にタコが出来そうなほど周りに言い聞かせられたのに、その忠告を等閑視したお陰で廊下の壁に押しやられた──つまり油断していたのは私の落ち度だ。
 我ながら軽率な行動を取ってしまったと失敗を恥じている。猫はじっと目を合わせる行為は警戒の意を示すというから、きっと彼もそうだったのだろう。なのに気安く頭を撫でて触れてはならない彼の逆鱗に触れ、ああも乱暴な歓迎を受けたという訳か。

 その時の私はまだ彼、雲雀恭弥が想像を絶する程の戦闘マニアだとは思いもしていなかった。ただ彼は不良の頂点に君臨していながら、何よりも風紀を重んじる人物だと事前調査によって既知の事実としていたから、私が礼節を欠く振る舞いをした事で彼の機嫌を著しく損なわせ、結果怒らせたのだろうと思い込んでいた。
 確かにあの状況を楽しんでいた自分が居なかったと言えば嘘になるが、「もし鉢合わせてもヒバリさんを煽るようなマネは絶対に、絶っっ対に! しないでね!」と並中に行く前、念を押されて約束させられた言葉が念頭にあり、戦闘になってもこちらから攻撃する事は無くひたすら防御に徹した。
 途中まさか無関係のX世にまで飛び火するとは予想外だったがリボーンと話していた彼曰く、二人も群れの内に入るらしい。成る程、黒猫の許容範囲は意外と狭いんだな。と一日の流れを顧みながら心得る私。
 その姿を見て「……名前さんってひょっとして結構ズレてる?」「ひょっとしなくてもかなりズレてるぞ」とヒソヒソ話すお二人の声が聞こえてしまったが、何がズレてるのか私にはさっぱりだった。


 雲雀恭弥と遭遇した翌日から私はX世……綱吉や、霧と雷を除く守護者が通学している並盛中学に手筈通り通う事となった。
 これで先のヴァリアー戦のような事があっても綱吉を側で守る事が出来る。もしこの責務を果たせなければ私の面目が、守護者としての立つ瀬が本当に危ぶまれてしまうから意気込まずにはいられない。
 私の属性は雪。性質は補整。言葉のまま、足りない部分を補う者。本来属性は七色の炎が主体だが、嘗てのボンゴレ初代には白の炎を操る者が一人だけ存在した。
 その女性は性質を活用して雪に備わる癒しの力でファミリーを英気付け、縁の下の力持ちとしてファミリーの繁栄に貢献し続けた事から特別に守護者としての地位を授けられたという。──私と私の母は、件の彼女の末裔だった。
 但し初代雪の守護者は体が弱く、滅多に矢面に立つ事は無かったらしい。必要とされるなら戦場へも赴くが、専ら補助専門。
 戦闘能力は乏しく、護衛を付けなければ戦場ではまともに動く事も出来ない。そんな初代を邪険に扱い「足手纏いだ」と糾弾する声も至る所から噴出していた。
 その為ボンゴレ内でも守護者としての意義を問われる事が非常に多く、問題が起こる度に何かと槍玉に挙げられ、初代雪の存在を消そうと企む輩も居たとか居ないとか。挙句、初代霧や雲とは折り合いが悪かった、という真実かどうか分からない話まで後世に伝わっている。
 だから私は\世から不安定な雪の守護者の地位を確固たるモノとする代わりにX世、沢田綱吉の護衛をしてやってほしいと直々に頼まれた時、初代の汚名を返上する好機では無いかと発心し、条件を飲んだ。
 雪の守護者は決してお荷物などでは無いと、初代が成し遂げた事にはちゃんと大義があったと、己の全身全霊をかけて初代を糾弾した者達の鼻を明かす。
 それが、私が並盛に訪れた所以だった。

 とはいえ、他の守護者達も皆戦力として頼もしい人材ばかりだった。短気、おっとり、猪突猛進、引っ込み思案とそれぞれ短所と云えるところは有るものの、これから経験と修行を積めば彼らは更に強くなるだろう。私などまだまだ未熟者で、もっと技能を磨き上げねばならないのだと思い知らされた。
 取り分け雲雀恭弥との鍛錬はこう……ヘビーな手合わせだった。彼愛用の武器は多種多様なギミックが内蔵されているようで、鉤を使って薙刀の柄を折られたり、側面部からは棘が出てきて躊躇いもなく顔を狙ってきたり……あの仕込みトンファーには何度肝を冷やした事か。
 況して朝から彼の機嫌が悪かったりすると授業にも出席させて貰えず、気晴らしがてら一日中付き合わされた事もある。流石に次の日は全身筋肉痛になって体がしんどかった。
 これからは彼の機嫌気棲に十分注意を払う事にしよう…。そう心に誓った矢先に放送アナウンスでまた呼び出し。本当に彼は戦う事を生き甲斐としているのだな、と億劫ながらも指定された屋上へ行き、もはや日課となっている特訓を始めて暫く経った時だった。
 雲雀恭弥が構えを解き、「…やめた」と心なしか落胆したような声を発し踵を返したのは。

「……? もう、良いのか?」
「今の君と戦ったってつまらないよ」

 どうせ咬み殺すなら生きの良い獲物じゃ無いと面白味の欠片もない。
 ぶっきら棒にそう言って、彼は地面にごろりと横たわった。おそらく筋肉痛の所為で普段ならなんて事なく行える動作が、今日はぎこちなく鈍かったのが原因だろう。
 お陰さまで彼の気分が変わったのは幸いしたが、今日の手合わせは終了してどこか残念に思っている私も居た。そこで自分が思っていた以上に、雲雀恭弥と対峙する時間を楽しみにしていたのだと隠れていた己の心中を悟った。
 そして悟ったと同時に気付いたら私は、寝転がる彼の隣に腰を下ろしていたのだ。

「何してんの、早く帰りなよ」

 あと三十分ほどで下校時間になる。最後の授業の最中に呼び出され、その時はまだ太陽もほぼ真上に近い位置にあったが、今はもう陽は沈み空は暗くなりかけていた。
 一人を好む彼が私の事を心配して帰れと言った訳では無いと知っている。知っているからこそ、ほんの少しの寂しさが胸を渦巻いた。
 彼は頑なだ。誰かが側にいる事を是としない。常に拒絶の一線を敷いて、境域にすら寄せ付けない。だからこそ彼が誇り高き雲の守護者として選ばれたんだと理解している。けれど、私は彼ともっと親しい間柄になってみたかった。
 彼に背を預けられ、共に死線を潜り抜けられたら──そんな気持ちすら彼は煩わしい、傲慢だと嫌な顔をするだろうけど。

「ちょっと」
「別に君とは群れていない。私は好きで此処に居るだけ」
「……やっぱり君は咬み殺そうかな」

 再度トンファーをちらつかせた彼に「げ、」と本心が漏れた。
 確かに彼と戦うのは楽しいし大変有意義な時間だとは思うが、ポンコツと言っても過言ではない今の体の調子で相手をしても悲惨な目に遭うのは分かりきった事だ。奇跡的に彼とは未だ勝敗が着いていないからこそ、体の不調が原因で初の黒星が付くなど御免だった。

「さっき生きの良い獲物じゃ無いと咬み殺し甲斐が無いと言っていたのはどこの誰だ!」
「それだけ喋れる元気があるなら上等だ」

 ──どうやら墓穴を掘ったらしかった。
 不測の事態にあたふたする私とは対照的に、捕食者らしく酷薄な笑みを刻む彼。
 せっかく綺麗な顔をしているのだからもっと違う場面で笑えば良いのに、獲物を前にした時しかこういう風に笑わないからより一層、怖気と焦りを掻き立てるんだ。
 「帰る帰る! 帰るから!」と容赦無しに狙いを定めたトンファーを寸で避け、私は命からがら屋上の扉へひた走る。十分注意を払うとか今朝まで用心していた癖に早速このザマだ。敵前逃亡などなんて情けないと悔しさを噛み締めながら、私は「また明日!」と暗に再挑戦の予告を仄めかせて扉を閉めた。
 扉で隔たれる直前、彼がフンとふて腐れたように鼻を鳴らした所までは見ていたが──屋上から私が消えた後、彼が獲物を前にした時とはまた異なった笑みを浮かべていたのは、知る由もなかった。

 私と彼の関係に変化を齎したのは、……いつだっただろうか。アレは多分、未来での悶着を終えてまた賑やかな日々を過ごしていた時分だったと思う。
 ああ、いつも通り暇を持て余し、居心地のいい応接室のソファーで寛いでいた時だ。
 柔らか過ぎず固すぎず、程よい弾力のソファーに腰をかけて私は本を読んでいた。一方、彼は真面目に仕事に取り組んでいて、黙々と手作業を進めていた。
 最初の内は私が彼の聖域とも言えるこの応接室に入り浸る事を認めてもらえずトンファーを投げられたり脅しかけられたりもしたが、足繁く通う内に彼も折れたのか何も口出ししない。もちろん嫌がらせの如くちょっかいを掛ければうざったそうに睨まれるが、強引に追い出したりはしなくなっていた。
 ────と、些か話が脱線してしまったが、とにかく私は雲雀が何も言ってこないのを良いことに快適な環境で読書に没頭していた。
 彼がペンを置こうがチェアから立ち上がろうが意識を向ける事も無い。それだけ奥の深い物語に心を惹きつけられていて、気配を殺して目の前に立っていた雲雀の姿に気付いたのは遅くも本を取り上げられてからだった。
 唐突で不可解な行動に目を瞠って見上げれば彼は何故かムスッとして此方を見下ろしている。仏頂面は常の事だが、無言を貫かれると対応にも困る。
 言葉にしてくれれば不機嫌の理由を推量する事も可能なのに、彼は唇をへの字に曲げて話そうとはしない。完全に手持ち無沙汰だ。

「……どうした?」
「ジャマ」

 機嫌を窺いながら恐る恐る問い掛けたものの、端的に述べられた返事に呆気にとられた。
 ……それを今更言うか。仕事してるとこに押し掛けて邪魔をしているのは百も承知だが、だったらもっと早く言ってくれればこんなに長居はしなかったのに。
 若干の不平不満はあるものの、自分に非があるのは尤もなので私は渋々ソファーから立ち上がった。必然的に彼と目線が近くなる。
 大人しく教室に戻るから本を返して欲しい、と要求すれば、しかし雲雀はますます表情を険しくさせて私を睨んだ。が、これくらいの敵意など日課の特訓で慣れてしまった私はさして痛くも痒くも無い。
 何か訴えたいのは雰囲気から察するが、リボーンのように読心術など使えない私には彼の心中を汲み取る事は難しいのだ。
 そうして暫し黙然とした睨めっこを続けた後、やがて雲雀は嘆息しその手に持っていた私の本を仕事用デスクに放り投げた。

「あっ、コラ!」
「うるさい」

 横暴な言動に頬を引き攣らせるも、怒る間も無く次の瞬間には私の視界はブレていた。腕を強く引っ張られ、半強制的にソファーの端っこに座らせられる。
 そして彼は何食わぬ顔で私とは人一人分の間隔を置いて横に座ったかと思うとそのまま身を倒し、丸い頭を私の膝に乗せた。
 全て瞬きひとつのあっという間の出来事で、驚きで目が点になる。

「……、雲雀?」
「僕は寝るから。起こしたら咬み殺すよ」
「授業が」
「出る気あったの?」

 素直に無かったと白状すれば間違いなく風紀を乱すとかで咬み殺されるだろう。
 だがあったと強がっても彼がすんなり解放してくれるとは限らない。畢竟するに入眠の邪魔をしたと言い掛かりをつけられ白状した場合と同じ末路を迎えそうな気がする。
 ……頭の中で様々な想像を巡らせ、導かれた答え。私は保身に走り、無難に災いの元である口を閉ざした。それを合図に彼がすっと瞼を下ろす。目の下には、目立つ隈。どうやら委員長殿は余程お疲れらしい。
 ……そりゃ疲弊も溜まるか。彼はこの中学校だけで無く並盛町全体の風紀も取り締まっている。普段はせっせとデスクワークを熟し、空いた時間は校内及び町の見回り。屋上で時おり昼寝している姿は目撃されるが、彼は葉が落ちるような微々たる音でも目を覚ますのでゆっくりと骨を休める機会も無いだろう。
 加えて彼が唯一安らげるであろう一人の時間は、私が応接室に居座る事でここ最近は潰してしまっていた。疲弊だけじゃない、きっとフラストレーションだってかなり溜まっている筈だ。雲雀の限界も近い。
 ────彼の気持ち、性質等を理解した上で尊重してやりたいと思いながらそれでも側にいたい、居るというのは、やはり厚かましい行為なのだな。

 とどのつまり、私は雲雀よりも自分の意思を尊重してしまったのだ。何者にも囚われず我が道を行く彼の背中に近付きたい。近付いて、少しでも彼に強さを自分を認められれば自分も彼のように自分の意思と漲る力で道を切り拓くことが可能なんじゃないかって、そんな浅はかな考えで、彼に迷惑を掛けていた。
 否、それだけが理由じゃない。
 四の五の抜きにしても、私が彼の側に居たかっただけなのだ。彼の隣を独占したい、彼が欲しい。これまで生きてきた中で一度も感じた事のない感情が、次々と胸からこみ上げて。
 初めて感じた想いに戸惑っていた私に、「それは愛よ」とビアンキが言った。

(……そうか……)
 教えられた時はいまいちしっくりと来なかったが、今なら分かる。
 いとおしい、と、心がそう訴える。
 普段は神経を尖らせている雲雀の、今だけは無防備なあどけない寝顔。
 眺めれば眺めるほど頬が緩んで、心が擽られて、少しでも動けば彼は起きてしまうと頭の片隅には認識があったのに、私は自身の欲求に抗わないまま彼の髪へと手を伸ばした。指先が触れ、宝物に触れる手付きと同様頭を優しく撫でる。するとその手は直ぐさま掴まれ、首筋にはトンファーが当てがわれた。
 目の前には剣呑とした鋭い眼差し。──まるで、初めて会った時のように拒絶の意を前面に出されて。

「このまま咬み殺すか?」

 自身への皮肉も込めて嗤った。
 けれど彼は訝しげに眉を顰めただけで、私の問いには答えなかった。

「……君、なんて顔してるの」
「……何でもないさ」
「何でもないなら、なんにもないって顔してごらん」

「見るに堪えないよ、今の君。」きつい言葉とは裏腹に、トンファーを握ったまま私の目尻を撫ぜた指先は酷くぎこちなく温かかった。
 戦い以外の事柄で感情を表現する事が苦手であろう彼が、自らこうして手を伸ばして、触れて、彼なりに喝を入れようとしてくれた。
 ──もう、良い。私にはもうその心配りだけで十分だった。彼は、雲雀恭弥という男は束の間でも私をライバルとして認めてくれていたんだと自惚れるだけ自惚れて、私は離れよう。

 好奇心は猫をも殺す……私は首を突っ込みすぎた。自身のやるべき事を疎かにしてまで一人の女としての感情を優先する事は、雪の守護者としての活躍を期待してくれた一族に対する裏切りだ。
 挙句、彼の単独行動の理念を覆して、群れる事を強制しているなど押し付けがましいにも程がある。
 最強の名を冠する雲の彼と、今にも危うい風前の灯火である雪の私では、身の程が違った。
 込み上げてくる嘲笑を押し殺して、私は彼の指摘通り精一杯微笑った。──私が応接室に訪れたのは、この日で最後だった。




「名前、」
 初めて彼の口から紡がれた名に、私はつくづくずるい男だ、と失笑を禁じ得なかった。
「恭弥、」
 呼んでも、この声が君に届く事は無いだろう。透けた手のひらは彼に触れようとして──温度を感じる事なくすり抜けた。
 …やっぱり、な。自身と彼を隔絶する絶対的な壁を最も残酷な形で認識し、私はひとり自嘲の笑みを浮かべた。
 己がやるべき事は果たした。
 雪の守護者への偏見や不名誉も払拭し、ボンゴレに対して引け目を感じていた我が一族はようやく報われ、今や立場に脅かされる事は無く伸び伸びと毎日を過ごしている。皆の嬉々とした輝かしい表情を見るのはこれ以上無い幸福で、自分は天寿を全うしたと言えるだろう。
 だからこの世に、いつまでも留まるべきでは無いのに。未練なんて、無いはずなのに。
「名前、」
 お願いだから、そんな恋い焦がれるような声で私の名を呼ばないで。
 壊れたように何度も私の名を紡ぐ唇を、背伸びして己のそれを重ねた。それでも自分の唇に当たるのは冷ややかな風だけ。彼の熱などこれっぽっちも感じず、私の胸には切なさだけが残った。から、ちょっとは気付けと腹癒せに彼の唇に歯を立ててやった。
 なのに雲雀は変わらず前を見たまま。

「……そんな事しても時間の無駄だよ。君も聞き分けが悪い子だね」

 後ろから投げ掛けられた呆れ混じりの声に「うるさい」と私は憎まれ口を叩いて撥ねっ返した。言われなくても分かってる。使命に重きを置き、淡い恋心を手放したのは私だ。だからこの結末は然るべき事。
 けれど潔く腹を割れるほど、私は彼の事を諦め切れていなかった。

「いい加減にしな。彼には彼の道がある」

 その道を、彼をいつまでも君の存在で縛り付けて足枷にでもなるつもりかい?
 至極真っ当な事を突き付けられ、私はヒュッと息を飲んだ。
 おずおずと後ろを振り向けば、涼やかなアイスブルーの瞳が萎縮する私を射抜く。
 不思議と雲雀に似たその顔立ちは厳しい表情で私を見つめていて、強い視線に居たたまれなくなり目を逸らす。
 叶う事なら、泣き叫びたかった。
 でもこの男の前で涙を晒すくらいなら舌を噛み千切ってでも我慢した方がよっぽどマシだ。
 私は微動だにしない雲雀から一歩離れ、すれ違いざま彼の右手に触れる。
 もちろん気付かれる事はないだろうと高を括って悪戯しただけなのに、

「……っ!!」

 彼が握り返してくれたかと思うと、やはりその手は空をすり抜けた。でも今確かに、私の手の在り処を探るような仕種を……? 信じられない、だが信じたい気持ちで顔を見上げようとした刹那、私の体は背後から掻っ攫われた。

「      」

 絶望に満ちた一言が鼓膜を打ち、私はこちらを振り向いた雲雀へ懸命に手を伸ばす。
 されど彼に届く事は無く、その手すら後ろの男に搦め取られ、私の意識は闇へと落ちた。
ALICE+