*無糖設定


「反動形成って言葉知ってる?」

部屋で本を読みながら寛いでた時、今まで无と遊んでいた與儀が唐突に、脈絡もなくそんなことを尋ねてきた。こてん、と首を傾げる无。
俺はというともちろんガン無視。
「花礫くんもちょっとは真面目に聞いて!」與儀が切に訴えてくるが、軽くいなせば揺さぶられる肩。
「しつこい!」と分厚い本で殴ったら紫の瞳にはみるみるうちに雫が溜まっていく。

……チッ、男がいちいちこれくらいの事でめそめそ泣いてんじゃねーよマジうぜえ。
ため息を吐いて「……で?」と仕方なく話の続きを促せば、沈んだ様子から一転、嬉々として輝いた表情で頷いた。単純なヤツだ。ちょろい。

「反動形成っていうのはね、好きな子をわざと苛める、わざと避ける、わざと傷付ける、連絡欲しいのに絶対に自分からは連絡しない、冷たい態度をとる、会いたいのに会いたくないって言っちゃう。つまり自分の本当の心とは裏腹に正反対、真逆の事をしちゃう行動を、反動形成って言うんだって」

ピタリ。ページを捲る手が止まった。
興味はさほど無かったにしろ、例として上げられた行動は自分にも当てはまる節がある、イヤ寧ろありすぎる。
何だコイツひょっとして俺に喧嘩売ってんのか。さては遠回しに嫌味言ってきてんのか。
じろりと一瞥して睨み付ければ、けれど俺の視線には気付かずヤツは呑気に笑ってきょとんとする无の頭を撫でている。この調子だと本人に悪気はねぇんだろうけど。
そもそも反応しちまう俺も俺だ。
何なの。意味分かんねえ。

「でもね、それは全部その人のことが好きすぎるからやっちゃうんだって」
「ぶっ」
「? 花礫、大丈夫?」
「、……気にすんな」

溜飲を下げようと飲み物を飲んだのが間違いだった。咽せた俺を、无が心配そうに眉尻を下げて覗き込む。しかも諸悪の根源も「大丈夫ー?」なんて相変わらずのほほんとした顔で小首を傾げるから余計癪に障る。
意趣晴らしにとまた一発殴ったらきゃんきゃん吠えた。うっせーお前が悪い。

「でも、好きなのにいじめちゃうの?」
「ううーん……。多分好きだからこそ、なんじゃないかな。ホントはすっごく嬉しいけど恥ずかしくて、素直になれなくて、照れ隠しに思ってもないことを言っちゃうし、やっちゃう……もしくは自分のことを構ってほしいから、忘れないでほしいから、とか」
「……あ。じゃあ花礫は、名前にかまってほしいからいじめるんだね!」
「あっ、それは……ってちょっ! 花礫くん待ってストップ!!」

苛々通り越してもはや殺気が湧いた。何でそうなる安直過ぎんだろ。
純粋なのも、素直過ぎるのも困りもんだ。厄介なことこの上ない。けど无に当たるワケにもいかねーから、思いっきり手元の本を與儀に向かってブン投げた。
ブツは見事にヤツの顔面にヒット。スッと怒りが波を引いていくような感じがしてスッキリした。ざまあみろ。

「っつ、うう、花礫くんひどいよ、俺は何も言ってないのに……」
「存在がムカつく」
「俺全否定!? いっいや、でもこれも花礫くんの俺に対する親愛の証だと思えば……!」
「ハ? お前寝てんの?」
「…………前言撤回、挫けそう……」

両膝を抱えて丸くなった與儀はそれきり黙って、時折鼻をすする音が聞こえてくるからわりと本気で落ち込んでるんだろう。
无が元気出して、なんて励ましてっけど、ぶっちゃけ俺からすればデカい図体してそんな落ち込み方って気持ち悪い以外の何ものでもない。
お前何歳だよと突っ込みたくなる。今言ったら火に油注ぐだけだから無闇に突っ込まねーけど。

このままじゃ埒が明かないと判断して、おもむろに転がった本を拾って立ち上がる。物音と気配に気付いた與儀が真っ赤な目ェして「どこ行くの?」と見上げてくるから「落ち着いて本読めるとこ」と適当に答えた。
こいつらと居たんじゃおちおち集中も出来ない。名前の部屋なら少なくともここよりはマシだろうし、アイツもこいつらよりはちょっかい掛けたりしねーだろ。しかし與儀はそんな俺の思惑をどう窺知したのか、

「…………やっぱりさっきの図星、」
「死ね」

なんて的外れなこと吐かすから、再び本を投げつけてやって部屋を出た。
背後から騒がしい声が聞こえてくるが知ったことか。だけど歩いてるうちにミスを侵したことに気付いた。
「……あ。」
肝心の本忘れた。




────で。戻るのも面倒だから手持ち無沙汰で来てみれば、部屋の主は不在だし、あげく中は真っ暗だし。照明つけてみれば部屋の中は物が散らかってて乱然とした有り様だし。
あいつまともに片付けも出来ねーのか。それとも単にタイミングが悪かっただけか。
多分今回はたまたま後者なだけだろう、いつも俺が来るときは大抵綺麗に整頓されてるから。
散乱している服やら靴やらを退けながらベッドに腰掛ければ、座ったと同時に広がるあいつの匂い。なんだか無性に脱力して、與儀たちのせいでささくれ立った心は凪いで。うわなんか俺変態じみてねぇ?とか自己嫌悪に苛まれつつも、誘惑には抗えなくて横に倒れた。

(……やべ、ほっとする)
自然と肩の力も抜けて、徐々に眠くなってきた。
留守にしてる間に自分のベッドで俺が寝てるとこ見たらあいつどうすんだろ。びっくりすっかな、喜ぶかな。どっちみち呆けた間抜け面見せてくれんだろーな。
ふ、と笑って目を閉じれば、程なくして扉が開かれる音がした。

「……花礫くん?」息を飲む気配がした。わざわざ一目見なくても戸惑ってるのが分かる。
そのまま狸寝入りを続けていればゆっくりとこちらに近付いてくる足音。
躊躇いがちに頬に触れる手はしっとり汗ばんでいて、いったい何やってきたんだと怪訝に思うのも束の間。

「…………眠り姫みたい」

ブン殴られてえのかこいつ。
感慨深く呟かれた比喩表現に鳥肌が立って、むしろおぞましい寒気すらして名前の腕を引っ張った。せっかく好い気分で眠れそうだったのにこのザマだ。
抵抗のない身体を組み敷いて上から見下ろせば、さっと青褪めていく表情。
まさか俺が起きてるとは思わず油断しきっていたんだろう、名前の視線は右へ左へと彷徨っている。
これはこいつが言い訳を考えてる時の悪い癖だ。けど誰が騙されっかよ。

「テメェ……」

低い声で睨み付ければ、俺の剣幕に怯んだ名前はうっと口ごもったあと「ごめん!」と腹を括ったように潔く自分の非を認めた。

「男に姫とかふざけんなよ」
「だ、だってほんとにそう見えて……っひい、ごめんなさいもう何も言いません!」
「……はぁ。つか、お前なにそのカッコ。トレーニング?」
「あ、うん。ちょっと気分転換がてらにねー」

渋々と譲歩して身体を離せば、名前も上体を起こして隣に腰掛ける。するとまた、いや、さっきベッドに横になった時よりもさらに濃く名前の匂いが鼻腔を掠めて。
トレーニング後だから尚更なのだろう。
ふんわりとした優しい匂いにつられるように、俺はもう一回横になった。
──名前の、太ももに頭を乗せて。

「っえ、花礫くん!?」
「寝かせろ、ねみぃんだよ」
「それは構わないんだけど、寝るならちゃんとベッドで寝た方が……」
「このままでいい」
「……んーと……、じゃ、じゃあせめてシャワー浴びさせてくれないかな。汗臭いでしょ?」
「別に。お前の匂い安心するし」
「……(え。ほんとにこの子花礫くん? 誰かが化けてるとかじゃないよね、私の都合のいい夢とかじゃないよね)」

黙り込んで深く考え込み始めた名前を下からじっと見た。どうせまたろくでもねーこと考えてんだろ。気を寄せるために手を伸ばして髪を引っ張れば、我に返ったように瞳が真ん丸く開かれる。
……ほらアホ面。
クス、と笑みを零せば、たちまち目の前の顔はのぼせたように真っ赤に染まった。ほんっとこいつって俺のこと好きだよな。好き過ぎんじゃね?あからさまで笑える。

手を下ろして楽にすれば、今度は名前の方から俺に手を伸ばしてきた。
恐る恐る、腫れ物に触るような危うげな手つき。眼差しは細められていて、だけどその奥に秘められた愛おしむような穏やかな光に、むず痒い感覚を味わった。
……なあ、お前はいつもそうやって眩しそうに俺を見るけど、俺からすれば本当に眩しいのはお前だよ。
俺はお前にそんな大切に扱われるほど大きい人間じゃなくて、汚れきってて。なのにお前は全く性懲りもせず馬鹿の一つ覚えみたいに優しい、優しいとか言ってきて。優しいのはどっちだよ。お前じゃねえか。

お節介で、お人好しで、困ったヤツ見るとほっとけなくて。周りの奴らになんて言われても笑って受け止めて。その癖やせ我慢して辛いことは一人で隠して抱え込んで。こいつのそういうとこは正直かなりムカつく。
俺が居るだろ。俺が居んのになんで寄りかかってこねーんだよ、甘えてこねーんだよ。年下だからか?俺がお前より弱いから?
だったら強くなってやるから、お前なんかあっという間に追い越して直ぐにデカくなってやるから、だから。

「…………あ」
「?」
「……うっわ、マジかよ……だせえ」
「花礫くん?」

反動形成。
素直になれない、俺の小さくてくだらない反抗心。
忘れないで、ほしいから。俺ばっかじゃなくて、こいつにも追いかけてきてほしいから、わざと冷たい態度をして突き放す。
他の奴らだけじゃなくて、俺にも構ってほしいから、見てほしいから。

(…………こんなんガキって言われても言い返せねえじゃねーか……)
やるせなさに脱力感に襲われて、不思議そうに小首を傾げる名前そっちのけに目を腕で覆い隠した。
ちくしょう、カッコ悪ィ。

「……なんで不貞腐れてるの?」
「黙ってろバカ女」
「理不尽!」

抗議の声には聞く耳を持たず、仰向けから寝返りを打って名前の腹に顔を埋める。匂いを肺一杯に吸い込んで、吐いて、また吸って。
髪を撫でる細い指に、次第に甘く微睡んで。
────やっぱ、すげー落ち着く、なんて。キャラでもないこと思った。

「名前、」
「んー?」
「……俺が起きるまで、そばにいろよ。起きても動くんじゃねーぞ」
「って言われても、こんなんじゃ動けないよ」

苦笑混じりに言われた言葉にはガキ扱いされてるみたいで不満しかねぇけど、今だけは大人しく目瞑ってやる。
だからつべこべ言わずここにいろよ、んで頭触んの止めんな。意外と気持ちいいし、お前に撫でられんのは悪くないから。

「……おやすみ、花礫くん」
ああ、おやすみ。
和やかな空気に包まれて、俺はそっと瞳を閉じた。
……人肌って、あったけえ、な。
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