「──で? ここのところ花礫とはどうなのよ」
「え。……何事なく円満、だと思うけど」
「なぁんだつまらない」
「ひどっ」

突如藪から棒に振られた話題に戸惑いながらも当たり障りない程度の受け答えをすれば、イヴァの期待の眼差しは一気に興味が失せたように損なわれた。
見込み外れでガッカリ、とでも言わんばかりの落胆した声色だが、彼女の表情は安心したように綻んでいる。
表面上の言葉と面持ちが伴っていないだけで本心は心配してくれていたことが伝わってくるが、何故いきなりそのようなつかぬ事を? とツクモと名前が顔を見合わせて首を捻った。

「いやね、最近あんた達が二人で並んでる姿を見ないから、もしかして何かあったのかと妙に勘ぐっちゃって。でもそうよねー、そんなメイクでも隠しきれてない真っ黒なクマ作っといて不仲も何も無いわよねえ」
「そこには敢えて触れないでほしかったデス」
「けど、本当に大丈夫なの? 少し仮眠でも取って休んだ方が良いんじゃ……」

クスクスと痛いところを突いてくるイヴァから顔を背ければ、心配げに窺うツクモと目がかち合った。
彼女の花のかんばせは隈の話が飛び出るなり曇りを帯びていて、同時に無用な不安を抱かせてしまっていたことに気付いた名前は心から申し訳なさを感じた。

「大丈夫大丈夫、だから浮かない顔しないの」

せめてツクモの憂慮が少しでも吹き飛べば良いとあっけらかんに笑って頭を撫でれば、彼女もまた安心したように頬を弛ませる。
しかし直後「もし名前に無理を強いているようなら花礫君に名前との三行半を突きつけに行くところだったわ」と零す親友に戦慄したのは秘密である。
普段は冗談など口にしないツクモだからこそやると決めたらやりかねない。

彼女達が疑うようなことは何一つ無く、花礫にはとても大事にされている、とは思う。
出逢った頃を思えばまさに雲泥の差なわけで、突っ慳貪な口振りなのは現在もさして変わりは無いが自分を見る瞳に棘は無く、触れてくる手のひらも宝物を扱うように優しくて。
一方通行の想いが晴れて実を結び、恋人という関係のスタートを切った当初こそ気恥ずかしさだったりまごついていた事もあったが、二人での時間を過ごしていくうちに虚像なんかでは無いと確証を得た。

名前が嫌がることは絶対にしないしさせない。
直接言葉にされたことは無いが、そう花礫が裏で配慮してくれているのは名前もとうに知っていた。
だから自分も出来るだけ花礫が望むことはしてあげたいし、させてあげたい。

「で、求められたら断れないと」
「仰るとおりです」
「やっぱり三行半……」
「ちょっと待ってツクモ!」

ガタッと席を立とうとしたツクモを慌てて制して、どことなく不服そうな表情を浮かべる彼女をどうどうと落ち着ける。
イヴァの言い方には少々語弊が生じた。
あくまでも名前は断れない、ではなく断らないのだ。花礫の温かい腕の中に包まれて眠るのが好きだから、彼の息遣いを傍で感じている時が自分にとっての唯一の安らぎの時間だから。その為ならば多少寝不足が募ろうがなんて事は無い。
ちょくちょくとこまめに休息は取っているし、花礫自身も本当に名前がしんどい時には察してくれて、手は出さずにただ抱き締めて床につく。
これでもなお「大事にされていない」などのうのうと文句を叩いたりしたら、それこそ世の女性達から大目玉を食らうだろう。

「ま、合意の上でなら良いんじゃないの? 但しちゃんと体調管理は怠らないこと」

心配は杞憂に終わったと胸を撫で下ろし、けれどしっかり釘を差すことは忘れずイヴァは紅茶を嚥下した。もちろん、と名前も苦笑しつつ首肯する。仕事が多忙を窮めるこの時期に体を壊してしまったら元も子もない。
花礫にも罪悪感を抱かせてしまうことになるだろうし、自分のことでも手一杯な仲間達にこれ以上余計な憂い事を増やさせたくは無かった。

「それはさて置き」
「ん?」
「花礫ってソッチは巧いの?」
「ぶっ」
「イヴァ……!」

新たに繰り出された話の内容に思いがけず紅茶を噴いた。ツクモまで身も蓋もない言葉に真っ赤になっている。
羊から渡された布巾で机に飛び散った滴を拭いながら名前が恨みがましくイヴァを一瞥すれば、彼女は大して意に介す様子もなく。

「あ、でも他と比べようが無いわよね。なんせあんた達お互いが初めて同士なんだし」
「さては姐さんもの凄く楽しんでますよね?」

顔を真っ赤にしながらすかさず抗議の声を上げる妹分を見てニヤリとほくそ笑むイヴァは確実に愉快犯だった。
花礫のことに関すると名前は実にイイ反応を返してくれるから茶化さずには居られない。
もっともそれが原因で平門やら朔にもからかわれ遊ばれていることには気付かず、体の良いオモチャと化して暇つぶしとばかりに振り回されている彼女の姿は時折哀れに感じることもあるが。

「う、うう、いや、あの」
「この際、個人的感想で良いから勿体ぶらないで教えなさいよ、ほら早く。隈が出来るってことはおちおち意識を飛ばして寝ることも出来ないんでしょ? さぞかし激しいんでしょうねぇ」
「だから、イヴァ姐食い気味じゃ……!」
「あら、私は可愛い妹分がどんな風に愛されてるのか純粋に気になるだけよ」
「……ごめんなさい名前、私も少し気になる……」
「ツクモさん!?」

たった一つ残された希望の道さえ一片の慈悲なく潰えた。ツクモだけは何があっても味方となってくれると信じていたのに、確信は大いに外れ呆気なく手のひらを返された。とんだ誤算だ。
さぁさぁ。目は口ほどにものを語る。
面白いものを見つけたと狙いを定めた女性二人を前に逃げる退路は既に断たれ。
「勘弁してください!」と窮地に追い詰められた中、かろうじて見つけた突破口から脱走を図ろうとしても挟み撃ちにされた。

逃がさないわよ。

トドメの一撃に放たれた死刑宣告。
恋や下の話になると何故女性はこうも強くなるのだろうか。否、きっと自分が弱るのはこの人たちに逆らえない立場に居るからだろう。
ジリジリと間合いを詰め、躙り寄ってくるツクモとイヴァの見事な連携プレーに戦々恐々としながら、名前は固唾を飲み潔く覚悟を決めたのだった。


下僕で玩具でいつか餌


「……お前、この短時間で一体何があったんだよ」
「姐さんたちに色々と根掘り葉掘り……ね」
「あぁ……」

二人の自室にて機械工学の本を読み耽っていた花礫が扉が開いた音を聞いて顔を上げると、出掛ける前とは一変打って変わった様相の名前が覚束ない足取りで部屋に入ってきた。
どれほど揉みくちゃにされたのか。髪はボサボサになり顔も血の気が失せていて、さながら死人のようだとは口にせず、変わりに女をこちらへ呼び寄せた。
心許ない歩みで隣に腰掛けた名前に手を伸ばし、乱れた髪を整えてやると心地良さそうに細められる双眸。そのまま甘えるように肩に顔を埋めてきたから好きなようにさせてやれば、ふふ、と微かに笑う声が聞こえてきた。

「何だよ突然」
「つくづく私って果報者だなぁって思って」
「……当たり前だろ、俺が傍に居てやってんだから」
「……うん、そうだね」

花礫くん大好き。
想いを噛み締めるように呟かれた言葉に「俺も」とは返せず、咄嗟に出てきた言葉は「るせえ襲うぞ」なんて照れ隠し。
あんまり可愛いことを言われるとこっちの身が持たない為これでも牽制したつもりだが、名前はきょとんとしたあと再び破顔して「良いよ?」なんて小首を傾げるからいらっとして。
何も言わなくとも気遣ってやってるこの思いを汲み取れと、花礫は分厚い本の角を名前の脳天に叩き落とした。無論、加減はちゃんとしてある。

「ちょ、痛いっ酷い!」
「調子のんなバーカ」
「辛辣! 私の扱いって……」
「そんな酷ぇツラしてるお前抱くほど鬼じゃねェよ」
「……え、私そんなに顔色悪い?」
「不細工が更にブッサイクになってる」
「ええ……」

それは参った、と途方に暮れたような声で眉根を寄せる名前にため息を零し、本を置いた花礫はおもむろに彼女の後頭部に手を回す。
力づくで、けれど優しくポスンと片脚の上に名前の頭を乗せれば、呆気に取られた様子で見上げられた。

「男の膝なんざ固くて痛ぇだろうけど、無いよりマシだろ」
「え、花礫く、」
「寝ろ。夕飯になったら起こしてやるから、さっさとその不細工な顔元に戻せ」
「……ほんと酷いなぁ、もう」

一見素っ気ない言葉に聞こえるが、これは花礫なりの不器用な労り方だ。やはり彼もここ最近名前が寝不足気味なのを気にしていたのだろう、そもそもの一因が自分にもあることも。
膝枕、なんて。こんな貴重な機会またと無い。途端に名前の中でいとおしさはこみ上げて、ぎこちなく髪を撫でる無骨な手のひらに口づければ見開かれる黒い瞳。

「だぁいすき」
「……大人しく眠れねーんなら強制的に落としてやるけど?」
「今は遠慮しとく」

でも夜は、ね? 妖艶に笑ってから瞳を綴じた女に意表を突かれて、上手く尻尾を巻かれたことに舌を打つ。
おやすみ三秒、名前は花礫の葛藤など知る由もなく今や呑気に安らかな寝息を立てていた。
いつの間に男を煽る術を習得したんだか。無意識でこそ唆られるが、たまには意図的に誘われるのも悪くない。つまるところ相手が名前ならばなんでも構わないのだ。

「……覚悟しとけよ」

人のスイッチ押すだけ押しといて、やっぱり待ったなんて後になって泣きついても聞く耳持たねえからな。

せめて今だけはゆっくり休めば良い。日が沈んだらまた夢に浸かる暇なんて無いのだから。
花礫は再び傍らに避けた本を手に取りながら、早く夜の帳が空を包めばいいと穏やかな空間に焦れるのだった。
ALICE+