「──朔さんおかえりなさい。ご飯にします? お風呂にします? それともわ、た、し?」
「……可愛いことしやがってこいつ。お前に決まってんだろー!」
「もうアナタったらっ!」
「テメェら人前でフザけんのも大概にしろよ」
「っていうかむしろ恋人の前でも憚らず堂々と他の男にそんなことを言える名前に感服するよ」
いやはやたまげた天晴れだと言わんばかりに感嘆の息を落とした喰に、「そもそも今日は何の用で来たんだよ」と未だイチャイチャと例の恒例儀式を繰り広げる二人を見ながら花礫が苛立たしげに舌を打った。
青年が約一ヶ月ほどの任務を終え帰ってきてからようやくもぎ取った休暇。
口には出さずとも久し振りに名前との時間を存分満喫しようと思っていた矢先に、来訪者が二人を呼んでいると羊から知らされ、指定された応接室に足を運べばそこに居たのは朔と壱號艇に戻った筈の喰だった。
「──朔さん!!」
見る見るうちに輝いていく名前の面持ちとは相反して、明らかにげっ、と眉を顰めてそれ以上進むことに二の足を踏んだ花礫。
出来るならば今すぐ踵を返して自室に戻りたかったが、名前が嬉々として朔の広げられた腕の中に飛び込んでいったため逃げるという選択肢は頭の中から吹き飛んだ。
こんな所に彼女一人置いていったらいつまであの三文芝居が続けられることか。
恐らく誰かに咎められるまで延々と長引くだろうと、いとも簡単に予想のつく展開に深々とため息を吐いた。
「おら、そろそろ離れろ」
「ぐえっ」
「なんだ花礫、嫉妬かー?」
「うるせぇな、少しは場を弁えやがれってんだ」
「花礫君、名前の顔真っ青だけど」
悠然とした佇まいで優雅にアールグレイを啜っていた喰に指摘され、「あ」と女の首に回していた腕を離した。
解放されるなり名前は血の気の失せた表情で咳き込んで、息を切らしながら花礫を睨む。
「がーれーきーくんー?」
「ああ悪い、加減忘れてた」
「しなかったんでしょ!」
「……さぁ?」
「明後日の方角見たってはぐらかしきれてませんから」
「 おいおい俺をそっちのけに花礫といちゃつくなんて……名前には少しお仕置きが必要か…?」
「! やだ朔さんってば……」
「つか埒が明かねーからいい加減その下手な小芝居ヤメロ!」
性懲りもなく投げられたボールを律儀にもバットでちゃんと撃ち返す名前に、いよいよ堪忍袋の緒がはち切れた花礫の怒声が談話室に響いた。
二人が式を挙げてからというものの、朔然り平門然り底意地の悪い大人達は常に名前絡みのことでいちいち花礫の癪のツボを突っついてくる。
現に今も朔は差し障りない程度に彼女にスキンシップを図っているし、見せつけんばかりにチラチラと花礫の様子を窺いながら名前の耳元で思わず砂を吐きそうなほど甘い言葉を囁いていた。
完全におちょくられていた。
理解している、ここであからさまに敵対心を剥き出しにすれば奴の思う壺だと。
直ぐに独占欲を露骨に表し、器の小さい男だとは思われたくないためグッと堪える。
堪えた、が。
案の定無理だった。
肩を抱かれていた名前の腕を自らに引き寄せ、邪な輩から庇うように立ちはだかる。もうこの際、堪え性なしだろうが短気だろうが何と言われたって良い。
素直になれなくともいささか屈折した愛情(少なくとも純粋ではない)であっても、花礫が名前を大切に想っていることに間違いは無いのだから、たかがお遊びとはいえ他の男と戯れている姿を黙って見ているのは我慢ならなかった。
けれどやはり笑われれば腹立たしい。
抱腹絶倒とまではいかないが爆笑している朔と喰に、いつかぜってえ息の根仕留めてやるとつかぬ野望を抱きながら花礫は「で?」と本題を促した。
「まさか顔見るためだけにわざわざ呼び出したんじゃねえだろうな。だったら帰れさっさと帰れ」
「だからンなつれねーこと言うなって。ちゃんとお前らにも用あって呼んだんだよ。ほら、式挙げてからちゃんとした祝い品やってなかったろ?」
「え、平門さんと一緒にベッド戴きましたけど」
「あれはほとんど平門が手配したもんだし、俺個人からも渡しとかねーとなんか気が済まなくてさ。貰ってくれよ、ほら」
「……ありがとうございます」
しかし朔が手渡したのは手のひらサイズの小さな四角い箱一つ。しかも近くに居た花礫にでは無く名前に、だ。
何だかとてつもなく嫌な予感がして、花礫が顰めっ面で赤髪の男を睨む。名前も突如漂い始めた不穏な空気に息を飲みながら、ラッピングされたリボンを丁寧に解き、蓋を開ければ──。
「俺から贈る名前専用の指輪だ。結婚してくれ」
「バッカじゃねーの!!!」
虫の知らせは的中した。指輪を一目見るなり硬直した名前へ真顔でプロポーズする朔に、本日二度目の花礫の怒号が飛んだ。
言って良い冗談と悪い冗談の区別もつかないのかこの良い歳した大人は。
急ぎ名前の手から箱を取り上げ朔の顔面目掛けてブン投げれば、されどカラカラと笑って難なく受け止められる。目を凝らしてみれば指輪はその辺で売っているような子供向けの玩具だった。
まんまと嵌められたと青筋が浮かぶ。
「ほら、朔さんふざけてないで。本当はこっちでしょう?」
「わりーわりー。ほら花礫、俺と喰からのプレゼントだ有り難く受け取れ!」
「……今度は何だよ」
「イエスノー枕だけど」
「どのみちロクなもんじゃねえだろうが誰が要るか!」
駄目だ、このタチの悪い人間を二人もいっぺんに相手にしていたら自分の血管が持たない。
今にもブチ切れそうだと息巻く花礫を名前がどうどうと宥めながら、ニヤニヤとほくそ笑む幼馴染みと上司を苦笑しつつ「もう勘弁してあげてください」と窘めた。
ちぇ、と朔が唇を尖らせる。
因みに枕は名前が受け取るだけ受け取っておいた。自室に戻ったら花礫が速攻でゴミ箱へ投げ捨てそうだが。
「さて、用も全部済んだことだしそろそろ艇に帰るとするかー」と一つ大きく伸びをした朔を、「とっとと帰れ暫くそのツラ見せんな」と花礫がにべもなく追い払う。
愛想も素っ気もない粗末な対応に、流石に朔も苦笑いしてハイハイと頷き、帽子を被って踵を返した。
珍しく大人しかった喰も右に倣って後に続こうとするが、ふと思い出したように「あ」と呟いた名前に呼び止められ気だるそうに振り向いた。
「なに?」
「今度また来た時はたっぷり彼女さんのこと訊かせてもらいますからね!」
「げ、程ほどにしてよ」
「朔さんと面白がって花礫くんからかった罰です」
「ハッ、ざまぁみやがれ」
「花礫君……」
さては僕が名前に告白したこと未だ根に持ってるよね。
ツン、とそっぽを向いて嘲笑を零した青年に恨みがましげな眼差しを送るが相手にされず。
やがて不承不承と名前の言葉に覚悟しとくよ、と返事をすれば至極楽しそうな笑い声が耳朶を打つ。
「喰、」
「ハイハイ次はなに?」
「幸せになってね」
「……、名前こそ」
花礫君にまた泣かされたら僕のところにおいで。もう二度と花礫君とは会えないようにしてあげるから。
物騒な言葉と笑みを残して颯爽と姿を消した喰。
「誰がさせるか!」と花礫が反論する隙も無かった。
それきり人気が無くなり静かになった応接室。途端に肩の荷が降りたかのように脱力して、花礫はおもむろに先ほど喰が腰掛けていたソファーに横になった。靴も脱がないで行儀悪いよ、と注意する名前の言葉には耳を貸さず、佇立したままの彼女を手招く。
やれやれと思いながら緩慢とした動作で歩み寄っていけば、左手首を掴まれシルバーリングが嵌った薬指をガブリと噛まれた。
「……痛い」
「誰彼かまわず尻尾振ってんな」
「私は人間だから尻尾なんて御座いませんよー」
「お前は誰のなんだよ、俺のだろ」
(……あれ)はた、と時間を要してやっと気付いた。
喰たちが帰っても花礫の表情は依然と不機嫌に染まったまま。口調も心なしか不貞腐れていて、ぶっきらぼうな言葉だが拗ねていることがありありと伝わってくる。
クス、と自然と笑みが零れた。
「喰にはもう大事にしたいって思える人が出来たのに」
「……けど、やっぱムカつくもんはムカつく。朔ともども」
「ふふ、」
──心配なんてしなくても、私は花礫くん一筋だから。
そう言って花礫の唇にキスを落とすと、れろ、と下唇を舐められる。何やら急激にヒヤリとした悪寒が背筋を駆け上がって、咄嗟に体を離せば目の前に広がるのは不敵な微笑み。
「だったらこのまま此処でヤるか」
「それは勘弁!」
「逃がすかっ!」
脱兎の如く逃げ出した。
悪鬼のように鬼気迫る雰囲気を醸し出しながら花礫もすかさず後を追いかける。
浜辺で追いかけっこをする恋人同士、なんて生易しいものでは無い。
艇の中で貞操を賭けた熾烈な鬼ごっこ。今更二人の間に純潔もなにも無いが、せめて今日の睡眠だけは死守したいと逃げる女は必死だった。
「誰か助けてー!!」
こうなってしまった花礫はもう手が付けられない、付けようが無い。
すれ違いざま與儀と目が合ったが、馬には蹴られまいと防衛本能が働いたのか直ぐに逸らされ。もちろん羊達には邪険に扱われるだけだった。
誰か慈悲の手を差し伸べてくれる心優しい者は居ないのか。
後ろから感じる唯ならぬ圧力に戦々恐々としながら、名前は涙目で懸命に余力を尽くした。
恋の病の巣窟で、愛の毒牙に犯される
(なっ、行き止まり……!)
(ゲームオーバー、残念だったな)
(ひいっ、羊助けて!)
(巻き込まないでほしいメェ)
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