『本当、何でアンタみたいな出来損ないが産まれたんだか』
『アンタが悪いのよ。私に似ないから』
『どいつもこいつも浮気される私に非がある、愛想尽かされるのも当たり前だなんてふざけたこと吐かして……何なのよ、私の何がいけないの!?』
『……あんたが、あんたみたいな欠陥品が居るから、あの人は戻ってこないの?』


『アンタの顔見ると、反吐が出る』


産まれてから一度足りとて名前を呼ばれたことは無かった。
……否、最低でも一度くらいは合ったかもしれない。
けれど物心がついた時からの記憶の糸を手繰り寄せて漁っても身に覚えは無く、私を呼ぶときはいつだって冷たくアンタ呼ばわり。
まるで汚いモノを蔑むような目で幼い私を見下ろして、あまつさえ身内に後ろ指を差されて自分の機嫌がすこぶる悪いときは八つ当たりのように私に暴力を振るってきた。
圧倒的な大人の力には到底敵わず、相応の痛みを伴って増えていく痣。特に集中して狙いを絞られたのは顔面だった。
父に似ているから。
たったそれだけの理由で私は詰られ、虐げられた。母であるあの人にとって子供の私はどうでも良く、父であるあの男の人だけが絶対で、また必要不可欠な存在だったのだ。
彼以外は眼中にすら入らない、血の繋がった子供さえ目障りな障害物。

そして盲目的な愛は時を積む毎に勢いを過熱させて、いつしか徐々に激しくなっていった厳しい束縛に耐えかねた父が家に帰ってくることは二度と無かった。
街から去っていく際、知らない女の肩を抱いていたという風の噂。噂だけなら信憑性に欠けるものの、災難には難が度重なって目撃者も多々居り、それを不運にも訊いてしまった母は精神に異常をきたし発狂して、夜な夜な酒に溺れるようになった。同時に私へ振るう暴力も頻発になり、この頃から私はしょっちゅう家を抜け出して昼夜問わず路頭を徘徊することが多くなった。
家に居るよりも、外の方がよっぽど安全だと悟ったから。

愛情と憎悪は紙一重。
そんな言葉を知ったのは、輪のショーを初めて目にした時と同時期だっただろうか。

ステージに立つ人が皆一様に輝いてて、キラキラしてて。
さながら夢のような一時で、釘付けになっていたショーが閉幕を遂げても名残惜しくて、暫くそこから微動だに出来なかった。
──だって、その時だけは何もかも忘れることが出来たの。辛いことも苦しいことも、悲しいことも泣きたいことも全部。凄く単純だけれど、私もね、私のような想いをしている子をああやって励ましたいって、楽しい時間を与える側の人間になりたい、ってそう強く思った。

だけど現実は残酷で、思い通りにはなかなか進んでくれなくて。骨身を惜しまず働いて進学する為のお金を死に物狂いで稼いで、でもそのお金も知らない内に母に使われていたことが多くて。それでもやっとの思いで目標金額まで達成してクロノメイに踏み出すことになった前日、母と今までに無い喧嘩をした。
お互いがお互いを罵倒して、嘲って、本当に親子なのかって疑うくらい他人行儀な振る舞い、ううん、他人以下の接し方で。これまでの人生ずっと父が唯一無二だった母との関係は、本格的に冷えきっていた。

血の繋がりなんて所詮、私達にとっては取るに足らない、紙切れ一枚より薄っぺらい交わりでしか無かったのだ。


「…………、むなし、」

ああ、久し振りにろくでもない夢を見たなあと自嘲して放った言葉。
胸につかえる虚無感を吐き出すようにため息を落としても憂鬱な気分が晴れる訳でもなく、小さなしこりは残ったまま。
柔らかい寝台の弾力を借りて寝返りを打てば、私が床に就く前には隣に居なかった愛しい人の安らかな寝顔が視界に飛び込む。その目の下にはうっすらと隈が滲んでいて、きっと今日も限界ギリギリまで根を詰めて入手した情報を纏めていたんだろう。
仕事の大変さを窺わせる様相に、私は「お疲れ様」と囁いて閉じられた目蓋に軽く口づけた。

……さて、当分は寝れそうにも無いから少し外の空気を吸ってくるか。
羊はどうにか言いくるめれば問題ない。花礫くんを起こさないよう慎重にベッドから抜け出して廊下に出れば案の定さっそく捕まったが、明日ちゃんと起きるからと固く約束すれば羊は存外にもあっさりと通してくれた。
ただし誓いを破ったら間違いなく遠慮はしてこないだろう。最悪の場合は私が夜分遅くに彷徨いていたと平門さんにも報告される。そうなったら追及されるだろうし、あー……とにかく面倒なことになるのは目に見えている。

明日は何としても起床時間に起きられるよう努めよう、と意気込みながら、私は数年前花礫くんに告白された(というか逆ギレされた?)テラスにまで足を運んでいた。
白い梔子の花はかつての日と変わらず大輪を咲かせている。流石にあの日のものは枯れてしまったけれど、今は年ごとに新しい種を植えて栽培しているからこの花壇から梔子の花が消えることは無い。私にとってはとてつもなく大事な、私達二人の思い出の花。
誤って転んでしまわないよう細心の注意を払いながらゆっくりと花壇の前にしゃがんで、天を仰ぐ白い葉に触れて物思いに耽るよう瞳を綴じた。

──私は、あの人と違う。

違う。……違うと分かっているのに、過去のトラウマは簡単には払拭出来ない。
どんなに疎まれていても、疎んでいても、私とあの人は紛れもない親子なんだ。外見は似ていなかったけれど、本質は、似ているかもしれない。
もしも花礫くんが他の女の人の所に行っちゃったら、もしお腹の子が男の子で花礫くんにそっくりだったら? 私はその子を恨んでしまうの?
いやだ、考えたくない。誰かを、ましてや自分の子を憎むかもしれないなんて。
この子は何も悪くないのに、私は私と同じ想いをさせたくないからと、同じく苦しんでいる想いをしている子をせめて一時でも救ってあげたいと志して輪を志望したのに。そんなことをしたら本末転倒も甚だしいじゃないか。

でも、だけれど。

「────っの、バカ女!!」

懸念、恐怖、焦燥、憂慮。
様々な情動に身を焦がして震える私の肩を突如ふわりと覆った、暖かな温もり。
屈んでいた身体を強引に、しかし気遣いの伝わる力加減で立たせられ、くるりと向きを合わせられる。
恐る恐ると見上げた顔立ちは、やっぱりと言うべきか苛立ちや焦りに染まって険しくなっていて。バカ女、ともはや聞き慣れたフレーズと共にギリギリと頬を抓ねられて、肉を捻られる痛みに涙が浮かんだ。
かろうじて「痛い止めてごめんなさい!」と訴えればため息混じりに渋々と頬が解放される。

うう、と熱を持って未だ抓ねられているような感覚がする頬を撫でながら、されど私は顰めっ面をしている花礫くんの目を直視することは敵わなかった。
……だってまさか、あんなことを考えている時に話の渦中にある人物が起きて来てしまうなんて予想だにしていなかった。例え、たらればの仮定形だったとしても、私は花礫くん自身を信じきれていないのだと肯定するような憶測を廻らせてしまっていたのだから。罪悪感がとんでもない。
なのに彼は、いつだって私に分かりにくい、けれど確かな優しさとつつがない愛情を与えてくれるから。

「いつまでもこんなとこに居んな、腹の子に障るだろうが」
「……こど、も……」
「……なに?」
「、なんでもない。ごめん、考えなしだった。早く部屋に戻ろう」
「名前、はぐらかすな吐け」

俺の目を誤魔化せるとか思うなよ。

ハッキリと告げて逃げを許さない花礫くんの黒い双眸に、心臓を鷲掴まれたようだった。
……私はいつも、この優しさに甘えてしまうの。
私の肩に掛かっているのはただのブランケットなのに、さながら繭の中に守られているような謎の心地好さを抱きながら諦念を持つ。
花礫くんには、全て隠さず打ち明けよう。
そう決意して、「聞いてて面白いような話じゃないけど、聞いてくれる?」。問い掛けたら頷いてくれた花礫くんを見て、私はお伽噺を語るような物言いで口火を切った。

本来はお母さんと呼ぶべき女の人から受けた所業の数々。私が母に言ってしまった数多の暴言。自分が犯してしまった過ちも輪を目指すこととなったきっかけも花礫くんを疑ってしまったことも濁すことなく正直に暴露して、非難されることを承知の上で胸の内をさらけ出した。

「……ただ、ね、漠然と不安になっただけなの。私はちゃんと、この子を育てられるんだろうかって。親からまともな愛情を貰えなかった私が、ちゃんとこの子に教えてあげられるのかなって」

『アンタなんか産まなきゃよかった』。
別れ際そう私に言った母の淡々とした声音は、今も薄れることは無く私の鼓膜にこびりついたまま。
私だって、あなたみたいな人を母親として認めたくない。
せめてもの些細な反抗心としてクロノメイへ向かう車の中そんなことを思ったけど、実際それを母に言うことは出来ず、飲み込んだ言葉は胸を締め付けて苦しくて、無性に悔しくて悔しくて涙が止まらなかった。それでも母の前で泣くよりはうんと良かった。

愛情は、知らないわけじゃない。
クロノメイに在学して個性も疎らな友人達も出来て、なにより喰という幼馴染みの存在も大きかったから。特別ひねくれたりとか屈折した性格に歪むことも無かった。
貳號艇の皆のことも家族のように思っているし、壱號艇や参號艇の人達だってかけがえのない仲間。それだってひとつの愛の形でしょう?

──でも、自分の子供となればまた話は複雑に拗れてくる。
そこには常に責任も負担も付き纏ってくるんだ。

「……まあ、そんなモンなんじゃね。血の繋がりなんてあったって、結局それだけの理由で情が湧くってワケでもねーし。俺だって本当の両親なんざ名前どころか顔もロクに覚えちゃいねえよ」
「あ……」

……そうだ、花礫くんも『同じ』だ。
花礫くんも八歳の頃に両親に売られて、座礁した船から岸辺に流れ着いて、天の巡り合わせによってツバキさんに救われた。今の彼の名前だって確かツバキさんから名付けられたもので、瓦礫の上に倒れていたから。でもそれじゃあ華が無いから花礫と改められたのだったか。
別に悲劇のヒロインを気取っていたワケでは無いし、こういうものは比べるべきじゃないけれど、花礫くんの壮絶な生い立ちにしたら私の過去なんてほんのちっぽけなもの。
母親としての覚悟を固める、なんて以前言っておきながら、全然完成形として固まってないことに
「……不甲斐ない、なあ」と失笑したら再び頬を強く引っ張られてバカかと毒づかれた。

「シケたツラしてんな」
「……ごめん、」
「俺が言っても大して説得力なんか無いかもしんねーけど、親って一人でなるモンじゃねえだろ」
「……」
「……俺が居んだろ、ぶぁーか。無事に育てられんのかとか、親としてちゃんとやれることやってやれんのかとか俺だって知らねーよそんなこと。けどな、これだけはキッパリ断言してやるよ。何がなんでも絶対守るし大事にする。お前も、その腹ん中にいる子供も」
「……っ」
「はー……お前な、一人で気張りすぎなんだよ。もう少し肩の力抜け。今更ンなことでウダウダ悩んでたってしゃあねえだろ。もうすぐソイツも産まれてくんだから、いい加減腹括れ」
「っ、うん」

……大丈夫。私は、『違う』。
母と同じ愚は犯さない、必ず。

花礫くんの手のひらに頬をすり寄せて、私は私に固く誓った。もう迷わない。
花礫くんの言う通り、腹を括ろう。
吹っ切れて顔を上げた私の唇に、花礫くんは一つキスを落としてくれた。久し振りの感触にむず痒くなりつつ、だけど調子に乗って催促してみる。

「……これだけ?」
「うるせえ黙れ引っ込めアホ面」
「ちょ、なんでいきなり冷たく!?」
「〜〜だぁっ、こっちだって我慢してんだよ言わせんな!」
「…………あ。」

ごめん……と言外に含まれた意味に気付いてそれとなく距離を取った。とりあえずこれ以上無闇に花礫くんを煽ったらマズいことになりそうだ。
しかしあからさまに避けた私を花礫くんは不機嫌そうに見つめて、おもむろに私の腕を取って自分の方に引き寄せた。
すると私の視界を隙間なく埋めた明眸。
唇に触れた温もりにまた口付けられているのだと気付いて、私は唇が重なったまま嬉しくてつい頬が緩んでしまった。
離れて早々バッと逸らされた真っ赤な顔に、またとない愛しさが沸き上がる。

「っこれで満足かよ?」
「うん、大満足です!」
「……あっそ、だったらさっさと部屋戻んぞ。お前この間退院したばっかなんだから、あんま身体冷やしてんな」
「ん。ありがとう、花礫くん」
「別に。良いから行くぞ」

こちらの歩調に合わせてゆっくりと歩いてくれる花礫くん。大きな背中は、私達が結ばれたあの時の背中よりも広く頼もしくなっていて、時の流れをまじまじと感じた。

(……次ここに来る時は、三人かな)
後ろを振り向いて見た梔子の花。白い葉は月光に照らされていて、まるで私達を温かく見守ってくれているようだった。


悪夢のちの葛藤


(家族なんてものは血の繋がりよりも、共に過ごした時間と時間をかけて築いた信頼が形作るものなんじゃないかと思うのです)
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